時を縫う英雄譚

夜の暁ヶ浜。

街灯がまばらに灯る路地裏で、風に揺れる影があった。
それは、蔦のような――いや、糸だった。

緑がかった糸が、空気に溶けるように揺れている。


(……ここか)


透は足を止め、視線を走らせる。
昨日も感じた、嫌な気配。

空気の“縫い目”が歪んでいる感覚。


「……出てこいよ」


小さく吐き捨てた、その瞬間。

影が、跳ねた。

巨大な虚影が路地の奥から姿を現し、
その進行方向に――一人の少女が立っていた。


「……っ!」


見覚えのある後ろ姿。
短く結んだ髪。
制服のスカート。  
昼間、教室で見慣れた――


「イインチョー!?」


虚影が咆哮を上げ、腕を振り下ろす。
避けきれない。


「……くそっ!」


透は胸ポケットに手を突っ込み、
緑がかった黒色の縫針を引き抜いた。
次の瞬間、糸が宙を裂く。

闇を帯びた黒糸がほとばしり、
虚影の腕を絡め取って動きを止めた。


「っ……!」


透は一気に距離を詰め、
芽吹の腕を掴んで引き寄せる。


「大丈夫か、イインチョー!」 

「……一ノ瀬!?」


芽吹は驚いたように目を見開き、
すぐに体勢を立て直す。

昼間の、太陽みたいな笑顔はそこになかった。
代わりに宿っていたのは、冷静で鋭い視線。


「……なんで、ここにいるの?」

「それ、こっちの台詞だっての!」


虚影が再び動き出す。
地面を砕き、二人に迫る影。


「話は後だ!」


透は糸を操り、虚影へ飛び込む。
だが、影はしぶとく、
黒糸を弾き返すように暴れ回った。


「ちっ……!」


その瞬間。

地面から、緑の糸が伸びた。
蔦のように絡みつき、虚影の動きを一瞬、縫い止める。

透が目を見開く。


「……は?」


芽吹が一歩前に出る。
その手には、見覚えのない縫針。


「一ノ瀬、今!いけるんでしょ!?」

「……っ、マジかよ!」


透は歯を食いしばり、黒糸を重ねた。
二色の糸が絡み合い、
虚影を縫い留める。


「――《ナイトステッチ・シャドウリーパー》!」


闇が虚影を呑み込み、
影は悲鳴を上げる間もなく霧散した。

路地に、静寂が戻る。
街灯の光が、現実を取り戻していく。

透は肩で息をしながら、ゆっくりと芽吹を見る。


「……お前さ」

「なに」

「もしかして、スタッチャー?」


芽吹は一瞬だけ黙り込み、
それから、困ったように笑った。


「……いやーバレたか」

「いや、普通分かるだろ。
 緑の糸とか、どう考えても普通じゃねぇし」

「それは、お互い様でしょ!」


芽吹は透を見返す。


「昼は寝てばっかの問題児なのに、
夜はあんな糸ぶん回してるとか」

「余計なお世話だ」


しばしの沈黙。
夜風が、二人の間を抜けていく。
透がふっと息を吐いた。


「……協力しねぇ?」

「は?」

「一人でやるより、マシだろ。
 それに……同じクラスだし」


芽吹は少し考え、
それから、いつものイインチョーらしく口角を上げた。


「条件付き」

「あー…なに」

「無茶しないこと。
 死にそうになったら、ちゃんと頼れ!」

「……善処する」

「信用ならない返事だなぁ」


そう言いながらも、芽吹は手を差し出した。
透は一瞬迷ってから、その手を取る。 

昼はクラスメイト。
夜はスタッチャー。

正反対の顔を持つ二人の距離が、
確かに縮まった夜だった。