流行の中心を生きるファイターは、いつの時代にもいる。沙莉は、その典型だった。バイタリティーは本物で、行動力もエネルギーも並ではない。ただ、今回に限って言えば、場所が悪かった。富士山だった。――インスタ映え。その一言で、沙莉は山に入った。装備は最低限。天気予報も一応は確認したが、読みは甘かった。観光地の顔をした山を、数ある背景のひとつだと勘違いしていた。山を、甘く見ていたのだ。九合目近くで、様子が一変した。風が吹きつけ、体温が奪われ、足が前に出なくなる。低体温症だった。山小屋に保護され、温かい飲み物を与えられ、意識はかろうじて保たれた。富士山では、夏でも低体温症は起きる。滑落、高山病、救助要請。毎年のようにニュースで目にしてきた話だ。知っていたはずだった。だが、考えなかった。連絡は、まず菜名に入った。そして、その相談が俺のところに回ってきた。
「菜名は、どうしたい」
「沙莉を迎えに行きたいです。マイクさんも一緒に……」
断る理由はなかった。俺と菜名は、山小屋まで迎えに行くことになった。
車を走らせながら、俺は彼女の話を聞いた。沙莉が何を好み、どこへ行き、どんなふうに生きてきたのか。メジャーリーグ。京都。ランドとシー。ユニバーサル。熱海温泉。富士山。ユニクロ、ルイ・ヴィトン。ダーツ。ナイキ、iPhone。ロボット掃除機、家電のスマート化。流行りの髪型、話題の映画。それらを逐一、インスタグラムに上げる。そこに彼女は、人生を賭けてきた。だが、投稿に感情はない。評価もない。並んでいるのは、行動の記録だけだった。菜名の話では、海外でも小さなトラブルがあり、たまたま現地在住の日本人に助けられたこともあったらしい。金曜の仕事終わりに高速バスで京都へ行き、土日は観光し、月曜の朝には何事もなかったように出勤する。海外にも行く。メジャーリーグも観に行く。ランドにも、シーにも足を運ぶ。どこへ行っても、沙莉はスマホのファインダー越しに世界を見ていた。俺には、少しもったいなく思えた。風の冷たさ、匂い、湿度、その場にしかない空気。たとえば、あの球場で起こるウェーブ。それが来ても、彼女はスマホから目を離さず、片手を義理で少し上げるだけだろう。下界との接点は、彼女にとっていつもスマホの画面だった。必要なのは、構図と光と、自分の立ち位置だけ。それ以外には、あまり興味を示さない。以前、菜名と一緒に探偵事務所へコーヒーを飲みに来たことがある。そのときも、入ってから帰るまで、スマホから目を離さなかった。画面の中の自分のほうが、画面の外の現実より大事に見えた。
弾丸登山は、俺たちにも容赦なく洗礼を浴びせた。無理はせず、慎重に登った。山小屋で合流し、沙莉に厚着をさせ、三人で下山する。病院で診察を受けたあと、俺は決めた。埼玉に戻る前に、宮城の実家まで送ろう。
「宮城まで送るぞ」
道中、菜名は等身大の言葉で、沙莉と話し続けていた。電池の切れたスマホを、沙莉はずっと手に握りしめていた。誰にも正解はわからない。ただ、同じ空間で、同じ時間を過ごし、言葉を交わし、理由を確かめ合う。その積み重ねの先で、何かが少しずつ見えてくる。そう感じた頃、宮城の実家に着いた。両親が揃って出迎えた。母親は涙を浮かべ、父親は黙って頭を下げた。そのとき、沙莉はスマホをバッグにしまった。
帰り道、菜名が言った。
「どこへ行っても、ルールってあるんですね」
「ああ、そうだな」
俺はハンドルを握った。
「海外にも、京都にも、浅草にも、海にも山にもある。守れって話じゃない。ただ、それを考えろってことだ」
富士山の写真は、きっとインスタに残る。だが、それだけじゃない。寒さ、沈黙、向き合った時間。説明しなければ伝わらない記憶も、彼女の中に残る。話し、考えることをやめなければ、人は何度でも、関係を編み直せる。
「菜名、温泉にでも泊まっていくか?」
「いいですね。どこにします?」
「秋保かな」
「作並がいいです。美人の湯ですよ」
「秋保の泉質はピカイチだろ。じゃあ、じゃんけんだな」
後日、埼玉に戻った沙莉は、笹かまを持って事務所に遊びに来た。両親からの手紙と土産を抱えていた。
「笹かま?」
久美子が飛びつき、封を切る。
「マイクさんたら、手ぶらで帰ってきたんですよ!」
その日、沙莉はスマホを見ていなかった。地に足がついているように見えた。彼女は言った。少しの思考と、少しの注意。それだけで、趣味の世界と現実の間に起きるボタンの掛け違いは、防げたはずだったと。インスタで闘って一番になる必要はない。自分の心の中で一番であれば、それでいい。そういう結論に、ようやく立てたらしい。俺は言った。命を粗末にするな。医者や看護師、介護の現場、世界のどこかには、一秒でも一分でも長く生きてほしいと願い、必死に誰かと向き合っている人たちがいる。生きるか死ぬかを賭けなくても、人生は、ちゃんと楽しめる。その言葉に、彼女は黙ってうなずいた。答えは、これから日々更新していけばいい。理由を語り合えたなら、それで十分だ。俺は、そう思っている。
「菜名は、どうしたい」
「沙莉を迎えに行きたいです。マイクさんも一緒に……」
断る理由はなかった。俺と菜名は、山小屋まで迎えに行くことになった。
車を走らせながら、俺は彼女の話を聞いた。沙莉が何を好み、どこへ行き、どんなふうに生きてきたのか。メジャーリーグ。京都。ランドとシー。ユニバーサル。熱海温泉。富士山。ユニクロ、ルイ・ヴィトン。ダーツ。ナイキ、iPhone。ロボット掃除機、家電のスマート化。流行りの髪型、話題の映画。それらを逐一、インスタグラムに上げる。そこに彼女は、人生を賭けてきた。だが、投稿に感情はない。評価もない。並んでいるのは、行動の記録だけだった。菜名の話では、海外でも小さなトラブルがあり、たまたま現地在住の日本人に助けられたこともあったらしい。金曜の仕事終わりに高速バスで京都へ行き、土日は観光し、月曜の朝には何事もなかったように出勤する。海外にも行く。メジャーリーグも観に行く。ランドにも、シーにも足を運ぶ。どこへ行っても、沙莉はスマホのファインダー越しに世界を見ていた。俺には、少しもったいなく思えた。風の冷たさ、匂い、湿度、その場にしかない空気。たとえば、あの球場で起こるウェーブ。それが来ても、彼女はスマホから目を離さず、片手を義理で少し上げるだけだろう。下界との接点は、彼女にとっていつもスマホの画面だった。必要なのは、構図と光と、自分の立ち位置だけ。それ以外には、あまり興味を示さない。以前、菜名と一緒に探偵事務所へコーヒーを飲みに来たことがある。そのときも、入ってから帰るまで、スマホから目を離さなかった。画面の中の自分のほうが、画面の外の現実より大事に見えた。
弾丸登山は、俺たちにも容赦なく洗礼を浴びせた。無理はせず、慎重に登った。山小屋で合流し、沙莉に厚着をさせ、三人で下山する。病院で診察を受けたあと、俺は決めた。埼玉に戻る前に、宮城の実家まで送ろう。
「宮城まで送るぞ」
道中、菜名は等身大の言葉で、沙莉と話し続けていた。電池の切れたスマホを、沙莉はずっと手に握りしめていた。誰にも正解はわからない。ただ、同じ空間で、同じ時間を過ごし、言葉を交わし、理由を確かめ合う。その積み重ねの先で、何かが少しずつ見えてくる。そう感じた頃、宮城の実家に着いた。両親が揃って出迎えた。母親は涙を浮かべ、父親は黙って頭を下げた。そのとき、沙莉はスマホをバッグにしまった。
帰り道、菜名が言った。
「どこへ行っても、ルールってあるんですね」
「ああ、そうだな」
俺はハンドルを握った。
「海外にも、京都にも、浅草にも、海にも山にもある。守れって話じゃない。ただ、それを考えろってことだ」
富士山の写真は、きっとインスタに残る。だが、それだけじゃない。寒さ、沈黙、向き合った時間。説明しなければ伝わらない記憶も、彼女の中に残る。話し、考えることをやめなければ、人は何度でも、関係を編み直せる。
「菜名、温泉にでも泊まっていくか?」
「いいですね。どこにします?」
「秋保かな」
「作並がいいです。美人の湯ですよ」
「秋保の泉質はピカイチだろ。じゃあ、じゃんけんだな」
後日、埼玉に戻った沙莉は、笹かまを持って事務所に遊びに来た。両親からの手紙と土産を抱えていた。
「笹かま?」
久美子が飛びつき、封を切る。
「マイクさんたら、手ぶらで帰ってきたんですよ!」
その日、沙莉はスマホを見ていなかった。地に足がついているように見えた。彼女は言った。少しの思考と、少しの注意。それだけで、趣味の世界と現実の間に起きるボタンの掛け違いは、防げたはずだったと。インスタで闘って一番になる必要はない。自分の心の中で一番であれば、それでいい。そういう結論に、ようやく立てたらしい。俺は言った。命を粗末にするな。医者や看護師、介護の現場、世界のどこかには、一秒でも一分でも長く生きてほしいと願い、必死に誰かと向き合っている人たちがいる。生きるか死ぬかを賭けなくても、人生は、ちゃんと楽しめる。その言葉に、彼女は黙ってうなずいた。答えは、これから日々更新していけばいい。理由を語り合えたなら、それで十分だ。俺は、そう思っている。

