時を縫う英雄譚


――第零段階、進行中
――あの夜、俺は風の匂いで気づいた。

時間が、ほんの少し狂っていた。
時計の針が、一秒だけ早く進む。
それだけで、世界は壊れかける。

ステッチ管理局。
監視室は異様な静けさに包まれていた。


「……局長。
 彼ら、生き延びましたよね?」


煙草をくわえた男が答える。


「ああ。だが不安定だ。
 次は戻れんかもしれん」


投げられた報告書。
ECHO計画/第零段階。

そこには、透と芽吹、そして俺の名前。


(始まってすらいない段階で、ここまでか)


医務室。


「おかえり、フォール」


芽吹が顔を上げる。
透は眠っている。


「……寝相、最悪だな」

「笑えないくらいね」 


目の下のクマが、すべてを物語っていた。


「なぁ、芽吹」

「なに」

「過去、やり直せるって言われたら?」


少し考えて、彼女は言った。


「やり直さない」


理由は、明確だった。


「今ここにいる透を、
 過去の私は知らないから」


胸が、ちくりと痛む。

(……ズルいな)

そのとき、透の指が動いた。


「……時間……」


時計が暴走する。
俺は即座に能力を展開する。


「時間停止結界、展開!」


だが芽吹は、怯えなかった。
透の手を、強く握る。


「……大丈夫。
 もう、ひとりにしない」


時計の音が、止まる。
針は、午前0時で静止したまま。

時間が止まっても、心だけは、確かに動いていた。

報告書に、俺はこう記した。


「第零段階、進行中。
 被験体同士の感情干渉により、
 予測不能の未来を確認」


局長は眉をひそめる。


「肯定するのか」

「ええ。
 人間って、そういう生き物なんで」 


俺は立ち上がる。


「じゃ、次の観測へ行きますね。
 ――未来が、呼んでる…なーんて」


ドアが閉まる。
夜風の向こうで、針の音が、再び動き出した。