君となら、明日の朝も怖くない。

目を閉じるのが怖くて。
夜が終わるのが怖くて。
朝が来るのが怖くて。

どうしようもないこんな自分が、大嫌いだった。

頑張らないといけないのに、自分の足で立ち上がらないといけないのに。
心が、どんどん沈んでいって。目の前が、真っ暗になっていく。 

なにをどうすれば良いのか、なにもわからなくて。考えることすらできなくて。

そのまま全身が深く沈みかけた時。

「──そういう時は、"助けて"って言えばいい。"怖い"って。"苦しい"って。全部声に出せばいい」

その不器用で優しい手が、私を引っ張り上げてくれた。 

***

九月の昼下がり。夏休みも終わりしばらく経ったというのに、外のムシムシとした暑さはおさまる気配がない。
教室の中はエアコンが効いているけれど、窓際の席だと太陽光のせいで肌が焼けているような感覚がした。

席替えをしたのは、中学最後の夏休みが終わった翌日、始業式の後だ。心機一転だと言う担任の言葉に、一番前の席じゃなければどこでも良いか、なんて思っていた。だけど、まさか窓のすぐ横の席がこんなに暑いとは知らなかった。

日差しを恨めしく思いながら外を眺めていると、放課後を知らせるチャイムの音が鳴る。それを聞いて、私も含めみんな一斉に勉強道具を片付け始めた。

「じゃあみんな、ノートだけ提出していってね。特に連絡事項もないからホームルームも終わりにして帰りましょ。……あ、そうだ。桜庭さん、悪いんだけどこの後時間あったら、これ運ぶの手伝ってくれる?」

「え……あ、はい」

「ありがとう。じゃあそういうことで。みんな気を付けて帰るのよー。さよならー」

担任の佐藤先生の声に、みんな頭を下げて「さよならー」と返す。

早く帰れることに喜びながら次々に教室を出ていくクラスメイトたちを見送り、私、桜庭鈴音は重い腰を上げて佐藤先生の元へ向かった。山のように積み重なったノートを見て、ため息が漏れる。そこに自分のノートを重ねた。

「ごめんね桜庭さん。重いでしょ」

「大丈夫です」

私のクラスから職員室までは、階段で一階分おりる必要がある。いつもは日直か力のある男子生徒に頼んでいたはずなのに、どうして今日はどちらでもない私を?そう思ったけれど、

「本当は男子に頼むべきだとは思ったんだけど、桜庭さんと話したいことがあって」

そう口にした先生の顔を見て、どうして指名されたのかを察してしまった。

「……ほら、最近桜庭さん、遅刻が増えてきたじゃない? 受験のこととかでストレスもあるだろうし……。何か悩みがあるのかなって。それなら相談に乗りたいなと思ったの」

「……」

悩み事……か。

「……悩みなんてありません。大丈夫です」

一呼吸おいてからそう笑って見せると、佐藤先生は困ったように目尻を下げる。

「……そう? それならいいんだけど……」

だけど全然納得していなさそうな声に、私はさっさと終わらせようと早足で職員室へと足を進めた。しかしノートを佐藤先生の机に置いた後も、

「本当に何もない? 受験のこととか、試験のこととか、友達関係とか、家族のこととか。小さなことでもなんでも相談乗るわよ?」

と先生は何度も私に声をかけてくる。
大丈夫だと伝えているのに、信じてもらえない。それは職員室を出て教室に戻る道でも続き、あまりにもしつこくてだんだんとイライラしてきてしまった。

「ほら、桜庭さんは推薦の校内選考も目前に迫ってるでしょう? 今が一番大切な時期だから。無理しないでほしいの。だから何かあればすぐに──」

「──そんなのわかってますっ!」

教室の前で叫ぶように声を荒げてしまったのは、佐藤先生の言葉が少なからず私の心を焦らせたからかもしれない。"今が一番大切な時期だから"……そんなの。私が一番わかってる。

「……言われなくても、ちゃんと全部わかってます。だから大丈夫です。何も悩みなんてありませんから」

だからもう、何も言わないで。

「……そう。わかったわ。しつこく聞いちゃってごめんね。ノート運んでくれてありがとう。気を付けて帰ってね」

「はい」

困ったような、焦ったような表情で職員室へと戻っていく佐藤先生の姿を見ながら、私はもう一度ため息をついてから教室に入った。

もう誰もいないだろう。そう思っていたのに。

「あ……」

中には一人の男子生徒がいて驚いた。
……もしかして、今の聞かれてた?

そこにいたのは、クラスでも中心的な立ち位置にいる椿原拓人くん。今年に入って初めて同じクラスになった男子だけど、その存在は有名だからよく知っていた。
目がキリッとしていてかっこよくて、頭もよくて運動神経も抜群。やんちゃな人たちが集まるいわゆる一軍グループというやつにいるけど、椿原くん自体はあまり喋ったりするタイプではなく、そこがクールでイケメンだって同じ学年の女子たちから大人気の人だ。

私は正反対の静かなタイプだから、当然話したことはない。そんな雲の上の存在みたいな人とばっちり目が合い、驚いて思い切り顔を逸らしてしまった。

なんで椿原くんが!?というか、いくらなんでも今のは感じ悪かった、よね……。

すぐに後悔するけれど、もう一度目を向ける気にはなれなくて。ぎゅっと手を握りしめて私も早く帰ろうと小走りで自分の席に向かう。その間ずっと視線を感じていたような気がするけど、それに気付かないふりをして逃げるように教室を飛び出した。


翌日。
朝のアラームが鳴り響き、手を伸ばしてそれを止めるものの目が開かない。まだ寝ていたいけれど、遅刻するわけにはいかない。そう思って身体を無理矢理起こすと、くらりとめまいがした。

「っ……」

頭を抑えてその場から動けなくなる。目の前がチカチカして、頭まで痛くなってきた。

「もう、なんなの……」

──朝が来るのが怖い。そう思い始めたのはいつからだろう。

最近、いつもこうだ。夏休みが終わってからというもの、身体がいうことを全くきいてくれない。特に朝、寝起きのこの瞬間がたまらなく苦しい。

起き上がるだけで目眩がして、頭痛が止まらなくて、なんとなく胸が苦しくて。立ち上がるとふらついてうまく歩けなかったり、今みたいに目の前がチカチカしたり真っ白になったり。言葉で説明するのがすごく難しいけれど、とにかく"体調が悪い"のだ。

室内と外の温度差のせいか、それとも受験勉強のストレス? 自分でも気付かないうちに、プレッシャーでも感じている?確かに今は中間試験前だから遅くまで勉強しているし、寝不足の自覚はある。そのせいなのかはわからないけれど、私が最近遅刻が増えているのはこの体調の悪さが原因だった。

「鈴音、起きてる?」

ベットの上に座ったまま深呼吸を繰り返していると、ドアをノックする音が聞こえてお母さんが入ってきた。

「おはよう鈴音。お母さん、先行くからね。お弁当忘れないでよ」

「う、ん」

「もう、まだ寝ぼけてるの? 早く起きなさい。遅刻するわよ!」

「わかってる……」

「またなまけて! 最近寝坊ばっかりじゃない! また夜更かしでもしたの!? 受験生なのよ!? ちゃんと自覚しなさい!」

「……」

両親は共働きだ。すごく忙しいらしく、毎日私より先に家を出て夜遅くに帰ってくる。今日もベッドからなかなか動けない私を見て"なまけている"と思っているらしく、声を荒げながらも時間を見てバタバタと家を出ていった。

……なまけてるわけじゃないのに。寝不足ではあるけれど、真面目に勉強してただけなのに。だけど、自分を客観的に見たらそう思われるのも仕方ないんだろうと思う。

今まではどちらかと言えば朝に強くて、どんなに夜更かししてもアラームの音ですぐに起きられるタイプだった。それに、体調が悪いと言っても時間が経てばこのめまいもおさまり、帰るころにはいつも通りに元気になったりする。それなのに、朝だけこうなる。

だからお母さんも、私がなまけていると思っているのだろう。

朝起きられないことがこんなにしんどいとは思わなかった。
朝起きられないだけで、こんなにもダメな人みたいに思われてしまうなんて想像もしていなかった。

お母さんに説明しようにも、うまく言葉にはできないし忙しいお母さんに迷惑をかけたくない。具合が悪いのは朝だけなのがほとんどだから、信じてもらえないかもと思うと、それもまた怖い。

……朝が怖くて、たまらない。

「行かなきゃ……」

とにかく、このままここにいても仕方ない。私には今、第一志望の高校の推薦がかかっているのだから。
なんとか身体を動かして、ふらつきながらも制服に着替えた。

リビングに向かうとお弁当と朝ごはんが置いてあったけれど、食べる元気も時間も無い。仕方なくお弁当だけ持って、朝ごはんはラップをして冷蔵庫に。お茶を一口だけ飲んで家を出た。
家から学校までは歩いて二十分くらいだ。実際に歩くとかなり遠く感じるのに、具合の悪い朝だとなおさらだ。頭がガンガンしているのに、追い打ちをかけるように容赦なく私を照らす日差し。

顔に汗が滲み、ハンカチで雑に拭いた。しかし手が滑ってハンカチが地面に落ちていく。それを拾おうとしゃがんでから立ち上がった時。

「あ……れ……?」

急に、くらりと視界が揺れた。

目の前が真っ白になって、スーッと身体の力が抜けていく感覚。そしてそのまま、身体が斜めに傾いていく。

あ、やばい……。

そう思った時にはもう遅く、反射的に目をぎゅっと瞑った。……すると。

「──大丈夫か!?」

次の瞬間、力強い腕が伸びてきて包み込まれるように支えられた。

「……え……」

「どっかケガしてないか? ぶつけたりひねったりしてないか?」

驚いて目を開けると、焦ったような声が飛んでくる。

「あ、はい……。大丈夫、です」

その腕から離れて、お礼を言おうと後ろを振り向く。
だけど、その顔を見上げて私は目を見開いた。

「……椿原、くん?」

「あ? あぁ。……はよ」

「おはよう、ございます……」

「なんで敬語? まぁいいや。ケガが無いなら良かったよ」

私を助けてくれたのは、椿原くんだった。

「なんでここに……」

「俺ん家向こう。歩いてたら目の前で人が倒れかけてたから」

「そ、そうだったんだ……」

今までまともに会話をしたこともないのに、当たり前のように助けてくれた。それが信じられなくて、お礼を言うつもりがすっかり忘れてしまっていたことに気がつく。

「あ、あの。ありがとう、ございます」

慌てて頭を下げるけれど、まためまいがしてきてその場でふらつく。そんな私をまた椿原くんがさりげなく支えてくれて、申し訳ない気持ちになった。

「大丈夫かよ。具合悪い? 学校着いたら保健室行った方が良さそうだな」

「大丈夫ですっ……本当に、ありがとう。じゃあ、私先に行きますっ……」

「あ、おい!」

いたたまれなくて、申し訳なさすぎて。また逃げ出すように走り出す。椿原くんの声が聞こえたけれど、振り向かなかった。視界はくらくらしているし、足ももたついて何度も転びそうになる。だけどあまりにも自分が情けなくて、とにかく一秒でも早くその場からいなくなりたかった。

学校に着くころにはすっかり息が上がってしまっていて、玄関で靴を履き替えながらも今にも倒れてしまいそうなくらいふらふらしていた。
そのまま教室になんて行けるわけもなく、その場にしゃがみ込んで呼吸を整える。あちこちで飛び交うおはようの言葉の中に、私を見ている声も混じっていた。

「どうしたんだろ」
「保健室連れてった方がいいんじゃない?」
「先生呼んでこようか」

恥ずかしい。ものすごく見られているのが自分でもわかる。だけど今立ち上がったら倒れてしまいそうで、動くことなんてできない。

悔しくて、情けなくて、今すぐここから消えてしまいたくて。気持ちばかりが焦っていく。
早く行かなきゃいけないのに。とにかく立ち上がらないと。わかっているのに、身体がいうことをきかない。

「ほんとっ……なんでっ……」

強く瞑った目尻に涙が滲んだ時、

「……ほら、やっぱり具合悪いんだろ」

かけられた声の方をゆっくりと見上げると、少し汗をかいた椿原くんが困ったように私を見下ろしていた。

「無理すんなって。保健室行くぞ」

手を差し出されて、それをじっと見つめる。

もしかして、走って……?

それに引き寄せられるように私も手を伸ばそうとしたけれど、椿原くんに対する黄色い声が周りから聞こえた瞬間、自分の手を慌てて引き戻す。

「だ、大丈夫です。本当に」

「あ? どこが。とにかく行くぞ」

呆れたような表情の椿原くんが、私に手を伸ばそうとした時。

「はいはいそこ避けてねー」

タイミングが良いのか悪いのか、保健室の先生がやってきて私たちの間に入る。

「あら、顔真っ青ね。とりあえずベッドで休もうか」

そのまま身体を支えられて立ち上がり、保健室へと足を進めた。私の手を掴もうとしていた椿原くんの手が、行き場を失う。だけど、それを気にしている余裕など私にはもう無かった。 


「熱はなさそうね。昨夜はちゃんと寝た?」

「……あんまり」

「いつも通り試験勉強? 偉いけど、ほどほどにしないとね。最近ここに来る回数も増えてるみたいだから」

「……はい」

「とりあえず教室戻って、しんどかったらもう一度おいで」

「ありがとうございます」

結局ホームルームが始まるギリギリまで休ませてもらい、保健の先生にお礼を言ってから教室へ向かう。そこには当たり前だけど椿原くんの姿があって、私が入ってきたのを見ると、少しだけその表情が動く。

何か話しかけようとしているようにも見えたけれど、すぐに佐藤先生が入ってきたため急いで席に向かう。もう一度ちらりと椿原くんの方に視線を向けてみるけれど、もう彼は私の方を見ていなかった。

「鈴音ー、おはよう」

「凛ちゃん。おはよ」

ホームルームが終わってすぐ、クラスで一番の仲良しの凛ちゃんが話しかけてきた。

「今日も具合悪かったの? 今は大丈夫?」

「うん、朝よりは。でもまだちょっとめまいはしてる」

「そっか……」

凛ちゃんとは中学に入学した時からずっと仲良くしてくれている女の子。そして私のこの体調不良のことを知っている、唯一の友達だ。
最初は誰にも言うつもりはなかった。だけど、今まで無遅刻無欠席で真面目に勉強していた私が急に変わったため、凛ちゃんが心配してくれたのだ。そこで初めてこのつらさを口にすることができて、凛ちゃんも"力になれることはないかもしれないけど、話ならいくらでも聞くからね!"と言ってくれた。その言葉だけで私は救われている。

「今日体育からだけど大丈夫?」

「うん。一回行ってみて、無理そうだったら見学しようかな」

「うん、そうしよ。保健室行くなら私うまく言っておくから!」

「ありがとう凛ちゃん」

ここ数日体育も見学が増えてしまっていたため、そろそろちゃんと参加しないと内申点がやばい。憂鬱なままジャージを持ち、体育館横の更衣室で着替えてグラウンドへ。しかし、授業内容が長距離走だと知り凛ちゃんと一緒に呆然としてしまった。

「出席番号順に五人一組に並べー。タイム測るからなー。見学したやつは次の授業で走ってもらうから、今走っておいた方が楽だぞー」

体育の先生の声に、見学しようかと言っていたクラスメイトたちは諦めたように先生の元へと向かっていく。

「鈴音はどうする?」

「うん……とりあえず走ろうかな。次回一人で走る方が嫌だもん」

「そうだね……。でも本当に大丈夫? 無理しないでね。何かあったらすぐ言いなよ?」

「うん。ありがとう」

長距離走のトラックの向こうでは、男子たちがサッカーをしていた。すでに試合を始めているのか、ボールを蹴る音と指示や応援の叫び声が聞こえてくる。
ふと、その中にいる椿原くんの姿が目に入った。いつもの感じから想像すると、サッカーも真面目にはやらないのかと思っていた。だけど意外にも、椿原くんは積極的にドリブルをしてチームの子にパスを回している。そしてまたボールを取り、ドリブルをしてゴールにどんどん近づいていく。
一人、また一人と相手チームを抜いていき、そのままゴールへ向かってシュートを放つ。そのままゴールに吸い込まれていったボールを見て、息を呑んだ。

「すごい! 今の見た!? 椿原くんかっこいい!」

「見た見た! かっこよすぎる!」

周りの女子たちが口々に歓声を上げる中、私も同じように椿原くんから目を逸らせなくなってしまっていた。
……キラキラしてて、かっこいい。
普段クールであまり表情も変えないのに、今の椿原くんは楽しそうに笑っていて。いつものやんちゃなグループの子たちが椿原くんに抱きついたり、頭を撫でたりするのを照れたように逃げたりして。なんだか、椿原くんのイメージが少し変わっていくような気がした。 

「こら次! 男子に見とれてないで準備しろ!」

キャーキャー言っている声に呆れたように笛を吹く先生。その音に慌てて周りの子たちとスタートラインに立つと、笛の合図で一斉に走り出した。
トラック七周半と少し。なかなかきつい距離を走り始めたものの、最初の三周ほどを走った時点でもう頭がくらくらしてきてしまった。だけど、次回もう一回なんて絶対に嫌。どうにか息を吸って手を振り、ゴールを目指した。

「鈴音! 大丈夫!?」

「っはぁっ、はぁっ、はぁっ……うん、だい、じょぶっ……はぁっ」

無事に走り終えたころにはまるで呼吸困難にでもなったかのように息が苦しくて、心臓がバクバクしていて涙がにじむほどだった。足もガクガクしていて、体力の無さを痛感する。これから走る凛ちゃんを見送り、他の子たちが休んでいる木の下に座り込んだ。

そこはちょうど男子のサッカーも見えるところで、周りもすごく盛り上がっていた。椿原くんは試合こそもう出ていなかったけれど、自然とその姿が目に入る。すると、かなりの距離が離れているはずなのに椿原くんと目が合ったような気がした。

「っ……」

まさか。こんな距離で目が合うわけないのに。

「ちょっと! 椿原くん、こっち見てない!?」
「ていうか、さっきうちらが走ってるのじっと見てたよね!」
「うそー、絶対やばい顔してた! 最悪じゃん!」

ほら、私と目が合ったわけじゃない。誰か他の子を見てたんだ。そう納得して、まだ落ち着かない呼吸を整えるために体育座りをした膝に顔を突っ伏した。




***

それから一週間後。

「本当、なんで……?」

私はいまだ朝の体調不良に悩まされていた。
ここ数日は遅くまで起きていることをやめて早く寝ていたのに。寝る時間が多くなれば、いずれ体調も良くなると思っていたのに。良くなるどころか、日に日に悪化しているように感じてしまう。

「鈴音! 起きなさい! 今日からテストでしょ!?」

「うん……」

「今回のテストが推薦の選考に大きく関わるって四月に先生から言われたでしょ! 早く起きて行きなさい!」

「……っわかってるって! 頭痛いの! 響くからあんまり大きな声出さないでよっ……」

お母さんに思わず叫んでしまい、ハッと気がついた時にはお母さんが目を見開いていた。

「あ……」

こんなの八つ当たりだ。お母さんは私の受験を応援してくれているだけなのに。

「ご、ごめんなさい」

急いで謝ったけれど、お母さんは

「……お母さんもごめん。もう時間無いから行くけど、頭痛いなら薬だけ置いておくから飲みなさい。ご飯はしっかり食べるのよ」

気まずそうに目を逸らして、そのまま仕事に行ってしまった。多分、また私がなまけていると思っているんだ。もしかしたら"ついに仮病まで"なんて思っているのかもしれない。あの目は、信じてくれていない時のものだとわかるから。

「はぁ……行かなきゃ」

吐き気は……今のところ大丈夫。とりあえず学校に行かないと。無理矢理身体を起こして、リビングでお母さんが用意してくれた頭痛薬を飲む。今日も朝ごはんを食べる時間なんて無い。薬が効くことを信じて、お弁当を持って家を飛び出した。

今日から中間テストだ。狙っている高校の推薦をもらうためには、今回のテストはかなり重要だ。それはわかっている。
……だけど、正直言えば、全く自信がない。今までで一番酷い点数なんじゃないかと、恐怖心すらあった。毎日夜遅くまで勉強していたのに。これで点数が悪かったら、推薦も危ないし余計にお母さんに信じてもらえなくなってしまう。

「どうしたらいいんだろ……」

ふらつく足取りでボーッとしながら進んでいると、小石につまずいて転びそうになった。そこに突然腕が伸びてきて、支えられる。

「っと。大丈夫かよ」

「え……あれ、椿原くん?」

「……顔色悪いな」

見上げると、そこには椿原くんが眉をひそめて私を見下ろしていた。

「どうしてここに」

「だから俺ん家向こうなんだって。来る時にちょうど桜庭がまた倒れそうになってるから」

……今日は小石につまずいただけだなんて、恥ずかしすぎて言えない。

「ありがとう。もう大丈夫」

「この間もだけど、どこが大丈夫なんだよ。顔色悪いしまた具合悪いんだろ?」

「そんなこと……」

「とりあえずまた倒れられたら困るから、一緒に行ってやるよ」

「え」

「なんだよ、嫌か?」

「う、ううん。ありがとう」

びっくりして聞き返してしまったけれど、椿原くんは当たり前のように私の隣に並んで歩き出す。確かに目の前で人が倒れそうになったり転びそうになったり、落ち着いて登校はできないよね。申し訳ない気持ちになりながら私も歩き始めると、椿原くんは私の歩幅に合わせるようにゆっくり進んでくれた。

「今日からテストだろ。桜庭は今回どんな感じなの」

「私は……それが、全然できそうもなくて」

「え、いつも成績良いだろ」

「そんなこと……今回も勉強はしてたんだけど全然自信無いの。椿原くんは?」

「俺も今回は全然。平均超えれば満足。志望校もはっきり決まってるわけじゃないし」

「そっか。でも椿原くんいつも成績上位だよね。志望校も決まってるんだと思ってた」

「全然。行きたいとこもないし。それに俺より頭いいやつに上位なんて言われても嫌味にしか聞こえねーよ」

私をチラ見しながら笑う椿原くんに、心臓がキュッと締め付けられる。
なんだろう、この気持ち。すごく変な感じ。

「桜庭は推薦だっけ?」

「……うん。もらえれば、だけど」

「なに、あぶねーの?」

「今回のテストの結果によっては、推薦もらえないかもしれなくて」

「マジかよ。やべえじゃん」

「うん……」

そんな大事なテストの日も、朝起きれないなんて。
……私はなんてダメな人間なんだろう。これからテストなのに、考えれば考えるほど落ち込んでしまう。

「じゃあ、一緒にがんばろーぜ」

「……え?」

「こうなったら、俺も桜庭も今できることするしかねーだろ」

私の方を見てニッと笑った椿原くんに、目を丸くする。

「そんなに緊張しないで肩の力抜けよ。その方が頭も回るだろ」

椿原くんは、励ますつもりなんてなかったかもしれない。だけど、今の私にはその言葉が胸に沁みて。

「……うん」

心の奥の冷え切ったところが、柔らかい何かでそっと照らされたような。そんな気がした。
それから学校に着くまで、ぽつりぽつりと些細な話をした。ついこの間までまともに会話したこともなかったのに。想像もしていなかった展開に、まだ頭が追いついていかない。

「顔色もマシになってきたみたいだし、ここまで来れば大丈夫だろ。じゃあ俺、先行くから」

「あ、うん。ありがとう……」

「あと、これやる」

「え?」

「どうせ朝もほとんど食べてないだろ。糖分。誰にもバラすなよ?」

目立たないようになのか、門の前でそう言って駆け足で進む椿原くんを見送る。渡された小さな飴玉。シュワシュワりんご味と書かれたそれを見つめながら、もう一度椿原くんを見つめる。
……本当はすごく優しい人なのかもしれない。

そして、自分の体調がだいぶ良くなっていることにも気が付いた。気が紛れたのか、久しぶりに男の子と話して緊張していたからなのか。どちらにしても、椿原くんのおかげで遅刻せずにすんだ。椿原くんのおかげで、少し緊張がほぐれた。

そんな些細なことが、今の私にはすごく嬉しい出来事だった。