芽吹と協力関係を結んでから二日。
あれからとくに、芽吹と共闘はしていない。
朝の教室は、少しだけ騒がしかった。
「聞いた? 三組の黒板、朝来たら割れてたらしいよ」
「え、誰かイタズラ?」
「警察来たって」
「えー、やば!大事じゃん!」
透は机に突っ伏したまま、話を右から左へ流していた。
昨日の夜の感覚が、まだ指先に残っている。
――削れた、何か。
思い出そうとすると、
頭の奥がじくりと痛んだ。
「一ノ瀬」
顔を上げると、イインチョーがいた。
今日は少しだけ、表情が硬い。
「ねえ、今日の放課後、予定ある?」
「ないけど」
「じゃあ、一緒に帰ろ」
即答だった。
理由を聞く前に、芽吹はもう前を向いている。
(……なんだよ、それ)
放課後。
校門を抜けて、少し遠回りの道。
人通りはあるのに、そのわりに空気が薄い。
「ねえ、一ノ瀬」
芽吹が歩きながら言った。
「昨日の夜、何してた?」
透は一瞬、足を止めかけた。
「……なんで?」
「なんとなく?」
即答だった。
「夜さ、変な気配が増えてる。
たぶん、昨日“縫われた”の、ここら辺」
芽吹はそう言って、街路樹の影を見た。
透の喉が鳴る。
「……見えてるのか」
「うん」
芽吹は立ち止まり、透を見る。
「一ノ瀬。
隠してるでしょ」
逃げ場はなかった。
「……イインチョーこそ」
透は苦笑する。
「昼は優等生。
夜は緑の糸ぶん回す正体不明」
「ひど!」
芽吹は肩をすくめた。
「でも、否定しない」
沈黙。
夕方の光が、二人の影を長く伸ばす。
そのときだった。
影が、歪んだ。
街路樹の根元。
アスファルトの継ぎ目。
影が浮かび上がる。
…虚影だ。
「……来るよ」
芽吹が低く言う。
次の瞬間、
影は人の形を取った。
呻くような音。
引きずる足。
昼間の噂が、頭をよぎる。
「……学校の」
「たぶん、三組」
「さすがイインチョー!よく覚えてる!」
芽吹は針を構えた。
透も、ポケットに手を伸ばす。
「同時にいく?」
「任せた」
呼吸が揃う。
「――《縫写・ナイトステッチ》」
黒糸が走る。
「――《グリーンバインド》」
緑の糸が絡む。
二色の糸が交差し、
虚影は悲鳴のようなノイズを発して崩れた。
静寂。
夕焼けが、何事もなかったかのように街を染める。
「……慣れてるね」
芽吹が言った。
「イインチョーも」
「まあね」
少し間があって、芽吹は続ける。
「ねえ、一ノ瀬」
「ん?」
「あなたって公安専属じゃないんだっけ?」
透の頭にハテナが浮かぶ。
「…は?」
「あ、もしかして知らなかった?」
芽吹は真っ直ぐに言う。
「分かってたら、あんな顔しない」
透は何も言えなかった。
「だからさ」
芽吹は手を差し出す。
「組も」
「……は?」
「今度公安に推薦しとくからさ、
いっしょにやろうよ、スタッチャー!」
透はその手を見る。
一瞬、朝の空席が脳裏をよぎった。
でも、今は考えない。
「……わかった」
「よし!」
芽吹が満面の笑顔でそう言った、その直後だった。
「――ありゃりゃ」
低い声。
二人の影が、街灯の下で重なった。
芽吹が、即座に一歩前に出る。
さっきまでの柔らかさは、完全に消えていた。
「……フォール」
名前を呼ぶだけで、場の空気が変わる。
街灯の影から現れた男は、軽く手を挙げた。
「やっぱ気づくよね、ヴァイン。
さすが公安スティッチャー《パターン級》」
透の思考が、一瞬遅れる。
(……パターン級?)
芽吹――イインチョーが、公安?
「何の用」
芽吹の声は、任務のそれだった。
フォールは視線を透に移す。
「観測だよ。
未登録スタッチャーが、連続で縫ってる」
視線が、逃げない。
「一ノ瀬透、君のね」
名前を呼ばれ、背中が冷たくなる。
「……イインチョー?」
透が呼ぶと、芽吹は一瞬だけ視線を返した。
「後で説明する」
それだけ。
フォールは頷いた。
「正確には、“観測と判断”だ」
彼は、淡々と告げる。
「君の縫い方は荒い。
《スレッド級》にも登録されてないのに、
単独討伐を繰り返してる」
「……悪かったな」
「責めてない」
フォールは肩をすくめる。
「事実を言ってるだけ。
一人でやってると、削れるからね」
芽吹が、透を見る。
「……言ったでしょ」
逃げ場はなかった。
「で?」
透は歯を食いしばる。
「捕まえに来たのか」
「いいや」
フォールは即答した。
「保護。
それと、登録」
その言葉に、透の胸がざわつく。
「公安対虚影課《ステッチ管理局》。
通称、公安スタッチャー」
芽吹が、静かに続ける。
「夜の戦いは“任務”。
成果でランクが決まる」
透は、芽吹を見る。
「……お前、どこまで知ってたんだよ」
「全部」
少しだけ、痛そうに笑う。
「だから、組もうって言った」
フォールが、楽しそうに口笛を吹いた。
「ヴァインの判断だ。
君を“野良”のまま放っておくのは危険」
「入らなきゃ?」
透が聞く。
フォールは、少しだけ声を落とした。
「監視対象。
最悪、拘束」
夕焼けが、やけに赤い。
芽吹が、透の前に立つ。
「一ノ瀬。私はもう、公安専属で…
“ヴァイン”としてやってる」
一拍。
「でも――」
芽吹は、手を差し出す。
「一人で削れるの、見過ごせないから」
透は、その手を見る。
朝の空席が、また脳裏をよぎる。
それでも。
「……条件は」
「無茶しない」
「善処する」
「やっぱ信用ならないなぁ」
昨日と同じやりとり。
でも、今度は意味が違う。
フォールが、満足そうに頷いた。
「じゃ、決まりだ」
影に戻りながら、言う。
「ようこそ。
《スレッド級》候補」
その言葉が、夜に落ちる。
芽吹は透の、手を取る。
それは――
公安に管理されることを選んだ夜。
そして、二人が“任務”として並ぶ最初の瞬間だった。
あれからとくに、芽吹と共闘はしていない。
朝の教室は、少しだけ騒がしかった。
「聞いた? 三組の黒板、朝来たら割れてたらしいよ」
「え、誰かイタズラ?」
「警察来たって」
「えー、やば!大事じゃん!」
透は机に突っ伏したまま、話を右から左へ流していた。
昨日の夜の感覚が、まだ指先に残っている。
――削れた、何か。
思い出そうとすると、
頭の奥がじくりと痛んだ。
「一ノ瀬」
顔を上げると、イインチョーがいた。
今日は少しだけ、表情が硬い。
「ねえ、今日の放課後、予定ある?」
「ないけど」
「じゃあ、一緒に帰ろ」
即答だった。
理由を聞く前に、芽吹はもう前を向いている。
(……なんだよ、それ)
放課後。
校門を抜けて、少し遠回りの道。
人通りはあるのに、そのわりに空気が薄い。
「ねえ、一ノ瀬」
芽吹が歩きながら言った。
「昨日の夜、何してた?」
透は一瞬、足を止めかけた。
「……なんで?」
「なんとなく?」
即答だった。
「夜さ、変な気配が増えてる。
たぶん、昨日“縫われた”の、ここら辺」
芽吹はそう言って、街路樹の影を見た。
透の喉が鳴る。
「……見えてるのか」
「うん」
芽吹は立ち止まり、透を見る。
「一ノ瀬。
隠してるでしょ」
逃げ場はなかった。
「……イインチョーこそ」
透は苦笑する。
「昼は優等生。
夜は緑の糸ぶん回す正体不明」
「ひど!」
芽吹は肩をすくめた。
「でも、否定しない」
沈黙。
夕方の光が、二人の影を長く伸ばす。
そのときだった。
影が、歪んだ。
街路樹の根元。
アスファルトの継ぎ目。
影が浮かび上がる。
…虚影だ。
「……来るよ」
芽吹が低く言う。
次の瞬間、
影は人の形を取った。
呻くような音。
引きずる足。
昼間の噂が、頭をよぎる。
「……学校の」
「たぶん、三組」
「さすがイインチョー!よく覚えてる!」
芽吹は針を構えた。
透も、ポケットに手を伸ばす。
「同時にいく?」
「任せた」
呼吸が揃う。
「――《縫写・ナイトステッチ》」
黒糸が走る。
「――《グリーンバインド》」
緑の糸が絡む。
二色の糸が交差し、
虚影は悲鳴のようなノイズを発して崩れた。
静寂。
夕焼けが、何事もなかったかのように街を染める。
「……慣れてるね」
芽吹が言った。
「イインチョーも」
「まあね」
少し間があって、芽吹は続ける。
「ねえ、一ノ瀬」
「ん?」
「あなたって公安専属じゃないんだっけ?」
透の頭にハテナが浮かぶ。
「…は?」
「あ、もしかして知らなかった?」
芽吹は真っ直ぐに言う。
「分かってたら、あんな顔しない」
透は何も言えなかった。
「だからさ」
芽吹は手を差し出す。
「組も」
「……は?」
「今度公安に推薦しとくからさ、
いっしょにやろうよ、スタッチャー!」
透はその手を見る。
一瞬、朝の空席が脳裏をよぎった。
でも、今は考えない。
「……わかった」
「よし!」
芽吹が満面の笑顔でそう言った、その直後だった。
「――ありゃりゃ」
低い声。
二人の影が、街灯の下で重なった。
芽吹が、即座に一歩前に出る。
さっきまでの柔らかさは、完全に消えていた。
「……フォール」
名前を呼ぶだけで、場の空気が変わる。
街灯の影から現れた男は、軽く手を挙げた。
「やっぱ気づくよね、ヴァイン。
さすが公安スティッチャー《パターン級》」
透の思考が、一瞬遅れる。
(……パターン級?)
芽吹――イインチョーが、公安?
「何の用」
芽吹の声は、任務のそれだった。
フォールは視線を透に移す。
「観測だよ。
未登録スタッチャーが、連続で縫ってる」
視線が、逃げない。
「一ノ瀬透、君のね」
名前を呼ばれ、背中が冷たくなる。
「……イインチョー?」
透が呼ぶと、芽吹は一瞬だけ視線を返した。
「後で説明する」
それだけ。
フォールは頷いた。
「正確には、“観測と判断”だ」
彼は、淡々と告げる。
「君の縫い方は荒い。
《スレッド級》にも登録されてないのに、
単独討伐を繰り返してる」
「……悪かったな」
「責めてない」
フォールは肩をすくめる。
「事実を言ってるだけ。
一人でやってると、削れるからね」
芽吹が、透を見る。
「……言ったでしょ」
逃げ場はなかった。
「で?」
透は歯を食いしばる。
「捕まえに来たのか」
「いいや」
フォールは即答した。
「保護。
それと、登録」
その言葉に、透の胸がざわつく。
「公安対虚影課《ステッチ管理局》。
通称、公安スタッチャー」
芽吹が、静かに続ける。
「夜の戦いは“任務”。
成果でランクが決まる」
透は、芽吹を見る。
「……お前、どこまで知ってたんだよ」
「全部」
少しだけ、痛そうに笑う。
「だから、組もうって言った」
フォールが、楽しそうに口笛を吹いた。
「ヴァインの判断だ。
君を“野良”のまま放っておくのは危険」
「入らなきゃ?」
透が聞く。
フォールは、少しだけ声を落とした。
「監視対象。
最悪、拘束」
夕焼けが、やけに赤い。
芽吹が、透の前に立つ。
「一ノ瀬。私はもう、公安専属で…
“ヴァイン”としてやってる」
一拍。
「でも――」
芽吹は、手を差し出す。
「一人で削れるの、見過ごせないから」
透は、その手を見る。
朝の空席が、また脳裏をよぎる。
それでも。
「……条件は」
「無茶しない」
「善処する」
「やっぱ信用ならないなぁ」
昨日と同じやりとり。
でも、今度は意味が違う。
フォールが、満足そうに頷いた。
「じゃ、決まりだ」
影に戻りながら、言う。
「ようこそ。
《スレッド級》候補」
その言葉が、夜に落ちる。
芽吹は透の、手を取る。
それは――
公安に管理されることを選んだ夜。
そして、二人が“任務”として並ぶ最初の瞬間だった。



