時を縫う英雄譚


朝。

目覚ましが鳴る前に、透は目を覚ました。

ただ、今日は――芽吹と登校する日。


カーテンの隙間から、朝の光。
時計を見る。
秒針は、ちゃんと前に進んでいる。

(……よし)


フォールがまだ寝ている。
ベットの周りを見ると、資料が散らばっていた。
あらかた深夜までやっていたのだろう。

仕方がない。今日くらい許してやるか。

目玉焼きを2つ、レタスで彩り、パンを焼いた。
食事を済ませ、身支度も済ませる。


「行ってきます」


ドアノブに手をかけた、その瞬間。


――ガチャ。


ほぼ同時に、隣のドアが開いた。


「……」
「……」


数秒の沈黙。
芽吹は、トーストをくわえていた。


「……おはよ」

「おはようございます」

「なんで敬語」

「いや、なんとなく」


芽吹はもぐもぐしながら玄関を出て、靴を履く。


「早いじゃん」

「そっちこそ」

「目、覚めちゃってさ」


トーストの端が、ぽろっと落ちる。


「「あ」」

「落とすなよ」

「三秒ルール」

「ここ廊下」

「五秒に延長」


意味の分からない会話。
でも、透はそれが妙に可笑しくて、口元が緩んだ。

二人並んで、アパートの階段を下りる。
朝の空気は冷たくて、少しだけ眠気が残る。


「昨日さ」


芽吹が言う。


「夢、見た?」

「……見た気がする」

「どんな?」


透は少し考えてから答えた。


「よく分かんねぇけど、誰かが隣にいた」

「ふーん」


芽吹はそれ以上聞かなかった。
代わりに、歩調を少しだけ合わせてくる。

横断歩道。
信号待ち。


「今日の数学、絶対小テストある」

「まじで?」

「まじで」

「聞いてない」

「聞いてなかっただけでしょ」

「……勉強してない」

「おわったね、アウトー」


信号が青に変わる。
時計を見ると、このまま行くと遅刻する。


「走る?」

「いや、ワンチャン、先生遅刻してるかもよ?」

「その希望、皆無だろ」


そう言いながらも、二人で小走りになる。
制服の裾が揺れて、
朝の光が、二人の影を長く伸ばす。


「なぁ、芽吹」

「ん?」

「……今日さ、なんかいい日な気がしない?」


芽吹は一瞬だけ考えてから、笑った。


「なにそれ。占い?」

「いや、勘」

「クロノスの?」

「ただの高校生の」

「じゃあ信用しない」

「ひど」


笑い声が、校門の前で弾ける。

その瞬間。
校舎の時計が、ほんの一分だけ巻き戻る。

誰も気づかない。
二人も気づかない。

でも、確かに――この時間は、楽しかった。


そしてこの“何でもない朝”が、
透にとって、最後にちゃんと笑えた朝だった。