なつかしい桜の中で、君を感じた


「えー、春樹がそんなことするタイプには見えないのに」

 朱里は驚いたように眉を上げ、「意外」と付け加えた。

 私たちは登校中、最寄り駅でばったり会い、そのまま並んで学校へ向かっているところだった。

「まあ、付き合ってたら誰だって通る道じゃん。冷め期到来?」

「いや、そういうんじゃないと思うんだけど……」

「ほんとに? だってさ」

 朱里は歩きながら指を折る。

「彼女とのデートに二時間遅刻して、お詫びに買ってきたアイスが、咲良が嫌いだって知ってるはずのいちご味だよ?」

「……うっ」

 喉が詰まり、言い返せなかった。

 最近、こういう小さな違和感が増えている気がする。

「なんかさ、春樹、最近ちょっと上の空じゃない?」

「……うん」

 否定できず、小さく頷いた。

「でもさ」

 朱里は少し間を置いて、ふっと言う。

「意外って言ったけど、私、春樹のこと全然知らないんだよね」

 その言葉に、胸の奥がひくりと揺れた。

「……言われてみれば、私も」

 思わず立ち止まりそうになるのをこらえて、続ける。

「春樹って、いつも私の話を聞いてくれる側で……あんまり自分のこと話さないかも」

 昔はどんな感じだったのか、どんな毎日を過ごして、何を大切にしてきたのか。

 私は、ほとんど知らなかった。

「でもさ、春樹って絶対モテてそうじゃない?慣れちゃってて、適当になってるとか」

「それは……ありそう」

 朱里の言葉に乗せられるように、私の頭がぐるぐる回り始めた。

「私って……何人目なんだろう」

 口に出した瞬間、胸の奥がひやっと冷える。

 もしかして、春樹にとって私は“特別”じゃなくて、ただの“今の彼女”。

 たくさんいる中の、ひとり――。

「気にはなるけど……本人には聞にくいよね」

 困ったように笑ってそう言うと、朱里は腕を組んで少し考え込んだ。

 そして、

「あっ!」

 突然、何かを思い出したように声を上げる。

「和也なら知ってるかも!」

「……和也?」

 聞き覚えのない名前に、私は首を傾げた。

「ほら、春樹の幼なじみの子」

「あっ……! 前に体育館シューズ貸してた人?」

「そうそう!」

 朱里は嬉しそうに頷く。

「和也もバスケ部だから、ちょっと面識あるんだよね」

 そして、少し声を潜めて続けた。

「部活休みの日とか、一緒に帰ってるくらいだし。小学校の頃も、絶対仲良かったと思う」

「……」

「それにさ」

 朱里はにやっと笑う。

「和也には、咲良のこと話してそうじゃない?」

「……たしかに」

 実は、私と春樹が付き合っていることを知っているのは、学校では朱里くらいだった。
 春樹もクラスの友達には話していないみたいだし、できればこのまま静かにしていたい。

 でも――。

 和也くんなら、もしかしたら。
 春樹の幼なじみで、ずっと一緒にいた人なら、私のことも話しているかもしれない。

「……でも、私が聞いてきたって、春樹に言われちゃうかも」

 そうなったら、絶対に気まずい。
 できれば、春樹には知られずに聞きたい。

 私がぐるぐる考え込んでいると、朱里は大きくため息をついた。

「もうさ、何事も行動あるのみ!」

 ぐっと距離を詰めて、はっきりと言い切る。

「悩んでばっかりじゃ、何も変わらないでしょ?」

 その言葉に、胸の奥が少しだけ痛んだ。
 図星だったから。

「そうだよね!」

 覚悟を決め、私は気合いを入れる。

 不安は消えないまま。
 それでも、立ち止まっているよりは――
 一歩踏み出したほうがいい気がした。

 放課後、私たちはバスケ部の部室近くで和也を見つけた。
 和也は部室の外で先輩たちと話していて、朱里が「和也ー!」と手を振ると、少し驚いた顔をしてこちらに近づいてきた。

「朱里じゃん。どうしたの?」

「あのさ、ちょっと春樹のことで聞きたいことがあって」

「春樹?」

 和也は首を傾げ、私の方をちらりと見た。

「あれ、咲良ちゃん!」

 不意に名前を呼ばれ、思わず肩が跳ねる。

「話は聞いてたけど、直接話すのは初めてだよな。俺、和也。春樹とは中学が一緒でさ」

 和也は屈託のない笑顔を浮かべ、軽く手を挙げた。
 どこか春樹に似た雰囲気に、少し緊張がほぐれる。

「和也くんは、私と春樹のこと……」

「もちろん、知ってるよ」

「いきなりあれなんだけど、聞きたいことがあって……」

 私の言葉に和也は軽くうなずいた。

「春樹って、小学校のとき彼女いた?」

 少し勇気を出して聞くと、和也は考えるように俯き、やがて顔を上げた。

「あいつ、彼女いたことなかったよ」

「えっ……」

 意外な答えに、私と朱里は顔を見合わせる。

「ほんとー?」

「ほんとだって。確かにモテてたけど、付き合うってことはなかった。そもそも興味がなかったっていうか」

 その言葉に、胸の奥に少し釈然としない感覚が広がる。

「興味がなかった……?」

 思わずつぶやくと、和也はそれに気づいたように少し考え、やわらかい声で続けた。

「春樹って、みんなの中心って感じだけどさ。でもそれって、みんな平等に同じ距離なんだよ。誰かだけ近づきすぎることはないっていうか」

 和也の言葉に、春樹の姿が自然と頭に浮かぶ。
 確かに、いつも周りと楽しそうにしていたけれど、どこか自分だけの距離感を保っている部分があった気がする。

「咲良ちゃんが付き合ってくれて、ほんとによかったよ。最近、あいつ、楽しそうで……あっ、この話、内緒な?」

「うん……できればこの話も」

「わかった。内緒にしとく」

 和也くんはそう言って笑った。

「でも、咲良ちゃんが聞くってことは、何かあったの?」

 和也が軽く首を傾げながら尋ねてきた。その問いに、私は一瞬言葉を失い、朱里と目を合わせる。

「ううん、ちょっと気になっただけ」

 とっさにそう答えると、和也は納得したように「そっか」と頷き、軽く後ろを振り返った。

「俺、そろそろ行かなきゃいけないから、また何かあれば聞いてよ」

 そう言うと和也は笑顔で手を振り、後輩たちの元へ戻っていった。朱里も小さく「ありがとー」と手を振り返す。

「まさか、いなかったなんてね。でもこれ、咲良としてはよかったんじゃない?」

「そう……なのかな。でも、これって何も解決してないよね」

「何言ってんの! 春樹のこと、少しは知れたんだし、一歩前進だよ」

 朱里は私を励ますように、力強くそう言った。

「あっ、ごめん。私もう部活行かないと!」

「着いてきてくれてありがとう!」

 朱里は軽く手を振って去っていった。その後ろ姿をぼんやり見つめながら、私は胸の奥に違和感が残っていた。

 春樹の「距離感」。あれは一体、どういう意味なんだろう?

 私は和也の言葉を反芻しながら、下駄箱へ向かう。

 ――みんなに平等だけど、それ以上は近づけない

 その言葉が頭の中で何度も繰り返された。

 靴を履き替えようとしたその時、ふいに背後から声がかかった。

「咲良!」

 驚いて振り返ると、春樹が立っていた。

「あれ、春樹まだ帰ってなかったの?」

 春樹は大袈裟に大きなため息をつく。

「職員室に呼ばれて、話が長いのなんの。咲良も今、帰りか?」

「うん。私も朱里と話してて、遅くなったんだ」

「じゃあ、一緒に帰ろうぜ」

 そう言って春樹は自然な仕草で下駄箱に手を伸ばし、靴を履き替えた。

 外に出ると、夕焼けが街を静かに染めている。私たちは今日の一日を振り返りながら、駅へ向かって歩いた。

 電車に乗り込むと、ちょうど空いた席があり、二人並んで座る。夕方のラッシュを避けた時間帯だったのか、車内は思ったより静かだった。

 ふと、目の前の広告スペースに貼られたポスターが目に入った。カラフルなデザインで、「夏祭り」の文字が大きく目立つ。

「あっ、夏祭り!」

 思わず声を上げると、隣の春樹が顔を向けた。

「祭り?」

「来週の土曜日にやるんだって」

 ポスターを指差すと、春樹も視線を向ける。

「この辺で一番大きい祭りだよな。クラスの奴らも行くって言ってた」

 毎年大々的に行われる、地元の一大イベントだ。

「花火も綺麗だよね」

 春樹は興味深そうにポスターを眺めてから、ふっと笑みを浮かべて私を見た。

「じゃあさ、一緒に行こうよ」

「えっ、本当に?」

 突然の誘いに驚き、思わず顔を上げる。春樹はにやりと笑っていた。

「春樹は友達と行くと思ってた」

「そんなわけないだろ? 咲良と一緒に行くに決まってるじゃん。俺たち付き合ってるんだから」

 その言葉に、胸が高鳴る。

「行きたい!」

 笑顔で答えると、春樹の目も少し輝いた。

「浴衣、着る?」

「え、浴衣? 似合うかな……」

「絶対、可愛いよ」

 春樹の言葉に顔が赤くなり、思わず笑いそうになる。

「じゃあ、浴衣着て行く! 花火、ちゃんといい場所取れるかな」

「任せとけ。早めに行って場所取っておくからさ」

 自信満々の春樹に、私はついくすりと笑った。

「楽しみだなぁ。久しぶりに行くし、しかも春樹と一緒だし」

 電車が次の駅に停まるアナウンスが流れ、私は悩んでいたことなんてすっかり忘れてしまった。来週の土曜日が待ち遠しくて、胸がワクワクして仕方なかった。