なつかしい桜の中で、君を感じた


 春の暖かな日差しの中、撫でるような優しい風が吹き抜ける。
 私は校門をくぐる前に立ち止まり、新しくなった制服の襟元を整えた。

 セーラー服はまだ体に馴染まず、その違和感が不安になって胸に広がった。

 小学校で仲の良かった友達とは別々の中学だでた。ひとりになる心細さから、気づけば予定より少し早く学校に着いてしまっていた。

 周囲を見渡すと、同じように新しい制服を着た人たちが、期待と不安を滲ませた表情で校舎へ向かっている。
 その流れに紛れるように、私も一歩、足を踏み出した。

 ――教室は、二棟か。

 案内図を手に渡り廊下へ出た、その瞬間。
 強い風が吹き抜け、手元のプリントがふわりと宙に舞った。

「あっ!」

 思わず声を上げ、私は慌てて追いかける。
 風が止むと、プリントは少し離れた場所に、ひらりと落ちていた。

 急いで駆け寄り、膝をついて拾い上げる。
 ほっと息をついた、そのとき――

 ふわり。

 目の前に、桜の花びらが舞い降りた。

 花びらの落ちた先に視線を向けると、一本の大きな桜の木が立っている。
 春風に揺れる枝。ざわり、と音を立てて、一斉に舞い上がる薄紅色。

 その光景を見た瞬間、胸の奥がずきりと痛んだ。

 ――思い出したくない。

 花びらが揺れるたび、あの日の桜が鮮明に蘇る。
 ドクン、と心臓が鳴り、胸がきゅっと締め付けられた。

「……忘れたいのに」

 思わず視線を逸らし、俯く。
 けれど、目を背けたところで、その記憶は消えてくれない。

「桜、綺麗だよな」

 突然、背後から声がした。
 驚いて振り向くと、同じ制服を着た男の子が立っていた。

「新入生だよな?」

「う、うん」

「俺は春樹。よろしくな」

「私は咲良」

 そう答えると、彼はにこやかに微笑み、私の隣に並んだ。

「さくらって、この桜?」

 彼は目の前の桜の木を指さす。
 私は黙って、頷いた。

「漢字は“咲く”のほうだけど」

「あー、わかった。春生まれだろ?」

「そうだよ。春生まれなのと、両親が桜好きでこの名前になったの」

「俺も、桜好きだよ」

 穏やかにそう言って、春樹は笑った。
 その笑顔は柔らかくて、名前の通り、春みたいな人だと思った。

 風に揺れる茶色の髪。
 周囲をほんのり温めるような、優しい雰囲気。

「桜ってさ、儚くて、でもあったかくて……記憶に残るよな」

 その言葉に、私は一枚の花びらへ視線を落とす。
 そっと手を伸ばし、静かに掴んだ。

「……私は、嫌いかな」

 私は、ほとんど聞こえないくらいの声で呟いた。

「ん? なんか言ったか」

「ううん、なんでもない」

 小さく答えて、手のひらの花びらをぎゅっと握りしめる。
 そして――地面へ、落とした。

 その瞬間、また風が吹き、桜が舞う。
 新しい花びらが、ひとひら、静かに落ちてきた。

 ――このときの私は、まだ知らなかった。
 この出会いが、忘れられないものになることを。