執行猶予の恋人




私は、彰が出て行ったドアを茫然と見つめていた。

カラン、というベルの音だけが、虚しくカフェに響く。

「……あんな風に逃げるってことは」

ぽつりと、自分の口からこぼれた声は、ひどく震えていた。

視界が急に歪み始める。

「私、やっぱり騙されてたんですね。……カモにされてたんだ」

ぎゅっと目を瞑ると、堪えきれずに涙がポロポロと零れ落ちた。
お金を取られそうになった怖さよりも、何度もデートをして、一緒に笑い合った彼のあの優しい時間が、最初から全部『嘘』だったという事実が、心を容赦なくえぐっていく。

折原さんは何も言わず、ただ静かに、テーブルに突っ伏して泣きじゃくる私を見下ろしていた。

やがて、乱暴な手つきで私の目の前に、アイロンのかかった清潔なハンカチが置かれる。

「……ありがとうございます」

私はハンカチを握りしめ、涙を拭いながら、震える声で問いかけた。

「でも本当、どうしてここまで? わざわざ彼と会うって言った場所を覚えてて、法人登記まで調べたり……」

鼻をすすり、目の前の大きな男を見上げる。

「先日、偶然、行きずりで会っただけの女に、普通そこまでしませんよ」

その問いに、折原さんの氷のように冷たい目が、微かに揺らいだ気がした。

彼は視線を私から外し、窓の外の何もない空間へと向ける。その横顔は、初めて会った時に見た、あのひどく傷ついた『切実な目』と同じだった。

「……普通は、しないだろうな」

ぽつりと呟かれた声には、先ほどまでの威圧感は欠片もなく、ただ深い疲労と後悔だけが滲んでいた。


「ただ、俺はもう普通の人間じゃない。もう死ぬ、と言っただろう」

低く、静かな声だった。
カフェのBGMに溶けてしまいそうなほど、ひどく寂しい響き。

「色々と恨みを買う仕事もしてきたものでね。自己満足の、罪滅ぼしのようなものだ。最後に少しでもいいことをしたと思って死にたかった。それだけだ」

そう言って立ち上がった彼の背中は、さっき詐欺師を理詰めで追い詰めた無敵の弁護士の姿ではなく、今にも崩れ落ちてしまいそうなほど脆く、痛々しく見えた。