剛腕令嬢、最後のお見合いにいったら氷竜王に溺愛されました

「わかりました。本当にこれが最後ですわね。絶対ですよ。これを最後に2度とお見合いなんてしませんから」

伯爵令嬢、ハイネ・エンフィールドは苛立ちを抑えながらもきっぱりと言い切った。

「そうかそうか、行ってくれるか」

父、エンフィールド伯爵は目に溜まった涙を拭いながら安堵の息を吐いた。

ハイネはそんな父の姿に複雑な気持ちになる。

ああ、またお父様の泣き落としにまんまと流されてしまったかもしれない。

ハイネは今年17才になる伯爵令嬢、腰まである金色の美しい髪、すみれ色の瞳を持つ美少女だ。

見た目だけならたおやかな深層のご令嬢だが、彼女には令嬢らしからぬある特徴があった。

「いいかい、ハイネ。くれぐれもおしとやかにしておくれ。
これが最後のチャンスだと思って」

「私はいつもしとやかですわ」

「いや、そうだが。
そういうことではなくてだね」

父があまりにも必死なので、ハイネは嘆息する。

「わかっています、私だって。今度こそ無難にお見合いを終わらせたいですから」

「無難にではなくちゃんと成立させないと」

「ですが、相手が私を好きになるかわかりませんでしょ。私だって、好きでもない方に嫁ぐのは嫌です」

「ハイネや、わかっておくれ。おまえはもう選べる立場ではないんだ。それでも今度のお方は願ってもないほどの尊いご身分の方なのだよ」

ハイネは首を傾げる。

ここルーデンス王国は大国に挟まれながらも、農業に適した肥沃な大地を有する豊かで平和な国だ。

その中でも由緒ある上位貴族の伯爵が、尊い身分と言うほどの貴族の青年に心当たりは無かった。

なにせ、伯爵家より身分が高い年頃の男性にはことごとく見合いを断られたはずだったから。

それどころか、伯爵家よりも低い家格の相手との見合いも失敗続きなのだ。

「この見合いが成立した暁には、おまえは最高の貴婦人になれるよ。我が家をないがしろにした第三王子にもひけをとらないほどのお方だからね」

「は?お父様っ」

ハイネは持っていた扇をグッと握りしめた。

「そのことはもうおっしゃらないでと言ったはずでしょ」

彼のことを思い出すだけで、胸の奥の古傷が抉られた。

「いや、だがね。私はまだ彼の方を許せないのだよ。おまえのことをあんな風に傷つけたんだから」

「……」

自分ばかりでなく父や母にも惨めで辛い思いをさせてしまった。

申し訳ない気持ちになるけれど、ハイネ自身はもう忘れたかった。

それなのに、まだ耳に残る第三王子、カイルの嘲りの言葉に歯噛みした。

『勘弁してくれ。あんな怪力女と結婚などしたら王室100年の恥、になるだろうよ』

バキバキと握り込んでいた扇が音を立てると父伯爵は青ざめた。

「ひっ、だからそれをやめなさいと言ってるだろ」

「お父様が、嫌なことを思いださせるからですわ」

「落ちついて、さあ深呼吸でもして怒りを抑えなさい」

粉々に粉砕された扇は彼女用の特注品だった。職人が人間の力では絶対に壊れることはありませんと太鼓判を押していたというのにいとも簡単に砕かれてしまった。

生まれたその日から決まっていた王子との婚約は、1年前に一方的に破棄された。

それから伯爵が血眼になってこぎつけたお見合いは15回連続で断られ続けた。

すべては彼女のこの力のせいだったのである。

第三王子との婚約が破棄された時点で彼女の噂は矢のように社交界を駆け巡り、今やこの国に彼女を妻にと望む貴族はいなくなってしまった。

父伯爵は娘が不憫でならないと言って、もはや貴族階級の男との結婚は諦めて平民にも視野を広げてようとさえしていた。

そんな矢先、思わぬところから高貴な見合い相手が見つかり狂喜乱舞した父。だが娘はなかなか首を縦に振らなかった。

一晩かけて叱りつけられたり泣き落とされたり。

心配されているのはわかるが、ハイネ自身はすっかり自信をなくしてしまっていた。

「ああ、せめてお前のその怪力が魔力によるものだと認めてもらえたらよかったのだがなあ。そうすれば、王立魔法学園に入学できたものを」

今更言ってもどうしょうもないことを繰り返す伯爵にハイネは呆れてしまう。

「お父様ったら、もういいかげん諦めて下さい。私はとっくに未練はありません」

多少強がりを含めてハイネは言う。

王立魔法学園とはエリート学校として名高く魔力のある者だけが入学できる学園だ。

魔力さえあれば平民にも広く門戸が開かれており、卒業すれば結婚や就職に困ることは無いらしい。

もしも、この力が魔法によるものだと認められたら、あるいは結婚以外にも生きる道があったかもしれない。

それに何より魔法が重んじられるこの国ではハイネがこれほど笑い者にされることはなくなるだろう。

が、その夢もあえなく散ってしまった。

魔法学園の入学試験では魔力判定がほぼ0だったため不合格だった。

それは同時に、ただの怪力女=令嬢失格と最後通告されたことに等しい。

そこから父はますます見合い相手を探すことに躍起になっていき、娘の方は断られるたびに男性不審になっていったのだった。

ハイネにとっては結婚など、もはやどうでもよかった。

夫に怪力女と罵られるよりもこのまま優しい家族に囲まれて暮らしていければ、それでいいと思う。

幸い、伯爵家には広大な領地と潤沢な資産がある。

自分もできる限り働いて苦労をかけてしまった両親の力になりたい。

結婚は出来ないかもしれないけれど、せめてその代わりに精一杯、親孝行ができたら。

ひそかにそう願う娘の気持ちに反して父としてはまだ娘の普通の幸せを諦めきれないのだろうとハイネは思う。

「とにかく、最後のチャンスだ。王都の一流デザイナーに早速ドレスを仕立てさせよう。それにマナーの講師を呼ぶから指導を受けなさい」

とうの本人よりも何倍も張り切る父にハイネは心の中で苦笑する。

そんなことをしても無駄なのに、という言葉は父が気の毒なので言えなかった。

見合いが駄目だった時の父の落胆ぶりを今から想像してしまい暗い気持ちになるハイネだった。

それから1ヶ月後、ハイネは見合い相手の邸に向かうため馬車に揺られていた。

「アンナどうしましょう。やっぱりこのドレス、少しきつくて苦しいのだけど」

「我慢です、お嬢様」

女性の美しい曲線を重視したドレスは、息苦しくて仕方なかった。

純白の生地に繊細なレースが施されている衣装を身にまとったハイネは純真そのものだ。

けれど、こんな花嫁衣装のようなドレスを着ていくなんて相手に対してプレッシャーになるんじゃないだろうか。

父のなみなみならぬ執念が見てとれるのもゾッとする。

なんとしても、この行き遅れそうな娘を押し付けようとしているようだ。

そんな父はというと、お見合いの準備に張り切りすぎて熱を出してしまい、なんと床に伏せってしまった。

這ってでもついてくると言ってきかなかったがなんとか押しとどめてハイネは1人見合いに行くことになった。

おつきのアンナと御者のミハエルだけを供に連れていくことにした。

お供の人数は伯爵令嬢の外出にしては一般的に言って少なすぎる。

というのもハイネは伯爵家のだいたいの使用人たちから恐れられているからだ。

普段から身の回りのことはだいたいアンナが取り仕切ってくれていた。

悪気はないとはいえ、伯爵家のありとあらゆるものを怪力で壊してしまった令嬢を恐れるなと言っても無理だろう。

食事をすればフォーク、ナイフ、スプーンは無惨にひしゃげ、ガラスコップは粉砕されてしまう。

少し踏ん張って歩くと床に穴があくこともしばしば。

物に限らず、人の腕を軽く握ろうものなら相手は飛び上がり痛みに悶絶してしまう。

これでは、貴族の生っちょろい坊ちゃん達が裸足で逃げだしてしまっても仕方がないのかもしれない。

そもそも13歳の時、社交界のデビュタントでも盛大にやらかしてしまったのは苦い思い出だ。

そんなハイネにおつきのアンナだけは優しい。

「お嬢様はほんとはお優しい方なのに、力があるってだけで誤解や偏見を受けてしまってお気の毒です。
でも、私はいつかきっとお嬢様の素晴らしさをわかってくれる殿方があらわれると信じていますわ」

「ありがとう、アンナ。いいのよ、あなたがわかってくれているだけで充分だわ」

「いいえ、ダメです。お嬢様は誰よりも幸せにならなければいけないお方ですわ。今までさんざんお辛い目にあってきたのですもの」

アンナはきっぱりとそう言って、ポケットからメモを取り出す。

「さあ、もう一度お見合いの作戦について復習しておきましょ」

父伯爵に負けないくらいの熱量で、ハイネの幸せを願うアンナである。

アンナはハイネにとって幼なじみであり、親以外では唯一の理解者だ。

病床の伯爵からくれぐれも頼むと涙ながらにお願いされてきたのでアンナも余計にはりきっているようだ。

(ああ、どうしょう。アンナまでお父様のようになってしまっているわ)

見合いの結果など、会う前から分かり切っているのに。

けれど、こんなに親身になってくれる周りの期待に少しでも答えようと背筋を伸ばすハイネである。

「そうね、今度こそいい結果をださないとね。私、なんとしても力を隠し通すわ」

「その通りですわ。お嬢様、まずは普通のご令嬢としてお気に召していただいて、おいおいお嬢様の体質についても理解していただきましょう」

「そ、そうね」

要するに、初見ではこの怪力のことは黙っておくということだ。

騙しているようなものだと、思うけれど。

いやいずれはバレてしまうだろうけれど、そんな悠長なことを言っていられないのも事実。

「幸い、今回のお相手は外国の方ですからお嬢様のお噂など届いていないでしょうしね」

ニッコリ笑うアンナ。

お嬢様のためならば嘘も方便と言わんばかりで、全く悪気はないようだ。

「このたびのお見合い相手のプロフィールはもう頭に入っておられますよね?」

「もちろんよ。
ユーリス・ディア・エンデルシア様。
大国エンデルシアの第二王子にして、最強と名高い竜騎士団を率いる騎士団長であらせられるお方で、年は22歳。
ルーデンス語には堪能だから意思疎通には問題なし。今回ルーデンス領に滞在しておられるのは王立魔法学園の特別講師としての公務のため。
ねえ、それってユーリス様が魔法使いということよね?私、魔法を見てみたいわ。属性は何かしらね?たのしみー」

魔法学園へは不合格になってしまったけれど、ハイネは昔から魔法というものに強い憧れがあった。

無邪気にはしゃぐ主人をアンナはたしなめるように目を細める。

「他にもございますでしょう?」

「そうね、ええっとあとは」

ハイネは言い淀んだけれど、コホンと咳払いする。

「大変な美男子であらせられるってお噂らしいわね。だけど、女性関係は派手ではなくて堅実なお人柄だとか」

「そうです、そうです。
ご結婚相手としては申し分ございませんわ」

けれど顔のいい男、と言うだけでは心が弾まないハイネ。

見目麗しい男性にさんざん痛い目に合わされたからだ。

元婚約者、この国の第三王子は見た目だけなら文句のつけようがない美男子だったけれど、中身は最低最悪だった。

幼い頃は恋心を抱いたこともあったけれど、本性がわかって手痛い目にあってからはハンサムな男性は少し苦手になってしまった。

確かにプロフィールだけ見れば、今のハイネの立場からしたら願ってもないほどの好条件だ。

大国エンデルシア、実りある雄大な大地を保有し人口も多く堅実な治世だと聞く。

ハイネの祖国と違って、魔獣の出現が多い地域に隣接しているため軍事力も強固で特に有名なのが王族だけが率いることが出来る竜騎士団の存在だ。

「竜騎士団を率いるのが、ユーリス様よね?第二王子ってことは王位継承権からも近いのにそんなに危ない任務をしなきゃいけないものかしら?」

「さあ、エンデルシアは強国ですからね。様々な事情があるのでしょう」

ふと浮かんだ疑問を口にしたけれど、使用人のアンナにわかるはずもない。

「ど、どうしょう。ちょっと緊張してきちゃった」

よく考えたら、これまでの見合い相手といえば精神的にも肉体的にも脆弱な貴族男子ばかり。

それに比べるとかなりタイプの違う男性なのではないだろうか。

王室の騎士なら何度か会ったことがあるけどそんな感じだろうか。

(ダメだ、うまくイメージが出来ない。恐ろしい方だったらどうしょう)

緊張のあまり息苦しくなってきたハイネは馬車の窓を開けて外の空気を吸い込んだ。

「あら、あれって」

緑の平原に異様な影が映っている。

影は馬車を追いかけるように移動していく。

「へ?」

「お嬢様、馬車から顔を出すなんて淑女のなさることではありませんよ」

アンナに軽くたしなめらたけれど、ハイネはますます窓の外の景色に釘付けになる。

「あれは」

「ヒィッ」

隣に座るアンナが恐怖で喉を鳴らす。

見上げた空には見たこともないような巨大な生き物が飛んでいる。

(鳥?いや、あれはもしかしたら)

「魔獣がなぜここに」
「アンナ、落ち着いて」

軽くパニックを起こしかけているアンナを壊さないようにやんわりと抱きしめる。

「あれは私達を狙っているのですか?」

「わからない」

「大丈夫よ、もしそうだとしても、むざむざやられたりはしないわ」

「お嬢様」

「知ってるでしょ、アンナ。私の人間離れした力を」

ハイネはそう言って余裕そうにウィンクしてみせる。

アンナを安心させようと思って言ったのだけど、本心ではハイネも怖くてたまらなかった。

「大丈夫よ、それにたぶんあれが竜なのだと思う」

「あれが?では」

「うん、もしかしたらお迎えのつもりなのかもしれない」

見合いの場所に指定されているのは国境近くにある古城だ。

ここからそんなに離れていないはず。

お迎えだったとしても、かなりありがた迷惑な話なのだけど。

竜など見たことの無いご令嬢を無駄に怖がらせるだけだとは思わないのだろうか。

いつのまにか竜とおぼしき生き物は10頭近くに増えていた。

よくよく目を凝らしてみれば、その生き物の上に武装した兵士が乗っている。

間違いない、あれが有名な竜騎士団なのだ。

ハイネがそう確信した瞬間、馬車がガタンと大きく揺れた。

御者のミハエルが半狂乱になりながら馬にムチをあててこの場から逃れようとしていた。

18歳になったばかりの若いミハエルにはこのような場合の状況判断が的確にできるはずもない。

このままだと馬車が横転してしまいかねない。

ハイネは急いでミハエルに呼びかける。

「ミハエル、落ち着いて」 

「お嬢様、無理です。逃げられません。
魔獣がこんなところにいるなんて」

「魔獣ではないの。ミハエル、大丈夫よ。馬車を止めて」

「いいえ、駄目です。お嬢様。俺たちみんな魔獣に食われちまう」

ハイネはグッとお腹に力を入れて叫ぶ。

「私を信じてミハエル、馬車を止めなさい。あの方達は敵ではありません」

「……ですが」

「これは命令よ、ミハエル。馬車を止めて」

「……」

「ミハエル、よく聞いて。
あなたとアンナは私の命に換えても絶対に守るわ。私の力を知っているわよね?あれが魔獣だとしても私が尻尾を掴んでぶん投げてやるから」

力強く言って柔らかく微笑すると、ミハエルは一瞬ハッとして目を見開く。

ハイネの完全なハッタリである。

本当は魔獣の尻尾など掴める気はしない。

だがハイネとてこの2人の使用人を守るために必死なのだ。

「お、お嬢様すみませんでした。仰せに従います」

振り返ったミハエルにハイネは自信ありげに大きくうなずく。

煩わしいとばかり思っていた自分の力も、役に立つことがあるのだと思うと不思議な気分だ。

それから、ようやく正気を取り戻したミハエルが馬車を止めた。

震えるアンナをミハエルにあずけてハイネは1人馬車から降りた。

そして、両手を腰にあてて空を見上げる。

この手荒い歓迎に立ち向かおうと眉を吊り上げた。

竜の群れを前に怖気付く気持ちを必死に抑えながら。

「驚かせてしまって、ごめんなさい」

けれど、鮮やかな水色の竜の上からは少女の澄んだ声がしたので面食らった。

屈強な兵士の姿を想像していたけれど、全然違う。

竜達はゆっくりと翼を羽ばたかせて降りてきた。

なるべく風圧をかけないような見事な着地だ。

背中の鞍が1番豪華で体躯も立派な竜から降り立った少女はおそらくリーダーなのだとわかる。 

「ほんとにごめんなさい。お怪我はありませんか?」

「あ、えと大丈夫です」

目の前に現れた少女はあまりに浮世離れした容姿だった。

頭の上で高く結い上げられた銀色の髪、理知的な藍色の瞳、透き通るような白い肌。

年は14.5歳くらいで身長はハイネより少し低い。

(凄く可愛い、妖精みたい)

絵物語で見た妖精もかくやと思われるくらい神々しい気品に満ち溢れている。

折れそうなくらい細い身体に銀の甲冑を帯びているのが、アンバランスではあるのだが。

それによく見れば竜から降りたつ騎士達はみんな女性だった。

「お初にお目にかかります。
私はルシフェルと申します。兄ユーリスの代理としてまかりこしました」

「え、妹姫様」

と言うことは隣国の王女ということになる。いろんな意味でハイネは驚いていた。

「はい、ほんと言うと兄には止められたんですけど。私が兄よりも先に早くあなたに会いたくて」

「は、はあ」

「力の女神様、我が兄の奥様になられるお方」

そう言ったルシフェルは両手を胸の前で組み合わせ、うっとりとハイネを見上げる。

(まだお見合いが成立したわけじゃ無いから妻になると決まったわけじゃないんだけどな)

そう言った方がいいかと迷っていると、さきほど地面に降り立ったうちのやや小さめの竜がギギギッと唸り声をあげた。

耳をつんざくようなその咆哮にビクリと体を震わせていると、ルシフェルが即座にハイネを背に庇う。

おっとりした妖精のように見えるが敏捷な身のこなしだ。

「ミーム、おとなしくなさい。お客様の前で失礼ですよ」

先程唸った竜を凛として叱りつける姿は堂にいっている。

竜のミームはハイネに向かってズラリと並んだ歯を剥き出しにして睨んでいた。

「姫様、すみません。この子はまだ調教が浅くて慣れていないのです。その方から強い魔力を感じて怖がっているのだと思います」

ミームを抑えていた女性騎士は必死にうったえる。

だがミームは翼をばたつかせて今にもこちらに襲いかかってきそうな勢いだ。

「ギーギギギー」

しかしどうしたことか他の竜達は揃ったように後退りをする。

まるで、何かを恐れるように。

「ダメ、ミーム。あの方はおまえがかなう相手ではない」

宥めるようにミームの隣の女性騎士は言うが、それをふりきってミームはハイネに向かって突進してきた。

手綱を握る女性騎士は引きずられている。

「きゃあ」

ハイネは恐怖で今にも腰が抜けそうだ。

「馬車の中へ避難してくださいませ」

ルシフェルは鋭く言う。

「あ、あ、で、でも」

ハイネはガタガタ震えてその場から一歩も動けない。

あの怒り狂った竜が自分を狙っていると思うと恐ろしくてたまらない。

怖い、逃げなければと思うのに身体が言うことをきかない。

だが、ルシフェルは大きく足を開き背中に背負っていた盾を目の前にかざす。

そうして、何か口の中でぶつぶつと唱え出した。
 
その間にも竜はドッドっと足音荒く近づいてくる。

「光よ、竜を鎮めたまえ」

すると、盾が何倍もの大きさになって地面に突き刺さり輝き出した。

と同時に盾に向かって竜がドスンと体当たりしてきた。

ルシフェルはう、と呻いたがなんとか耐えている。

光魔法かもしれない。一瞬、ハイネはそう思った。

そしてなぜかその光を見た途端、頭の中がクリアになった気がして身体が軽くなる。

(動け、動け、動け)

心の中で自分を叱咤する。

「姫さまー」

女性騎士達が悲痛な声を上げながら走り寄ってくる。が、間に合わない。

何度も突進してくる竜の重みにルシフェルの華奢な体は今にもひしゃげそうだ。

他に比べて小さめとは言え竜の体長は3メートルはある。

「うりゃーっ」

叫んだのはハイネだった。

ハイヒールを脱ぎ捨ててルシフェルに走り寄ると一緒に盾を支えるため手を伸ばす。

「フンッ」

とても伯爵令嬢らしからぬ気合いを入れて盾で竜を押し返した。

大股で地面に踏ん張るとそこから砂がまきあがり、純白のドレスを汚していく。

力の波動で哀れなドレスはところどころ裂けていくが、そんなの構ってはいられない。

「ギー」

強い衝撃にたまらず竜は後ろへのけぞった。

だが、ミームは懲りずに再び光の盾に突進してきた。

「ヌウウー」

凄まじい圧に耐えながらハイネは心で自分に言い聞かせる。

(子供の頃から馬鹿力だとあざけられてきたけれど、こんな時にその力を出し切らないでどうする。力比べで負けてなるものか)

自分を庇って一人で竜の攻撃を防ごうとしてくれた可憐な少女を助けたい。

「ムウッッッ、リャアー」

気迫溢れる声と同時に両手にありったけの力をこめるハイネの額には青筋が浮かび凄まじい形相だ。

後ろに吹き飛ばされた竜は悲痛な叫び声を上げて、力尽きたように地面に倒れこんだ。

ようやく駆けつけた女性騎士達が数人がかりで竜を取り囲み押さえこむ。

竜は降参するかのようにピューと甘える声をだしている。

「姫さま、大丈夫ですか?」

「ええ、私なら平気よ。お兄様の奥様が助けてくださったから」

ルシフェルはにっこりと笑う。

(いや、だから違うんだけどな)

ハイネは心の中で苦笑したけれど、なんとかこの場が収まって良かったと安堵した。

その時だった。

「ルシフェルっ、無事か?」

天から凛としたよく通る声がして振り仰ぐと、そこにはおびただしい数の竜の軍勢がこちらに向かってきていた。

数もさることながら竜の大きさが格段に違っている。

こちらが竜騎士団の本体なのかもしれないと思って圧倒された。

だがすぐに、自分の姿に気づいて青ざめた。

たぶん、こちらへ向かってきているのは見合い相手であるユーリス殿下だ。

こんな砂まみれでドレスも破れまくっている姿を見られたら一巻の終わり。

(お父様、ごめんなさい。高いお金をだしてドレスを仕立ててくださったのにこんなことになるなんて。愚かな娘は今回もまた失敗してしまいました)

しかし、その時だった。

天から降り注ぐ無数の氷のカケラと同時に地面からも氷の壁が発現しハイネとルシフェルを取り囲んだ。

氷の壁はドーム型になり彼女達を周りの視線から覆い隠す。

「へ?」

それにも増して不思議なことが起きていて頭がうまく処理できない。

はるか上空を浮遊する銀色の竜から一人の青年が飛び降りてきた。

そして次の瞬間にはハイネの傍らに立っていたのだ。

氷を突き破って入ってきたのではなく、氷の壁を壊すことなくすり抜けてきたような気がしたのだが意味がわからない。

「魔法?」

本能的にわかるのは、目の前に現れた長身痩躯なその青年こそユーリス王子その人であろうこと。

銀色の髪にアイスブルーの瞳、整った顔立ちはどこか怜悧だがこれまで見たどんな男性よりも美しい。

先程、ルシフェルを妖精にたとえたけれど、それならば彼は神だと思った。

ハイネは自然とこうべを垂れていた。

挨拶をしなければならないと思うのに、声が出ない。

ああ、こんな出会い方をしたくなかった。

自分の姿が情けなくて泣きそうだ。

「顔を上げてくれ、ハイネ嬢。あなたは我が妹の恩人だ」

「あ、あの」

冷たい雰囲気とは対照的な低く優しい声だった。

彼は跪き彼女の汚れた手の甲に口づけたから、ハイネは膝から崩れ落ちそうになる。

「ずっと会いたかった。あなたは思っていた通りの女性だ。どうか私の妻になって欲しい」

低いが熱っぽい声色。

聞き間違いだろうか、今彼はなんと言ったのだろう。

(まるで求婚の言葉のように聞こえたのだけど、自分は頭がおかしくなってしまったのかな)

きっとそうに違いないとハイネは思ったのだった。