跳べない君と、はねない私

「何?その目…。なんで、いつも見てくるの?」

部屋の角に追いやられて、逃げ場はない。
近すぎる距離に息がつまる。
私は、言われても尚、逸らし方を忘れたように、彼の瞳を見つめ続けていた。

ーー私は、間違えてしまったのだろうか。







4月。
教室内はただでさえ、初々しい緊張感が漂っていた。

やばい。
まじで無理、やばい。

中身のない言葉が、脳内で繰り返される。
心臓の動悸が止まらず、吐きそうだ。
入学式早々、そんな失敗はできない。
私は、口をぎゅっと結ぶ。
勿論だけど、新生活ってだけでこんなにナーバスになっているわけではない。

原因は、斜め前の席に座る男子生徒だった。
彼は、本来なら勉強しかさせてもらえないようなこんな高校にいてはいけない人材だ。

だって、彼は…。

あまりの驚きと確認したい一心で、ガン見してしまったのが、仇となった。
彼は訝しげに、こちらを振り向く。
切れ長の目元と、彫り、の深い鼻筋。
顔を真正面から見た瞬間、パズルの最後のピースをはめたときのような感覚になった。

ーーこれ、やっぱり本人だわ。

まるで、走馬灯のようだった。
いっきに、これまで見てきた彼のハイライトが頭の中に流れ込んできた。
とくに、初めて彼を見たときだ。

「綺麗に滑るねぇ」

おばあちゃんのそんな感心するような声とともに蘇る。照明の光を浴びて、広いリンクを縦横無尽にすべる姿。

平岡翼。

子供の頃は、スケーティングスキルなんて言葉は知らなかった。だけど、一蹴りで伸びやかに遠くまで滑る彼を見て、スケートが上手いってこういうことだろうな。と直感したものだ。

そんな翼くんがこんな近くにいる事実。
やばい、かっこいい。無理、死ぬ!サインもらいたい!握手したい!
無表情のまま、オタク心が脳内で一周した。
私は、それら全てをぐっと押し込むようにさらに口元に力を込める。
そして、不自然だと理解しつつも、すっと目線を横に流す。

これで、なかったことに…。

「は?何?」

翼くんはそんな言葉とともに、眉間に皺を寄せ睨み付けてくる。
短い一言なのに、声が低くて、教室のざわめきが一瞬だけ遠のいた気がした。

私は、産まれてきて一番の速度で瞬きをした。
頭の中で反芻する彼の声は、私の翼くん像とはかけはなれていた。

え…。なんか、怖くない?

なんか、育ちの良い王子さま的なものを想像していた。

「翼?どうした?」

翼くんの近くにいた友人らしき男子が心配げに尋ねている。

「なんか、コイツがジロジロ見てきて気ぃ悪いから」

気ぃ悪い…。
それ推しに言われたくない言葉トップ10に入るやつでしょ。
私はどんどん指先が冷たくなっていくのを感じた。

「こら!安易にコイツとか言うな!」

翼くんの友人が焦って嗜める。

でも、ごめん。手遅れだ。
私のHPはもうゼロ。

「ごめんね!翼、ちょっとひねくれててさ」

私は、せっかくの気遣いに愛想笑いすらできずにいた。

「大丈夫?」

私の表情が相当、ヤバいのだろう。
翼くんの友人はさらに申し訳なさそうにしている。

「ごめん。体調が悪いみたいで…。ちょっと」

緊張の中で出た声は、思ったよりもカスカスで真実味を帯びてた。

「これから、入学式なのに、大変じゃん!保健室付き添おうか?」

「だ、大丈夫、一人で行けます」

ごめんなさい、ご友人の方。 完全な仮病です。


教室から出ても、いや、出た瞬間にがくがくと足が震え始めた。
足が笑っているというのは、まさにこのこと。

ーー同じ高校に、翼くんがいる。

しかも同じクラスに。
たっかいアイスショーのチケット代払わずとも、無賃で見れてる。
そんなことあっても良いの?!
私はブンブン首を振る。

いや、待て。
そこじゃない。
私は人気のない渡り廊下までくると壁に手を掛けて、上がった息を整える。

なんで、翼くんが、こんな高校にいるのかってことだ。
一抹の不安が頭を過る。




「それで、入学式にも出られなかったと…。」

私たち以外にも、制服を着た学生でにぎわうファミレス内。
私はオタク特有の早口で、なんとかこれまでの経緯喋り終えた。
しかし、聞いていたミキナは呆れたようにため息をついた。

入学式が終わったあと、急いでミキナに連絡をとり、自宅近所のファミレスに集合をかけた。

ミキナとは同じ中学で、偏差値も大体一緒で自然と同じ高校に進学ということになった。
ドリンクバーでとってきたグレープフルーツジュースをぐびぐびと飲むと、喋りすぎで乾いた喉に沁みる。

「え?てかこれ、凛奈の妄想の話聞いてる?」

ミキナは含み笑いで尋ねてくる。

「違う!違う!入学式で翼くん、見なかった?」

「いや、他のクラスとかまで見ないし」

ミキナは相変わらずだ。
こういう、サバサバしたところが付き合いやすいのだけど、今だけはもどかしい。
ミキナの性格が反映されたようにボーイッシュなベリーショートの髪。
悔しいけど彫刻のように美しい顔をしていた。

「よく似た他人なんじゃないの?」

「いや、翼くんって呼ばれてたもん。というかこの私が見間違えるわけないでしょ?」

ミキナは少し考えたような顔を浮かべる。

「居たとしたら、スケート辞めた?」

私が恐れていた言葉を軽々と口にした。

「縁起でもないこと言わないでよ」

「だって、西高に入ってスケート続けるって…。参考書読みながらスピン回らないと追いつかないよ」

ファンじゃないからこその現実的な意見に、思わず「ぐっ…」とわけのわからない音が出た。

愛知県名古屋市。過去に何人ものオリンピック選手を排出し続けたフィギュアスケート王国。
勿論、育成環境が整っていないわけがない。
スポーツ科の整備された高校では、大会や練習で休んでも単位が取れるように工夫されている。
しかし、どれも私立の話だ。
私たちの通うことになる西高は公立のうえ、学力重視のガリ勉高校。

「ネットで情報は上がって…」

ミキナは全てを言い終える前に、「それはないか」と自己完結した。

「だって、翼くんSNSやってないし…。それに」

「有名な選手でもないしね」

私はミキナを睨み付ける。

「だって、凛奈に出会うまで、聞いたこともない選手だったし」

「そりゃあ…まだジュニアの選手だし、そんなニュースで話題に上がるようなことはないよ」

「えー?だけど、時々出てんじゃん!期待の超新星みたいな男子も」

「また、そんな一部の天才の話を…」

翼くんは、確かにまだ、無名だ。ただ、昨年は表彰台には届かずとも全日本ジュニア5位。
アイスショーにも出演するくらいには期待がかかっている選手。
一般の人は知らずとも、アイスショーに来るようなスケオタたちの間では名前が出る選手だ。

ーーそれに、翼くんは…。

「でも、翼くんは特別だと思う」

そう言いきった自分の語尾は、思ったより強かった。
ミキナは真顔でくるくるとストローを回した。
熱くなってしまったことが、急激に恥ずかしくなってくる。

「いや!だってさ、スケーティングスキルの話からするとジュニアでは全体のトップだったし」

「ストップ!ストップ!」

照れ隠しのあまり、また早口に戻った私をミキナが制した。

「ごめん。どんなに説明されてもフィギュアはわかんないから」

落ちついて。とミキナは両手でジェスチャーをする。
そして、ミキナはニヤリといたずらっぽい笑みを浮かべた。

「でも、よかったじゃん。お近づきになるチャンスじゃん」

その言葉で、押さえていた邪念が一気に溢れだす。

もしも、私と翼くんが…。

想像もできないけど、顔に熱が集まるのを感じた。

「いや、違う。私はそんなことに期待してない!期待しても良いことなんてなかったし!」

私は悪魔の誘惑を振り払うかのようにミキナに強く宣言する。

「残念。せっかく手が届く位置にいるのに~」

「私はとにかく、地に足をついた生き方をするって決めてるから」

ミキナは納得したように、頷く。

「そうだね。君はそういう奴だったね」

あからさまに煽るような笑みで、スクールバッグから参考書を取り出す。

「じゃあ、凛奈の妄想かもしれない話は置いておいて。お勉強しましょうね」

白目になりそうなのを堪える。

「そうだ…明日、休み明けテストか」

額を押さえてため息をつくと、ミキナは愉快そうに声をあげて笑った。