翌朝。
芽吹は教室に入るなり、いつもより妙に疲れた顔の透を見つけて眉をひそめた。
「……おはよう、一ノ瀬。
なんか目の下、クマできてない?」
「おはよ、イインチョー……寝れなかったんだよ。
昨日から、あいつが一緒に住んでるせいで」
「え、誰…?
……もしかして、フォールのこと?」
透がうなずいた瞬間、芽吹は思わず机を叩いた。
「兄!? フォールが!?」
「そう、“設定上”な。
公安の命令で、俺の兄になったらしい」
「……設定って…しかも同居!?
ってことは、フォールが家に!?」
「そう。
朝から掃除・洗濯・カレーの仕込み。
生活音ゼロのまるで完璧家政夫だ。
しかも俺の冷蔵庫の賞味期限まで把握してる」
芽吹は口を半開きにしたまま固まった。
「え……何それ、怖い……」
「怖いよ。
俺が牛乳飲もうとしたら、“それ、あと二日で酸化が進む”って止められた」
「……兄というよりAIだね……」
その会話の最中、教室のドアをノックする音がした。
フォールが立っていた。
スーツ姿で、どこか“教師”じみた雰囲気。
「おーい!お弁当を忘れてたぞ」
「は」
頬杖が崩れ、ガクンとバランスが崩れる。
周囲のクラスメイトが一斉にざわめく。
「あれ!?橘先生じゃん!」
「なんで学校に!?」
「もう教育実習終わったよね?」
芽吹は笑いをこらえきれず、机に突っ伏した。
「……透、頑張って……」
フォールはにこやかにクラスメイトの質問に答えながら、透に弁当を差し出した。
「昼食は栄養のバランスを考えたから。
あ、ブロッコリーもちゃんと食べること」
「はぁ……俺、ブロッコリー嫌いって言ったじゃん」
「嫌いこそ、克服すべき対象だろ?」
「説教くさいのとか、需要ないんだが?」
笑い声が教室に広がった。
だが芽吹だけは、フォールの背に一瞬だけ見えた“影”を見逃さなかった。
夜。
フォールは窓辺に立ち、街の灯を静かに見下ろしていた。
手には古いホログラムの記録――そこに映るのは、一人の少女。
彼の、かつての“妹”。
「……重なるなって、分かってるんだけどなぁ」
小さな呟きは誰にも届かない。
けれど、隣の部屋で眠れずにいた透は、壁越しにその気配を感じ取っていた。
静かな夜の中、不器用な優しさが、少しずつ透の日常を縫い直していく。
「……ありがとな、フォール」
その声は、夜風に溶けて消えた。



