なつかしい桜の中で、君を感じた


 宣言通り、私は学校が終わるとその足で病院へ向かうようになった。

 入院していても、病気の進行は止まらない。
 私のことが誰かわかっていても、名前だけが出てこない日が増えていた。

 今日は金曜日。
 和也くんと並んで、病院へ向かう道を歩いている。

「ちょっと、コンビニ寄ってもいい?」

「いいよ。何、買うの?」

「あいつの好きなお菓子買ってこうかなって。入院食、に飽きてるだろうから」

 そんな他愛ない会話をしながら、コンビニに寄ってから病院へ向かった。

 廊下の奥、個室のドアに貼られた《佐野春樹様》の名前を見て、私は一度だけ息を整える。

「入るねー」

 軽くノックして声をかけると、中から間の抜けた返事が返ってきた。

「おー」

 ドアを開ける。

「春樹、元気かー」

 和也くんが、いつも通り明るく笑いかける。

 その瞬間。

 春樹は和也くんをじっと見つめ、困ったように眉を寄せた。

 ――あっ、この顔。

 嫌な予感が、遅れて胸に落ちる。

「咲良と……誰?」

 その一言で、部屋の空気が凍りついた。

 私が何か言うよりも早く、和也くんが一歩前に出た。

「俺は和也。お前の小学生からの幼なじみで――大・親・友!」

 そう言って、ニカッと笑う。

「和也……」

 春樹は、名前をなぞるように口にしたけれど、そこに確信はなかった。
 やっぱり、わからないんだ。

 和也くんは一瞬だけ、ほんの少し寂しそうに笑ったあと、すぐにいつもの調子に戻る。

「じゃあ、これからよろしく!」

 差し出された手。

 春樹は少し戸惑いながらも、ふっと笑って、その手を握った。

 私は、その様子を見つめながら、自分の手をぎゅっと握りしめることしかできなかった。

 和也くんは、強いな。

 私はあの日、泣くことしかできなかった。
 春樹に「ごめん」と言わせてしまった。

 和也くんの方が、私よりずっと長く、春樹と一緒にいたんだよね。

 幼なじみって、そういうことなんだ。

 和也くんは、持ってきた袋をガサッと鳴らした。

「ほら、差し入れ」

「お、ありがとう」

 春樹は素直に受け取って、中を覗き込む。

「……これ、全部俺の好きな菓子だ!」

 目を丸くして、少し驚いたように声を上げる。

「だろ?」

 和也くんは得意げに笑った。

「病院食ばっかじゃ飽きると思ってさ。俺が選んできた」

 春樹は袋を抱えたまま、しばらく中身を見つめていた。

「すげぇな。よく覚えてんな」

 その言葉に、和也くんの笑顔が一瞬だけ揺れた。

「当たり前だろ。幼なじみだぞ」

 そう言って、いつもみたいに軽く肩をすくめる。

 春樹は小さく笑って、袋を大事そうにベッドの横に置いた。

「……ありがとな」

 その一言が、少しだけゆっくりで、噛みしめるみたいだった。

 それからしばらく話して、最初はどこか気を張っていた春樹も、帰る頃にはただの友達のように笑い合っていた。
 記憶がなくても、きっと何かは残っている。そう思わせる笑い方だった。

「そろそろ、帰らねぇと」

 和也くんがそう言って立ち上がる。私も続いて立ち上がった。

「じゃあな、春樹」
「明日も来るからね!」

 そう言って、病室を出ようとしたときだった。

「なぁ、和也!」

 背後から春樹の声が飛んでくる。
 和也くんは驚いたように振り返った。

「どうした?」

 春樹は少し迷うように視線を泳がせてから、照れたみたいに笑った。

「また、来いよ」

 一瞬きょとんとしたあと、和也くんは大きく口角を上げた。

「当たり前だろ!」

 その言葉に、春樹も嬉しそうに笑う。
 その笑顔を胸に焼きつけるように、私たちは病室を後にした。

 廊下に出たところで、和也くんが足を止める。

「なぁ、咲良ちゃん」

 呼ばれて振り返ると、和也くんの目から、ぽろりと涙がこぼれた。

「俺さ……ちゃんと笑えてたよな」

 無理に明るくしようとした声が、少し震えていた。

 その姿を見るのが、どうしようもなく辛かった。
 胸の奥がぎゅっと締めつけられる。

「うん」

 それでも、私にはそれ以上の言葉が見つからなかった。