彼の部屋は弁護士という立場に相応しい、高層階の角部屋だった。
リビングに足を踏み入れた瞬間、視界いっぱいに光の粒が飛び込んできた。
ダイレクトウィンドウからは、雨に濡れて滲む都心の夜景が一望できた。まるで宝石箱をひっくり返したような、圧倒的な煌めき。
しかし、その華やかさとは対照的に、部屋の中は異様なほど静まり返っていた。
家具は最低限のソファとローテーブルだけ。壁には絵画ひとつなく、棚も空っぽ。
物は存外少なく、生活感といったものが微塵も感じられず、どこかモデルルームのように殺風景に映った。
折原さんは窓際に歩み寄り、ガラス越しに下界を見下ろした。
雨に濡れたスーツの背中が、夜景の中に溶け込んでしまいそうだ。
「君のその彼氏とやらも、こういった場所に住んでいるんだろう」
彼は振り返りもせずに言った。
「たまに『はやく一緒に暮らしたい』なんて言いながら、『そのために金が必要だ』と唆す。……違うか」
心臓が跳ねた。
まるで、私の記憶を覗き見ているようだった。
「……なんで、わかるんですか」
震える声で尋ねると、彼はガラスに映る自分の顔に向かって、自嘲気味に笑った。
「『フューチャー・ペーシング』だ」
「フューチャー……?」
「未来を想像させて、現実の判断力を奪う心理テクニックだ。豪華なタワマン、煌びやかな夜景、成功した未来の自分……それらを具体的に見せることで、相手は『この生活を手放したくない』と錯覚する」
彼はゆっくりと振り返り、冷たい目で私を射抜いた。
「奴らにとって、この夜景はただの『舞台装置』だ。君を酔わせて、財布の紐を緩めるためのな」
言われてみれば、彼はいつも景色のいいラウンジや、高級なホテルのロビーで将来の話をした。
『夏菜とこういう場所で暮らすのが夢なんだ』
その言葉に、私はどれだけ舞い上がっていただろう。
「……全部、計算だったって言うんですか」
「ああ。君が見ていたのは『夢』じゃない。脚本だ」
折原さんはソファに置いてあったバスタオルを掴むと、無造作に私へ放り投げた。
「現実に帰ってこい。風邪をひくぞ」
バサリ、と頭からタオルを被せられる。
柔軟剤の香り。それは彰のつけている高い香水の匂いとは違う、清潔で、どこか寂しい匂いがした。
「シャワーはあっちだ。着替えは……適当なものを探して置いておく」
「あ、ありがとうございます……」
「勘違いするなよ。俺の部屋で風邪ひいて肺炎でも起こされたら、死体処理より面倒だ」
彼はそう憎まれ口を叩くと、濡れたジャケットを脱ぎ捨て、キッチンの奥へと消えていった。
残された私は、広すぎるリビングで一人、タオルを強く握りしめた。
窓の外の夜景は、さっきよりも少しだけ、冷たく見えた。



