恋愛初心者マーク

 その朝は、カーテンをあけると思わず歓声をあげたくなるほどの快晴だった。いつもより早く目がさめた美空は、高校に行くための身支度を整えた。長い髪の毛をきれいにブローしてから、台所に行くと、お弁当を作っていたお母さんが、
 「あら美空、早いのね。」
 と言った。
 「うん。今日はスッキリ目がさめたから、いつもより早く登校しようかなって思って。」
 そんな会話をしながらトーストをかじった。なんだか心が軽いなと、美空は思った。この春、高校に入って何事もなくおだやかな学校生活を送れているからだろう。
 「行って来まーす。」
 美空は元気に家を出た。高校までは歩いて二十分くらいだ。ここちよい、五月の風が美空の長い髪の毛を静かに揺らした。ゴールデンウィークが終わって、いよいよ本格的に高校生活が始まる。美空の通う高校はそれなりにレベルの高い高校なので、同じ中学からの友達がたくさん来ているわけではない。だからこそ、美空はこんなにおだやかに高校生活を送れている。
 高校に着くと、グラウンドや体育館で朝練をしている声が聞こえた。生徒玄関で靴を上履きに履き替えて廊下を歩く。誰もいない校舎はしんとしていた。廊下のかどをまがったその時、誰かと思い切りぶつかった。
 「いってーな。」
 ハスキーな声が美空の頭の上から降ってきた。
 「ご、ごめんなさい。」
 美空は謝ってその人の顔を見た。きれいで整った顔の男子生徒だった。彼も美空の顔を見ていた。
 「ごめんなさい。」
 美空は再び謝って通り過ぎようとした。しかし、
 「あんた、一年?」
 と、ハスキーな声によびとめられた。立ち止まって振り返る。美空の通う高校は学年によって上履きの靴紐の色がちがう。彼も美空と同じ色の靴紐だった。
 「そうだよ。」
 美空が答えると彼が言った。
 「あのさ、俺今日転校してきたんだ。校舎の中、案内してくれないか?」
 美空はちょっと考えてから言った。
 「うん。」
 いつもよりもだいぶ早い時間なので、校舎の中には誰もいない。これなら、男子と二人で歩いていても誰からも何もいわれないだろうと、美空は思った。それに、転校生なら、校舎の中の事は何もわからないだろう。困っているのなら力になりたいとも思った。
 美空が彼を案内して校舎の中を歩き始めた。となりにならぶ彼を見て美空はそういえば名前を聞いていないなと思って言った。
 「私、一年二組の星野美空。ええと、名前はなんていうの?」
 彼は美空をちらっと横目で見てから、
 「陸.」
 と、ぶっきらぼうに答えた。
 「陸君。上の名前はなんていうの?」
 しかし、陸はその質問には答えなかった。美空は一階から順番に校舎の中を案内した。五階が一年生の教室のある階だ。そこまで来て陸は言った。
 「屋上はどこだ?」
 「あ、ええとね。こっちだよ。」
 美空は屋上に続く階段まで陸を案内した。すると、陸は美空にお礼も言わずに屋上に行ってしまった。美空は陸のうしろ姿を見ていた。かっこいい人だけど、あいそのない人だなと思った。
 しばらくして生徒が次々に登校してきた。
 「おっはよー。」
 渚が美空の席に来て言った。渚は高校に入ってから友達になって、いつも一緒にお弁当を食べている。ショートカットで元気がいい。うわさ好きという一面もある。
 「ねぇ、今日うちのクラスに転校生が来るらしいよ。」
 「え。」
 「見た人が言ってたんだけどさ、けっこうイケメンらしいよ。楽しみだね。」
 美空は陸の顔を思い出していた。あの人、このクラスに来るんだと美空は思った。
 それから間もなくチャイムがなった。美空は窓側の一番うしろの席で静かに座っていた。担任が教室に入ってきた。そのうしろから陸も教室に入って来た。陸の姿を見たクラスの女子が口々にさわいだ。
 「イケメン。」
 「すっごいかっこいい。」
 たちまち教室の中がざわついた。
 「静かに。」
 担任が言った。
 「今日からこのクラスの新しい仲間が来た。みんな仲良くするように。じゃあ、自己紹介して。」
 担任にうながされた陸はめんどくさそうにぼそっと言った。
 「神宮司陸です。」
 「おい、自己紹介だぞ。それだけか?」
 担任が聞いた。陸は特にそのことについて反応しなかった。
 「まぁいいだろう。そこの席があいているから、そこに座りなさい。」
 担任は廊下側の一番後ろの席を指さした。その席はこの前までなかった。きっと担任が連休に入る前に用意しておいたのだろう。陸は歩いてその席に行き、座った。座った陸がこちらをちらっと見て、美空の顔をとらえた。目と目が合った。でも、数秒して陸はだまって美空から目をそらした。
 「ねぇねぇ、神宮司君、かなりのイケメンだよね。」
 休み時間に渚が美空の席に来て言った。陸を見ると、クラスの男子も女子も陸の席のまわりをかこんでいた。ちがうクラスの女子まで陸を見学に来ていた。
 「うちのクラスでかっこいいって言ったら佐藤斗真君だけだったもんね。でも、佐藤君、おとなしすぎてさ。だから、神宮司君みたいなイケメンが教室にいると、パット明るくなるよね。」
 渚の声は、はずんでいた。美空は陸をちらっとみた。みんなの視線をあびてみんなから声をかけられているというのに、うざいなというそんな態度をとっていた。

 お昼休みに美空の席で渚とお弁当を食べた。渚はどこから仕入れてきたのか陸の事を話した。
 「神宮司君、あの第一高校に通ってたんだって。あんなすごい進学校に行ってたのに、なんで転校してきたんだろうね。家庭の事情かな。なんでも、親がお金持ちらしいよ。」
 渚はお弁当を食べ終わって、ポーチからマスカラを取り出して、メイク直しを始めた。
 「なんかわけありなのかな。そういうのも、イケメンにはつきものだもんね。」
 渚はぺらぺらとしゃべった。美空は水筒に入っている麦茶を飲んでから、陸をこっそり見た。机につっぷして寝ているようだった。あいかわらず、ちがうクラスの女子が陸の見学に来ていて、いつもの教室よりもさわがしい。
 「ていうかさ。」
 渚がマスカラをポーチに入れて、言った。
 「美空ってメイクしないよね。なんで?」
 「え。」
 「まぁ、美空はもともとがかわいいもんね。まつ毛長いし目もパッチリしてるしさ。」
 「そんなことないよ。」
 美空はちょっと声を大きくして言った。
 「え、そんなことあるって。美空、すっごいかわいいよ。神宮司君とカップルになったら、美男美女のカップル誕生って感じ。」
 「ないない。私、来いなんてしないし。」
 「えー。もったいないよ。高校生で彼氏作るのが私の目標だし、美空くらいかわいければ、いくらでも彼氏作れるじゃん。」
 「私は、そんな恋とかしなくていいの。私にはこれがあるから。」
 美空はスクールバックから一冊のマンガ本を取り出した。
 「あー、はいはい。美空の好きな少女マンガね。その話もう何回も聞いたから。」
 「私は少女マンガの世界で恋してるから、現実の世界で恋なんてしなくていいの。」
 「美空、そんなこと言ってると、あっというまにアオハル終わっちゃうよ。」
 渚があきれて言った。
 「いいの、それで。」
 美空はマンガ本を胸に抱きしめて言った。
 午後の授業が始まった。美空は授業を聞きながら中学の頃の事を思い出していた。あれは、一年生の時だった。友達の好きだった男子から告白された。もちろんすぐに美空はことわった。けれど、友達からは、
 「裏切り者。美空って、自分がかわいいからって、調子にのってるよね。女子と話してるより、男子と話してる方がいいんじゃないの?」
 「そんなことないよ。」
 美空は必死に言った。しかし、それをきっかけに美空はクラスの女子から無視されるようになってしまった。その一年はクラスで孤立していた。悲しくてつらくて、本当にいやだった。それから、美空は、恋なんて絶対にしない、ましてや誰かとつきあうなんて絶対にしないと心に決めた。母子家庭で暮らしている美空はクラスで孤立していることをお母さんに相談できなかった。心配かけたくなかったからだ。二年生になって、クラス替えをして、新しい友達ができたけれど、かげで悪口を言われていることに気がついていた。どうして、自分は女子からかげぐちを言われるのだろう。悲しくて悲しくてたまらなかった。そういう思いをして中学生活を過ごした。だから、高校に入ってからは、恋とか彼氏とかそんなものより、一人でいいから本当に仲良くできる友達がほしいと思っていた。渚は、明るく美空に声をかけてくれた。渚がいるから自分は一人じゃないと美空は、ほっとした。友達が一人でもいればそれでいいと、おだやかに学校生活を過ごせればそれでいいと美空は思っていた。
 授業が終わって、渚と生徒玄関に行った。校舎を出て校門まで行くと、
 「じゃあね、またね。」
 と、渚と別れた。この高校に通ってきている生徒のほとんどは校門を出て東に行く。東に行くと駅があり、生徒のほとんどが電車通学だからだ。歩いて登校している美空は西に行く。歩いて通ってきている生徒はそんなにいない。だから、渚とはいつも校門で「バイバイ。」をする。
 その日も美空は帰って来て私服に着替えると、インスタントコーヒーを飲んでからまずは少女マンガを読んだ。それから、勉強をして、お母さんの帰りを待った。お母さんは残業が多いので、美空は夜ご飯を作って待っている。夜七時を過ぎてから、お母さんからラインが届いた。
 「今日はいつもより、遅くなるから、先に食べてて。」
 美空は、
 「待ってるよ。」
 と一言ラインを返した。
 夜八時半を過ぎてからお母さんが帰って来た。それから、二人で夜ご飯を食べて後片付けをして、順番にお風呂に入った。いつもより寝るのが遅くなった。今日はいつもよりも早く目がさめていたので、なんだか疲れて美空はベッドに入ってからすぐに眠りに落ちた。

 「美空、起きて。」
 お母さんの声で美空は目をさました。
 「寝坊したのよ。ごめんなさい。起きて起きて。」
 美空は目をこすりながら時計を見て、
 「キャー。」
 と悲鳴をあげた。この時間では遅刻してしまう。二人で、バタバタと身支度を整えて慌てて家を飛び出した。
 走って来たものの、生徒玄関についた時にはチャイムが鳴っていた。
 「あ、ドレミ。」
 ハスキーな声が聞こえた。見るとそこには陸がいた。
 「あ、おはよう。ショートホームルーム始まってるね。急がないとだね。」
 美空が言うと陸はゆっくり靴を上履きに履き替えながら言った。
 「どうせ、遅刻だろ?一限に間に合えばいいんじゃね?」
 「え、でも。」
 「ドレミ、腹へってねぇか?」
 「あの、ドレミって。」
 「おまえの名前だろ。」
 「ちがうよ。私はドレミじゃなくて美空。」
 「べつにいいだろ。ドレミでもミソラでも。」
 「ドレミファソラシドのこと言ってるの?」
 「ドレミ、腹減ってねぇか?」
 陸にそう言われたその時、美空のおなかが「ぐー。」と盛大な音を出した。今朝は朝食を食べていなかった。そのうえ高校まで走って来て体力を使ったからだ。美空は何も言えなくなった。
 「腹、なってんじゃん。屋上でパン食わないか?」
 「え。」
 「パン、買ってきた。」
 陸はそう言って廊下を歩き始めた。美空はどうしようか少し迷った。でも、陸の言うとおり一限の授業にまにあえばいいんじゃないかと思って、陸のあとをついて歩き、二人で屋上に行った。
 屋上の風は地上で感じるよりも強く、美空の髪の毛を大きく揺らした。美空は右手で髪の毛をおさえた。陸は屋上のフェンスに背中をあずけて、レジ袋の中から一つパンを取り出して美空に、
 「やるよ。」
 と言った。ぶっきらぼうな一言だけど、
 「ありがとう。」
 と美空はちゃんとお礼を言って受け取った。二人でなんとなく向かい合ってパンを食べた。おなかがすいていたので、
 「おいしい。」
 と美空は笑みをこぼして言った。食べ終わって、おなかも満たされた美空は陸にもう一度お礼を言った。
 「ありがとう。おいしかったよ。」
 陸は特になんの反応もみせなかった。その時、チャイムが鳴った。美空は青ざめた。
 「これって、一限の始まるチャイムだよね?」
 「たぶんな。」
 「どうしよう。今日の一限って数学だよ。あの鬼の高橋の授業だよ。遅刻なんかしたら。」
 「それが?」
 「それがじゃないよ。早く行かないと、大変な事になるよ。」
 「いいよべつに。俺数学さぼるから。」
 「え、そんなこと言わないで、一緒に行って高橋に謝ろうよ。」
 「は?」
 「とにかく、私は行くから。じゃあね。」
 美空はそう言って屋上を後にした。
 教室の戸をそっとあけて、美空は中に入った。黒板の前にいた高橋は入ってきた美空に言った。
 「どうしたんだ?授業は始まってるぞ。」
 「すみません。」
 美空が謝罪した。
 「お昼休みに職員室に来なさい。説教はその時だ。授業を続ける。」
 高橋はそう低い声で言った、とてもけわしい顔をしていて、怖かった。美空は静かに自分の席についた。なにげなく陸の席を見た。陸は今頃、屋上で何をしているのだろうと、美空は思った。
 お昼休みに職員室に行った美空は高橋から、ぐちぐちと説教をされた。そして、高橋は数枚のプリントを美空に手渡して言った。
 「放課後、このプリントを提出してから帰るように。それから、神宮司にもプリントをやるように伝えてくれ。あいつも俺の授業を欠席してたからな。一人二枚づつだからな。」
 「はい。」
 美空はプリントを受け取って職員室を出た。ふぅとため息をついた。なんでこんなことになったのかと、思いながら教室に戻った。おなかがすいていて、陸のパンの誘いにのらなければ良かったと、今頃そんなことを思った。
 教室につき、陸にプリントを二枚手渡しながら言った。
 「これ、放課後に高橋に提出してから帰るようにって。」
 「はぁ?めんどくせぇな。」
 陸はそう言ってプリントを受け取った。
 授業が終わると渚が美空の席に来て言った。
 「居残り大変だねぇ。まぁ、ぼちぼち頑張ってよ。じゃあ、先帰るね。」
 渚は手をひらひら振って帰って行った。教室の中にはいつのまにか美空と陸の二人きりになった。数学の苦手な美空は苦戦していた。わからない。わからない。どうしよう。あせる気持ちはあるけれど、問題が難しくて、手がとまっていた。すると、陸がガタンと席をたった。
 「え、もしかしてプリント終わったの?」
 「まぁな。」
 「え、お願い。教えて。私このままだと、プリント終わらないよ。」
 「は?そんなの知らねぇよ。」
 「そんな事言わないで。このままプリントが終わらなかったら、学校にお泊りになっちゃうよ。怖いでしょ、そんなの。おばけがでちゃうよ。」
 「おばけ?ドレミ、そんなの信じてるのかよ。」
 「だってぇ。」
 美空は半分泣きそうな声で言った。
 「お願い。どうか教えてください。」
 美空が陸にすがるように言うと、
 「しかたねぇな。」
 と陸はぼそっと言って美空の席までやって来た。
 「で、どこがわかんねぇんだ?」
 「ええと。」
 「まさか、ほとんどわかんねぇなんてこと、ねぇよな?」
 「それがですね、ほとんどわからないんです。」
 美空が言うと、陸はあきれたような顔をしてため息をついた。でも、問題をひとつづつ美空に教えてくれた。陸の説明はとてもわかりやすかった。
 「やったぁ。全部終わった。どうもありがとう。」
 美空が笑顔で言うと、陸はたちあがって言った。
 「じゃあ、帰ろうぜ。」
 二人で職員室にプリントを提出して、生徒玄関に行った。その流れで、一緒に校門までならんで歩いた。
 「じゃあ、私はこっちだから。」
 美空が言うと、
 「俺も、こっちだ。」
 と陸が言った。
 「え、電車通学じゃないの?」
 「電車通学だなんて、俺一言も言ってねぇぞ。」
 陸はそう言って歩き出した。美空も陸のとなりを歩きながら言った。
 「うちの高校って、ほとんどの生徒が電車通学だから。」
 「ふーん。」
 陸は特に興味もないという感じで言った。まがりかどに来て、美空が言った。
 「じゃあ、私はこっちだから。」
 「俺も。」
 「え。」
 そして再びならんで歩いた。
 「ああいうクリーニング屋、今でもあるんだな。」
 陸がぼそっと言った。陸が言ったクリーニング屋さんは昔からある店で、家族でやっている。美空のお母さんも時々利用している店だ。店先には自販機があった。
 「あ、そうだ。数学教えてくれたお礼に何か飲み物買ってあげるよ。」
 美空が言った。
 「べつにそんなん、いらねぇよ。」
 陸はあいかわらずぶっきらぼうに言った。次のまがりかどで、
 「じゃあ、私はこっちだから。」
 と美空が言うと、またまた陸も、
 「俺もこっちだ。」
 と言った。結局ずっと二人でならんで歩いているうちに美空の家についた。
 「うち、ここなの。借家なんだ。」
 美空は小さな借家を指さして言った。
 「ふーん。」
 「あの、もしかして近所に住んでるの?」
 美空が聞くと、陸はすぐ近くの新築の家を指さして言った。
 「俺の家あそこ。」
 「え、あの新築の豪邸?」
 陸は何も言わない。
 「すごい家ができたなって、お母さんと話して他の。」
 「べつに、すごかねぇ。」
 「あんな豪邸に住んでるんだね。」
 「すごくもなんともねぇよ。」
 陸はそう言って歩き出した。
 「あ、あの数学教えてくれて本当にありがとね。」
 陸のうしろ姿に美空は大きな声で言った。

 数日後、渚が風邪で欠席した。心配して渚にラインをしたら、意外と元気な返事が返ってきた。
 「微熱。元気だよぉ。」
 美空はそのラインを読んでほっとした。
 その日のお昼休みは屋上に行った。一人で教室でお弁当を食べるのもさみしいので、屋上に行ったのだった。お弁当を食べ終わってから、いつもスクールバックにいれてあるお気に入りのマンガ本を取り出して読み始めた。すると、
 「何読んでんだ?」
 と、陸が近づいてきた。
 「この本、お気に入りなんだよね。」
 「ふーん。」
 陸はフェンスにもたれかかって空を見上げた。質問しておいて、その答えにはあんまり興味がないようだった。でも、美空はそのマンガ本について陸に話した。
 「このマンガ本に出合って、私の人生は変ったの。恋とか女同士の友情とか、本当にこういう世界が現実にあったらなって、あこがれて。私は中学生の時、いつもあこがれながら何度もこのマンガ本を読んだの。」
 「ふーん。少女マンガなんて、どうせ好きだとかそんなんだろ?女子なんて、なんにも知らねぇのにつきあってくれとか簡単に告白してきて、うざいぜ。」
 「告白されたの?」
 陸は答えない。でもこれだけのイケメンなら、告白くらいされるだろうなと美空は思った。
 「まったく、恋愛なんてバカバカしい。俺の両親なんて結婚してても仲悪いし。」
 陸がぼやいた。美空は言った。
 「何かあったの?」
 「べつに。」
 いつものあいそのないぶっきらぼうな答え。美空は少し考えてから言った。
 「この本読んでみて。すっごくおもしろいから。」
 美空は自分の持っているマンガ本を陸に差し出した。
 「そんなん、読むかよ。」
 「これはね、ただの少女マンガじゃないの。さっきも言ったけど、高校生のキラキラしたアオハルで、恋愛も友情もとにかくすごいの。」
 美空が熱く話した。すると、陸は美空の持っているマンガ本のタイトルをぼそっとつぶやいた。
 「アオハライド。」
 「そう、アオハライドはもうすっごくいいマンガ本なの。傑作なの。読まないなんてもったいない。人生損しちゃうよ。絶対に読んだ方がいいから。」
 あまりの熱弁におされたのか陸が美空からマンガ本を受け取った。
 「ドレミがそこまで言うなら、暇なときにでも読むか。」
 「本当に、おすすめだからね。絶対に読んでね。」

 その日の夕方美空が夜ごはんの支度をしていたら、玄関のインターホンがなった。誰だろうと思って玄関をあけると、そこには陸がいた。
 「ドレミ、続き貸してくれ。」
 「え、なんの話?」
 「アオハライドの続きだ。全部読むから早く続きを貸してくれ。」
 「あ、うん。ちょっとまってて。」
 美空は自分の部屋にあるアオハライドを全部紙袋に入れてから玄関に行き、陸に差し出した。
 「サンキュー。」
 陸は笑顔で受け取りすぐに帰って行った。まるで嵐が過ぎ去ったようなかんじだった。あんな笑顔の陸を初めて見た。それに、なんだかすごく興奮していた。あんな表情をすることもあるんだなと美空は思った。
 次の日は土曜日だった。夕方にまた玄関のインターホンがなった。美空が玄関に行くと、陸が笑顔で紙袋を美空に差し出して言った。
 「これ、全部読んだ。サンキュー。」
 「あ、もう読んだの?早いね。」
 「ドレミ、ちょっと外出て来いよ。」
 「え。」
 美空は靴を履いて外に出た。陸は笑顔で語り始めた。
 「少女マンガなんてバカにしてたけど、ドレミの言うようにあのマンガ本は神だ。アオハルってあんないいもんなんだな。」
 陸は昨日よりもさらに興奮していた。そして、美空の肩を両手でおさえて言った。
 「ドレミ、俺がドレミの彼氏になってやる。」
 「え。」
 唐突な陸の発言に美空は困惑した。
 「ねぇ、ちょっと何を言ってるの?」
 「アオハルしようぜ。」
 「え、なんのこと?どうしちゃったの?」
 陸は美空から両手を離すと、言った。
 「俺今まで恋愛とかアオハルとか、バカバカしいと思ってきた。でもあのマンガ本を読んだら、そういうのもありだなって思った。てことで、ドレミの彼氏になってやる。」
 「あの、ちょっと意味がわからないんだけど。」
 「ドレミもあのマンガ本好きなんだろ?」
 「好きだよ。でも、だからって、なんでそんなことになるの?」
 「ドレミの彼氏になってやるからな。一緒にアオハルしようぜ。」
 「あの、私、恋なんてしないから。つきあうとか無理だから。」
 「俺もまったく同じ考えだった。ずっとな。でも、あのマンガ本を読んだら、アオハルって最高だなって、恋愛って意外といいもんなのかって。てことで、よろしく。」
 「全然わかんないよ。なんでそんなことになっちゃうのよ。」
 「人に知られたくないなら、内緒でつきあえばいいだろ。それなら問題ねぇだろ。」
 陸はポケットからスマホを取り出して、
 「ドレミ、連絡先教えろ。」
 と言った。美空は、その勢いに負けて
 「ちょっとまってて。スマホ持ってくる。」
 と言って一度家に入ってスマホを持って戻ってきた。二人で連絡先を交換した。そして陸は信じられないくらい満面の笑顔で言った。
 「今日から俺はドレミの彼氏だからな。」
 そして陸は帰って行った。あっけにとられて言葉も出てこない美空は陸のうしろ姿をただじっと見ていた。

 月曜日、美空は学校に行き、教室に入って陸の様子を見ていた。陸は美空をちらっと見ただけで、それだけだった。美空は、陸のあの言葉が、たまたまマンガ本を読んで興奮していたからなんだなと、そう思った。
 しかし、授業が終わってから、美空のスマホにラインが届いた。見るとそれは、陸からだった。
 「クリーニング屋の前にある自販機で待ってる。」
 「え。」
 美空は、思わずラインを見て声を出した。
 「どうしたの?美空。」
 渚が聞いてきた。
 「あ、ううん。なんでもないよ。」
 美空はあわててスマホを、スクールバックに入れた。そして渚と一緒に教室を出た。
 校門まで渚と歩き、そこでいつものように手をふって別れた。美空は、本当に陸が待っているのか、半信半疑でその場所に行った。すると、陸はそこに、本当にいた。
 「よぉ。ドレミ。」
 「あのぉ。」
 美空は陸に言った。
 「あの、この前のあれだけど、上段だよね?」
 「は、何言ってんだよ。本気に決まってるだろ。」
 「え、でも。」
 「何か飲むか?」
 「え。」
 「買ってやる。」
 陸はそう言って自販機の中の飲み物を選び始めた。
 「ええと、いいの?」
 「ああ。」
 それなら、お言葉に甘えて買ってもらおうと美空は陸のとなりに立った。
 「ウーロン茶お願いします。」
 「え、ドレミ、ウーロン茶飲めるのかよ。」
 「うん。」
 「へぇ。」
 陸はそう言って、ウーロン茶のボタンを押した。重たい音をたててウーロン茶のペットボトルが落ちてきた。それを陸は、取り出して美空に差し出した。
 「ほら。」
 「ありがとう。」
 美空はお礼を言って、受け取った。陸は自分の分の飲み物を押した。
 「え、神宮司君、リンゴジュースなの?」
 「ああ。」
 「なんか、意外。コーヒーとかかなって思ってた。」
 「俺、コーヒー飲めねぇし、ウーロン茶ものまねぇからな。」
 「え、そうなの?」
 「あ、それから、これからは、俺の事、陸ってよんでくれ。」
 「え、よびすてで?」
 「ああ。アオハライドでも主人公は相手の男の事を、名前でよびすてにしてただろ?」
 「そうだけど。」
 陸はペットボトルのキャップをあけて、飲み始めた。
 「いただきます。」
 美空もそう言って、ペットボトルのキャップをあけようとした。しかし、キャップがかたくて、なかなかあけられずてこずっていたら、陸がそれを見かねて、
 「貸してみろ。」
 と言って、美空の手からウーロン茶のペットボトルを取り上げた。そして、簡単にキャップをあけて、
 「ほら。」
 と、美空に差し出した。
 「ありがとう。」
 美空はそう言って受け取り、一口飲んだ。なんだか、のどが渇いていたので、とてもおいしく感じられた。ある程度、飲み終わり残りは家に帰ってからにしようと、美空はキャップをしめて、ペットボトルをスクールバックに入れた。陸は、全部飲み終わってペットボトルをごみ箱に捨てていた。
 「行くか?」
 陸が言った。
 「え、どこに?」
 「帰るんだろ。」




 「あ、そっか。」
 美空は、自分がどこかに行くのかと誘われたと勝手に勘違いしたことに、少し恥ずかしくなった。
 陸のとなりであるいていると、陸が言った。
 「あのさ、俺、誰かとつきあった事ねぇからさ。その、なんていうか、どうやってつきあったらいいのか、わかんねぇんだ。」
 「え、神宮司君、彼女いなかったの?」
 「陸って言えって、言っただろ。」
 「あ、そうだった。ごめんなさい。」
 「俺の両親は仲が悪いんだ。昔から、顔見れば言い合ってケンカしてて。最近じゃ、ケンカすらしなくなった。口もきかねぇんだ、お互い。だから、俺は、恋だの愛だの、そんなものに全く興味がなかった。告白されても、うざいだけで、すぐことわってた。だから、その。誰かとつきあった事ねぇんだ。」
 「そっかぁ。神宮司君、モテルのにね。」
 「陸って、家。」
 「あ、そうだった。陸。モテるのにね。」
 「ドレミは?」
 「え。」
 「彼氏いたんだろ?」
 「いないよ。だって、私は恋なんてした事ないし。つきあうとか無理って思ってるし。そうそう、私誰かとつきあうなんて、無理なの。だから、陸。お願い。彼氏になってやるとか、やめてほしいの。」
 「ドレミ、けっこうモテるのにな。」
 「やめてよ。私はモテなくていいの。」
 「まぁ、うざいよな。何も知らないでちやほやしてくる奴ら。わかるけど。でも、あのマンガ本読んだらさ、アオハルっていいなって、俺は本気で思った。」
 「それはわかるよ。私もそう。少女マンガの世界はアオハルでキラキラしてるもんね。だから、私は現実の世界で誰かと恋をしなくてもいいの。少女マンガの世界で恋してドキドキしてるから。」
 「あのなぁ、せっかく俺が彼氏になってやるって言ってんだぞ。少しは喜べ。」
 「あの、今の私の話聞いてた?」
 「だから、俺はドレミの彼氏になってやるから。一緒にアオハルしようぜって言ってんだ。」
 「だから、それは無理だって。陸、すごくモテるし。そんな人を彼氏にしたら、女子から反感かうよ。」
 「じゃあ、内緒でつきあえばいいだろ。」
 「でも、そんなのちょっとおかしいでしょ。彼氏ごっこみたいで。」
 「初めはごっこでもいいだろ、べつに。」
 「よくないよ。」
 「ドレミって、意外とごうじょうなんだな。」
 「そうじゃなくて、陸がちょっと意味わかんない事言ってるんだよ。」
 そんなふうに会話をしていたら、美空の家に着いた。
 「ああ、そうだ。もうすぐ中間テストだろ。一緒に勉強するか?」
 「え。」
 「アオハライドでも、勉強会してただろ。」
 「ああ、そういうシーンあったよね。でも、勉強会って。二人で?」
 「ああ。」
 美空はちょっと考えた。確かに陸から勉強を教えてもらったら、助かる。勉強くらい一緒にしてもいいかなと美空は思った。
 「うん、わかったよ。いつからにする?」
 「今でもいいぞ。」
 「え、今?」
 美空は少し考えてから、
 「明日からでいいかな?」
 と陸に言った。
 「じゃあ、明日からな。明日も同じ場所で待ってるからな。」
 陸はそう言って帰って行った。
 美空はカギをあけて玄関に入った。家の中に入って掃除をすることにした。私服に着替えて自分の部屋を大掃除した。小さな借家だから、物があちこちに置いてある。どこに陸を招こうか考えて居間にしようと決めた。掃除機をかけて、テレビの台などをぞうきんでふいた。小さい家だから、これ以上広くはならない。でも、ちょっとでも広くみせようと、物をきれいに収納した。そして、全部掃除が終わってから、美空は自分がなんでこんな事をしているのか、冷静に考えた。陸は「彼氏になってやる。」と言ってきかない。それを、まるで自分が受け入れたみたいだと、美空は思った。こんなこと、渚にも言えない。どうしよう。このままじゃ、本当に彼氏と彼女になってしまう。けれど、陸も言っていたように、美空もまた誰かとつきあったことがない。つきあうって、どういうことだろうか。彼氏と彼女になるって、どういうことだろうか。今までさんざん少女マンガで恋愛をしてきたのに、いざ現実で誰かとつきあうなんて、どうしたらいいんだろう。美空は頭の中でぐるぐると考えた。
 翌日も陸は昨日と同じ場所で美空を、待っていた。今日は雨が降っているので、二人とも傘をさして、ならんで歩いた。しばらく何も会話はなかった。そして、数分してから、陸が言った。
 「あいあい傘。」
 「え、何?」
 「だから、あいあい傘でもするか?」
 「え、何を言い出すのよ。」
 「なんていうか、彼氏と彼女だし、そういうのもありかなと思ってさ。」
 「そんなシーン、アオハライドにはなかったでしょう。」
 「まぁ、それもそうだな。」
 陸は、そう言ってまただまった。しばらく黙って歩いていたら、前から来た小さな男の子がレインコートを着て、小さな傘をさし、長靴を履いて母親と雨の歌をうたいながら笑顔でやって来た。
 「雨、雨、降れ触れ。」
 子供の歌声は雨が降っていてもよく聞こえた。その男の子はわざと水たまりにちゃぷちゃぷ入った。
 「長靴がよごれるでしょ。」
 母親が注意しても、きかない。男の子は笑顔で歌を歌い、水たまりでちゃぷちゃぷさせていた。そこを通り過ぎる時、美空はその男の子と母親に声をかけた。
 「かわいいですね。雨、うれしいの?」
 美空が母親に先に声をかけ、男の子の顔をのぞいて聞くと、
 「雨、うれしい。」
 と、男の子は言った。その笑顔がまぶしくて美空もつられて笑顔になった。
 「ほら、帰るわよ。」
 母親がそう言って男の子をせかす。それでも、男の子は水たまりからでない。
 「風邪ひいちゃうよ。」
 美空が男の子に言った。
 「そうよ、このお姉さんの言うとおりよ。そろそろ帰りましょう。」
 母親が男の子の手を取りしぶしぶ男の子は歩き始めた。その親子を美空は笑顔で見ていた。
 「かわいいな。」
 思わず美空が言った。その優しい笑顔を陸がじっと見ていた。けれど、陸にじっと見られている事に美空は気がつかなかった。やがて、男の子と母親の姿が見えなくなると、美空は陸に言った。
 「子供って、なんでも楽しめるからいいよね。私は、雨の日は嫌いだけど、あの子はうれしそうだったね。」
 陸は歩き出して、少したってから、
 「そうだな。」
 と、つぶやいた。
 美空の家の中に陸を招くのは、なんだかちょっと恥ずかしいようなてれくさいような気がした。
 「せまい所でごめんね。」
 美空はそう言って居間に陸を案内した。
 「今、飲み物いれるね。麦茶、飲めるかな?」
 「ああ。」
 「じゃあ、ちょっと待ってて。あ、そこに座ってて。」
 ローテーブルの所に座布団を置いて美空が言うと、陸はそこに座った。
 「お待たせ。」
 美空がローテーブルの上に二つのコップを置いた。
 「あ、ごめん。うち、コースターがなくて。」
 美空が言うと、
 「いいよ、そんなん。」
 と言って、陸はさっそく麦茶を飲んだ。美空も、陸の向かい側に座って麦茶を飲んだ。
 「じゃあ私は数学しようかな。苦手なんだよね。また、教えてね。」
 「おお。」
 二人はローテーブルの上に、教科書やノート、筆記用具を出して、そろそろと勉強を始めた。しばらくして、美空がわからない所を陸に聞いた。陸は、美空のノートをのぞきこんで、解説を始めた。ハスキーな声がいつもよりもぐっと近くに聞こえ、美空はなんだかドキドキした。いやに緊張した。陸の顔が近い。近くで見ると、やっぱり陸はすごく整った顔をしている。この家で二人きり。そう思ったら、美空は異常に緊張がとまらなくなった。
 「おい、聞いてるのかよ。」
 陸に言われて、美空は、はっとした。
 「ご、ごめんなさい。聞いてなかった。」
 正直に言うと、陸はため息をついてあきれた。
 「ちゃんと聞いとけよな。」
 「ごめんね。もう一度、説明してくれる?」
 めんどくさそうに、
 「しかたねぇな。」
 と陸は言って、もう一度解説をしてくれた。美空は自分の心臓の音があまりに大きくて、陸に聞こえるんじゃないかと、そんな心配をしながら、陸の解説を聞くことに集中した。
 それから、しばらく無言で勉強を続けた。いつのまにか、麦茶の入ったコップがからっぽになっていた。
 「麦茶、おかわりする?」
 「ああ。」
 「ちょっと、待っててね。」
 美空は麦茶の入った入れ物を持ってきて、陸のコップと自分のコップに注いだ。それから、冷蔵庫に麦茶の入れ物を入れた。ローテーブルに戻ってくると、陸が言った。
 「ドレミ、この前昼休みに屋上で弁当食べてた時、水筒持ってただろ?あれって、麦茶いれてたのか?」
 「うん。そうだよ。」
 「ふーん。」
 「飲み物はだいたいの生徒が購買で買ってるけどさ、毎日だと飲み物代もバカにならないから。水筒を持っていってるの。節約だよ。うちは、お母さんと二人だからね。節約できる所はしてるの。」
 「へぇ。」
 美空はそう言って麦茶を飲んだ。緊張しているから、のどが渇いていた。
 「ドレミのお母さん、何時ごろ帰ってくるんだ?」
 「毎日ほとんど残業してるからね。七時くらいかな。私は、適当に夜ご飯を作って待ってるの。」
 「ドレミが、料理するのか?」
 「うん。お母さんが、仕事の日はね。だって、仕事して疲れて来るから、それから料理するのも大変でしょ。」
 「すげぇな。」
 「ぜんぜんすごくないよ。お母さんは、毎日遅くまで働いて、朝は私よりも早く起きてお弁当作ってくれてるし、お母さんの方がすごいよ。」
 「へぇ。」
 陸は感心したように声をもらした。それから、陸はいいことを考えたというように、言った。
 「そうだ、ドレミ。俺の弁当作ってくれよ。」
 「え。」
 「彼女が彼氏に弁当作るってのも、ありだろ?」
 「え、なんでそうなるわけ?」
 「彼氏になってやるんだからな。弁当くらいつくれよな。」
 「なんで。アオハライドにそんなシーンなかったでしょ。」
 「まぁいいじゃん。ドレミの料理の腕まえも知りたいし。」
 「うーん。いいけど、どうやって、お弁当を渡せばいいの?」
 「朝、教室行ったら、俺の机の中にいれとけよ。」
 「いいけど。陸は好き嫌いとかある?」
 「ああ、嫌いなのはある。あと、肉が好きだ。」
 「嫌いなのって、何?」
 美空が聞くと、陸は一拍おいてから一言言った。
 「にんじん。」
 「え、子供みたい。」
 「バカ、ガキじゃねぇよ。ただ嫌いなだけだ。」
 「あはは。わかったよ。にんじんは入れないね。」
 「いつにする?弁当。」
 「そうだな。うーん、来週の月曜日とかは?買い物をしないとだし。」
 「おお、楽しみにしてるぞ。」
 「うん。」
 美空は料理が好きなので、お弁当を作るのは初めてだけど、なんだか楽しみに思えた。それから、二人はまた勉強をした。
 しばらく静かに勉強をしていたけれど、美空はトイレに行きたくなった。でも、ここで、「トイレに行く。」というのは、なんだか恥ずかしくて言い出せない。どうしよう。美空は考えた。もしかしたら陸は、、もうちょっとしたら帰るかもしれない。けれど、それまでトイレをがまんできるだろうか。美空は、トイレに行きたいのをがまんしてそわそわした。そして、ついにがまんできなくなって言った。
 「ちょっと、トイレに行ってくるね。」
 「おお。」
 美空は立ち上がって、トイレの個室に入った。用をすませてから、トイレもきれいに掃除しておけばよかったと思った。ちょっと掃除してからトイレをでようか、少し考えた。けれど、いつまでもトイレから戻って来なかったら、トイレが長いと思われてしまうかもしれない。それは、とても恥ずかしい。美空は、トイレから出た。そして、また陸の向かい側に座った。そして、勉強の続きをしようとした。けれど、美空はなんでいちいちこんなに色々考えて緊張するんだろうと、そんな事をぼんやり考えた。これではまるで、自分が陸を好きみたいだ。べつに意識していたわけじゃない。ただ二人きりという空間にきっと自分は緊張しているだけだ。美空はまた、頭の中でぐるぐるとそんなことを考えた。
 「おい、何ぼーっとしてるんだ?」
 「え。」
 「俺、そろそろ帰る。」
 陸がそう言った。壁の時計を見ると六時を少し過ぎたところだった。
 「ドレミ、夜ごはん作るんだろ?」
 「うん。」
 「今日はこれで帰るからな。」
 陸が玄関にむかったので、美空はあわてておいかけた。
 「明日も来ていいか?」
 「あ、ごめん。明日の帰りはスーパーで食品買うから。」
 「そっか。色々ドレミも苦労してんだな。」
 「苦労?してないよ。」
 「え。だって、食品買いに行ったり、夜ご飯作ったり、大変だろ?」
 「そんなでもないよ。もう慣れてるし。」
 「ふーん。」
 陸はそう言って美空を見た。それから、
 「じゃあな。またラインするからな。」
 と言って帰って行った。
 美空はコップを流し台に持って行き、洗った。さっきまでこの家に陸と二人だった。男子と同じ空間で、しかも至近距離で二人きりというのは、初めてだった。だからだ。美空は、自分が異常に緊張していた理由をみつけ、納得した。

 月曜日の朝、美空はいつもよりも一時間半早く起きた。そして、お弁当を作った。前の日に、お母さんには自分がお弁当を作ると伝えておいた。お母さんは、
 「あら、もしかして彼氏でもできたの?」
 と、うれしそうに聞いて来た。
 「ちがうよ。」
 そう否定したけど、今のこの状況は人から見たら、彼氏のために早起きしてお弁当を作っていると思われるだろう。
 美空は、たまご焼きからとりかかった。そして、からあげを作り、ひじきの煮物を作った。色どりにブロッコリーとミニトマト。昨日、陸のお弁当箱を買って来た。どれがいいだろうかと迷って、少し大きめの二段重ねのお弁当箱にした。作ったおかずを、お弁当箱につめる。にんじんが嫌いだと言っていたので、陸のひじきの煮物からにんじんをていねいに取り除いた。もう一つのお弁当箱にはご飯をいれた。さけのフレークを上にのせて、明るい印象にした。全部作り終わってから、美空は陸の事を考えた。喜んでくれるだろうか。作っている時も、陸がおいしそうに食べている姿を思い浮かべていた。なんだか、作って良かったなとそんな気持ちになった。
 お弁当を作り終わってから、身支度を整えた。それから、お母さんといつもよりもゆっくり朝食を食べた。
 「美空が、お弁当を作ってくれたから、ゆっくりねむれたわ。」
 お母さんはそう言って、ふっと笑った。たまには、こうして自分がお弁当を作るのもいいのかなと美空は思った。
 学校に着き、教室に入るとまだ誰も来ていなかった。良かったと、美空は胸をなでおろした。陸の机の中にお弁当箱を入れた。陸の机の中はからっぽだった。お弁当を入れてから、自分の席に着いた。そして、スクールバックから、いつも持ち歩いているあのお気に入りのマンガ本を取り出して、読み始めた。そうしているうちに、ちらほらと生徒が教室に入って来て、明るいざわめきが聞こえた。
 お昼休み、美空は自分の席で陸をちらっと見た。渚とお弁当を食べながら、陸の様子が気になってしかたない。自分の作ったお弁当を、陸はおいしいと思っているだろうか。急に心配になってきた。たまご焼きの味とか、からあげやひじきの煮物の味つけがいまいちだと思われたらどうしよう。おいしくなかったら、どうしよう。そんな事を考えて急に心配になってしまった。
 「どうかしたの?」
 渚に聞かれてはっとした。
 「ううん。なんでもないの。」
 陸の事が気になって、お弁当を食べていてもなんだか落ち着かない。それでも、なんとかお弁当を食べ終わって、美空は小さなタッパーのふたをあけた。
 「渚、リンゴ食べない?」
 「食べる、食べる。あ、リンゴうさぎだ。」
 美空の小さなタッパーにはリンゴうさぎが二つ入っていた。陸のお弁当にも小さなタッパーにリンゴウサギを二ついれておいた。
 「いっただきまーす。」
 渚は喜んでリンゴを食べた。
 「このリンゴうさぎ、ちょっと耳が長すぎたかなぁ。」
 美空がリンゴうさぎを手にとってじっと見て言うと、渚が言った。
 「え、これ、美空が作ったの?」
 「うん。でも、良く見たらちょっと耳が長すぎたよね。」
 「うさぎなんて、耳が長いからいいって。」
 渚が明るくそう言った。それもそうかなと、美空はリンゴうさぎをかじった。
 お弁当を食べ終わると、渚はいつもメイク直しをする。ポーチからコスメを取り出して、鏡を見ながらきれいに顔を整える。
 「美空も、メイクくらいしたらどう?」
 「え、そんな。コスメ買うお金ないしさ。私は、あんまりメイクに興味ないから。」
 「まぁね。コスメ買うのもお金かかるしね。私なんて、ドラッグストアにある安いコスメしか買えないもん。白石ヒカリみたいに愛用のコスメはどこどこのブランドですって、一度くらいは言ってみたいよ。」
 渚の言う白石ヒカリは若手女優だ。去年出演した映画でブレイクして、居間女子高生の間で人気がある。渚は自分の使っているコスメを見ながら言った。
 「あー、ハイブランドのコスメ使ったら、もっと美人になるんだろうな。」
 「渚は今でも、かわいいよ。そのショートカットも似合ってるし。」
 「そんな事言ってくれるの、美空だけだよ。」
 そんな会話をしていると、お昼休みが終わるチャイムがなった。
 午後の授業を受けながら、美空は思った。本当は、自分もメイクをしてみたい。でも、コスメを買うお金がない。それに、少しでも目立つようなことをしたら、女子の反感をかう。それだけは、絶対にいやだ。みんなメイクをしてかわいくしているのに、自分はメイクをしたら、きっと何か文句を言われる。それが、いやだからメイクに興味がないふりをしている。中学の頃もそうだった。髪の毛をポニーテールにしただけで、
 「男子の気をひこうとしてる。」
 と、かげぐちを言われた。そんなつもりはないのに。女子というのは、集団になると怖い。だから、自分は目立たないように、ただ一人でもいいから、友達がいてくれればそれでいい。美空はそんな事を思った。
 授業が終わる少し前に美空のスマホがなった。陸からのラインだった。
 「いつもの所で待ってる。」
 たった一言。それだけ。お弁当の感想はなかった。
 帰り道を歩きながら、美空は陸のお弁当の感想が気になっていた。となりを歩く陸は、お弁当の事は何も言わない。やっぱりおいしくなかったのだろうか。しょんぼりしていると、陸が言った。
 「ドレミ、何かあったのか?」
 「え。」
 「さっきから、元気ねぇから。」
 「え、そんなことないよ。」
 あわてて笑顔を作った。そして、美空の家で、いつものように勉強をすることになった。
 「はい、いつものだけど麦茶。」
 ローテーブルの上にコップをおいてそう言うと、陸は、
 「のどかわいてたんだ。」
 と言ってすぐに一口飲んだ。陸の向かい側に座って教科書やノートを出した。その時、美空はあっと思って言った。
 「お弁当箱、洗うから出して。」
 「え。ああ。そういうのって、洗って返した方がいいんじゃねぇか?」
 「いいよ、気を使わなくて。陸はいつも自分でお弁当箱洗ってるの?」
 「いや。」
 「じゃあ、なおさら。お弁当箱って、なかなか洗うのが大変なんだよね。出して。水につけておくから。」
 陸はスクールバックからお弁当箱を出して美空に手渡した。美空はそれを受け取り、自分のお弁当箱も一緒に持って流し台に向かった。陸のお弁当箱のふたをあけると、からっぽだった。全部食べてくれたんだと、美空は思った。お弁当箱を水につけてから、陸の向かいの席に座った。すると、陸が何か言いたそうな感じで、でも美空の顔を見ないで小さな声で言った。
 「うまかったよ。」
 「え。」
 陸は教科書をひらきながら、美空の顔を見ないで言った。
 「うまかった。サンキューな。」
 その一言を聞いて、美空の顔はぱっと明るくなった。今の一言は、おせじでもない。陸の素直な言葉だと、伝わったからだ。
 「よかった。ありがとう。」
 美空がそう言うと、陸が美空を見て言った。
 「え、俺が作ってもらったのに、なんでドレミがお礼を言うんだ?」
 「だって。おいしくなかったんじゃないかなって、心配してたの。」
 「なんだ、そんなことか。」
 「なんだじゃないよ。リアクションないと不安になるよ。頑張って早起きして作ったのに、喜んでくれなかったら、ショック大きいでしょ。」
 「そっか、ごめん。」
 陸は意外にも素直に謝った。
 「陸の好みの味つけをもっと聞いておけば良かったなって、思ったの。たまご焼きとかさ、ひじきの煮物とか。家庭の味があるでしょ?だから、もっとちゃんと色々聞いてから、作ればよかったなって。」
 「うちは、家庭の味なんてもんは、ない。」
 「え。」
 「俺の家は夕方に家政婦が来て、料理してくれてる。夜のおかずも、次の日の弁当に入れるおかずも、みんな家政婦が作る。」
 「家政婦?すごい、家政婦さんやとってるんだね。」
 「すごいわけじゃねぇ。俺はガキのころから、遠足でも運動会でも、家政婦が作ってくれたおかずを弁当につめられて、それを食ってた。だから、家庭の味なんて知らねぇ。」
 「そうなんだ。じゃあ、お母さんは家政婦さんが作ったおかずをお弁当箱につめるだけなんだね。」
 「そう。」
 美空は陸の表情を見て思った。怒っているのに、どこかさみしそうだ。きっと陸はずっとさみしかったんじゃないかと、美空は思った。家庭の事なんて、友達にも話せないだろう。
 「あの、私で良かったら、またお弁当作るよ。」
 「おお。頼むな。」
 陸は、サラッと言った。
 それからしばらく二人で勉強をした。今日も六時を過ぎた頃、陸は帰り支度を始めた。
 「ドレミ、もう中間テストくるけど、テスト期間中はどうする?一人で勉強した方がいいか?」
 「あ、うん。陸もその方がいいでしょ?陸は私より頭いいし、私と一緒じゃ。」
 「そんなことねぇけどな。」
 「陸は第一高校に通ってたって聞いたけど、どうしてうちの高校に転校してきたの?」
 「ああ、それか。俺はずっと第一に行けって両親から言われてて。あの高校に行けば、大学もいい所に行けるからって。で、第一に行った。でも、あの高校って、頭いい奴らしかいねぇからな。その中で成績で順番つけられるとか、ありえねぇって思ってさ。高校もたいしておもしろくねぇし、なんで親の言う道に行ったんだかって、いやになってさ。高校やめるって言ったんだ。そしたら、高校をやめるなんて許さないって。そういう所だけ、俺の親二人は意見が合うんだよな。で、俺も反発してて。で、家が建つから引っ越すし、どうしても高校やめたいなら、せめて転校したらどうかって言われてさ。で、俺も考えた。たしかに、高校やめても暇なだけだしな。で、転校することにしたってわけだ。」
 「そっか、色々あったんだね。」
 「まぁな。」
 陸はたちあがった。そして、玄関に向かう。美空もその陸の後を追って玄関に行った。すると、陸が振り返って聞いて来た。
 「ドレミ、テスト期間も夜ご飯作るのか?」
 「ううん。テスト中は、お母さんが作ってくれたり、お母さんが仕事の帰りに惣菜を買ってきてくれたりするの。だから、私は勉強に集中できるんだ。」
 「そっか。やっぱ、ドレミはすげぇな。」
 「え、なんで?」
 「お母さんの事が好きなんだろ?」
 「うん。」
 「そういうの、なんかいいよな。俺なんか親の事大嫌いだからな。」
 陸はそう言ってから、
 「じゃあな。」
 と帰って行った。もしかして、陸は親から十分に愛情を受けていないのかもしれないと、美空は思った。自分は幼い時に親が離婚しているから、父親の顔も名前も知らない。でも、親が一人でも、いつもお母さんは自分の事を考えてくれていた。優しいし、明るいし。だから、母子家庭でも、さみしくない。陸は、ちがうんだと美空は思った。両親がいても、家政婦さんがいても、家が豪邸でも、心のどこかが満たされていないんだ。きっとそれって、自分が考えるよりもずっとさみしいんだろうなと美空は思った。

 中間テストが終わった。陸から勉強を教えてもらったので、苦手な数学も良い点数だった。中間テストが終わると、六月に体育祭がある。それについての話し合いが、ホームルームで行われた。
 「ええと、一人一種目は出場してもらいます。」
 黒板の前でクラス委員の男子が言った。クラス委員の女子は黒板に体育祭の種目をチョークで書いていた。
 「この、借り人競争って言うのは、借り物競争の人間バージョンです。たとえば、サッカー部の人とか、メガネをかけている人とか紙に書いてあるので、書いてある人を連れて行ってゴールします。」
 クラス委員の男子はみんなに説明した。それから、間もなくどの種目に出場するか決めた。リレーなどは、スポーツ部に入っている人が、はりきって手をあげてくれて、すぐに決まった。美空と渚は玉入れに決まった。残りは借り人競争だけになった。
 「まだ決まってない人は、手をあげてください。」
 クラス委員の男子が言うと、何人かちらほら手をあげた。その人数をかぞえて、クラス委員の男子が言った。
 「じゃあ、今手をあげた人は借り人競争でお願いします。」
 ちらっと陸を見ると、手をあげながら、めんどくさいなという表情をしていた。陸は借り人競争に出るんだなと、美空は思った。
 お昼休み、いつものように渚とお弁当を食べた。渚が、
 「うちら玉入れに決まって良かったよね。」
 と話始めた。
 「玉入れなら、簡単だしね。」
 「そうだね、小学校の時にやったもんね。」
 そう答えながら美空は思った。陸との事をこのまま渚にだまっておいていいんだろうかと。渚にだけは、話しておきたいと美空は思った。お弁当を食べながら渚が言った。
 「そういえばさ、五組に転校生が来るらしいよ。それがさ、どうも芸能人らしいんだよね。」
 「へぇ、芸能人。渚ってそういう情報どこで仕入れてくるの?」
 「色々だよ。人に聞いたりとかさ。でさ、美空だったら、芸能人が転校してくるなら、誰がいい?」
 「え、私はべつに、誰でもいいよ。」
 「えー、もうちょっと人間に興味もちなさいよね。少女マンガにばっかりだと、あっという間に、高校生活終わっちゃうよ。私なら、イケメンがいいなぁ。でもさ、うちらと同じ年のイケメンって誰がいるかなって、調べたんだけど、私好みのイケメンは残念ながらいなかったよ。」
 そんな会話をしてお昼休みが終わった。
 学校帰り、いつもの所で陸が美空を待っていた。陸とならんで歩きながら美空は陸に聞いた。
 「あのさ、渚に陸の事話してもいいかな?」
 「え。」
 「私の大切な友達なんだよね。いつまでもかくしてるのも良くないかなって。」
 「うーん、まぁ一人くらいならいいんじゃねぇか?」
 「陸は、誰にも言わないの?」
 「べつに、親友って奴もいないしな。そこそこ友達はできたけど。」
 「そっかぁ。じゃあ、明日にでも私は渚に話すね。」
 「おお。」
 「あ、そういえば、五組に転校生が来るんだって。渚の話だと、その転校生って芸能人らしいよ。」
 「へぇ。」
 「陸は誰だったらうれしい?」
 「え。」
 「芸能人が転校してくるなんて、たしかにめずらしいし、誰だったら、うれしい?」
 「そうだなぁ。ドレミは?」
 「私は特にないんだよね。」
 陸は少し考えてから恥ずかしそうに顔を赤くして言った。
 「白石ヒカリ。」
 「え、白石ヒカリ?渚もインスタフォローしてるよ。陸って、ああいう人がタイプだったの?」
 「映画見てさ。いい子だなって、思っただけだ。」
 陸は早口で、あたふたと言った。その様子から陸が白石ヒカリのファンだというのが、よくわかった。映画では白石ヒカリは、すごく清楚な役をしていた。たしかにいい子だなと、美空もその映画を見て思った。自分には清楚な部分なんてないなと美空はふと思った。
 「でも、まさか白石ヒカリが転校してくるなんてないよな。」
 陸が言った。
 「たしかに。今ブレイクしてて、いそがしそうだもんね。」
 「だな。」
 しばらく無言になった。そして、美空の家につくと陸が言った。
 「あのさ、テストも終わったし、いつも勉強会ってのも、つまんねぇだろ。で、どうやってつきあうのか考えたんだけどさ。電話で、話すとか。でも俺女子と電話した事ねぇから、会話が続くかわかんねぇし。」
 「そうだね。私も男子と電話したことないから、会話が続くかわからないよ。」
 「でさ、とりあえず、こうして一緒に帰るくらいしか思いつかなくてさ。」
 美空は、ふっと笑った。
 「何がおかしいんだ?」
 「だって、陸が彼氏になってやるって、言ってるだけでしょ。私はまだ、なんていうか友達の延長みたいにしか思ってないし。そんな、頑張ってつきあわなくてもいいんじゃない?」
 「まぁ。」
 陸はそう言ってから、
 「それもそうだな。彼氏ってのも色々だろうしな。しばらくは、こうやって、一緒に帰るだけでいいか。」
 「うん。」
 「じゃあ、また明日な。」
 「バイバイ。」
 美空はそう手を振って、陸を見送った。

 次の日、校内が大騒ぎになった。五組に転校してきたのは、白石ヒカリだったからだ。休み時間には、五組の教室に生徒が殺到した。生活指導の先生が拡声器で、
 「用のない生徒は各自の教室にいなさい。」
 と、なんども注意した。それでも、休み時間になるたびに、生徒は五組に見学に行った。
 お昼休みに渚が仕入れてきた情報を美空に教えた。
 「白石ヒカリ、今度高校生の役をやるんだって。学園ものの映画らしいんだけどね。白石ヒカリって、通信の高校にいってるらしいから、普通の高校生活を経験して役作りするために、体育祭までの期間限定で編入してきたんだってさ。でさ、登下校は、マネージャーが車で送り迎えだってさ。びっくりだよね。まさか、あの白石ヒカリが転校してくるなんてさ。私、なんとか友達になりたいな。」
 渚はよくしゃべった。そして、しゃべりながら、お弁当をパクパクと食べた。
 「ねぇ、美空も見学に行ってきたら?長い髪の毛をきれいに巻いてさ、ばっちりメイクしてて、かわいかったよ。うちの夏服、セーラー服でしょ?それもすっごく似合ってた。クラスで一人、オーラがちがうんだよね。見に行った方がいいよ。」
 「まぁ、そのうちにね。」
 美空はお弁当を食べ終えてそう答えた。渚はいつものようにポーチからコスメを取り出して、メイク直しを始めた。美空は、今しか言うタイミングがないかなと思って渚にそろりと、話しかけた。
 「あのさ、渚。じつはさ。」
 「何?」
 マスカラを塗りながら渚が言った。
 「ちょっとね、言いにくいんだけど。ああ、なんて言ったら。どこから話したら。」
 「何、何?」
 渚がメイク直しを終えて美空に言った。
 「じつはね、神宮司君に私のお気に入りのマンガ本を貸したんだよね。そしたらさ、そのマンガ本読んで、感動したみたいでさ、なんていうか。」
 「もったいぶらないで言ってよ。」
 「うん。俺が彼氏になってやるって言い出してさ。それで、一緒に帰ったりしてるの。」
 「え、それって、つきあってるって事?」
 「ううん。正式にはつきあってるわけじゃないんだよね。ただ、陸は。」
 「え、もう名前で呼び合ってるの?」
 「あ、うん、まぁ。でも、なんていうか、つきあっているっていうか。」
 「いいじゃん。美空と神宮司君、美男美女のカップルだよ。お似合いじゃん。」
 「ええとね、つきあってるっていうか、そのつきあってる風なんだよね。」
 「もう、つきあっちゃえばいいじゃん。美空も、もうちょっと人間に興味もちなって。せっかくあんなイケメンが彼氏になってやるって、言ってくれてるんだからさ、喜ばないと。」
 「うん、まぁ。」
 「いいなぁ。私も彼氏欲しいよ。」
 渚はすっかり、陸とつきあっていると解釈したようだった。
 その日も、陸と一緒に帰った。陸はいつもよりも、テンションが高かった。
 「まさか、白石ヒカリが転校してくるなんてな。」
 陸が興奮しているのがわかった。
 「五組に見学に行ったら、教室の中で一人オーラがちがってさ。」
 「あ、それ、渚も言ってた。」
 「すげぇよな。映画に出てる芸能人が同じ高校にいるんだぜ。」
 陸はいつもよりも、きげんがよかった。なんだか、美空はおもしろくないなと思った。
 「そうだ、ドレミ、明日白石ヒカリからサインもらってきてくれないか?」
 「え、なんで私が?」
 「だってよぉ、サインほしいけど、緊張するだろ。」
 「陸、サインがほしいなら、自分で頼めばいいでしょ。」
 「頼むよ。」
 陸は両手を合わせてたのみこんできた。
 「わかったよ。でもさ、陸も来た方がいいんじゃない?私がお願いするから、陸も少ししゃべってみたら?」
 「それもそうだな。よし、明日は早く登校するぞ。生徒玄関でまちぶせだ。」
 いつになく陸がごきげんなので、美空の胸は、どこかざわついた。
 翌日の朝、早くに登校した。生徒玄関で白石ヒカリを待ち伏せするためだ。陸は女子から人気があるので、美空は陸から少し離れた場所で立っていた。生徒が次々に登校してくる。そして、ついに白石ヒカリが生徒玄関に入って来た。髪の毛を横で結んで毛先をゆるく巻いていた。メイクもばっちりだった。白石ヒカリが靴を上履きに履き替えたタイミングで、美空は陸に合図した。すると、陸は美空のとなりにやって来た。美空が白石ヒカリに声をかけた。
 「あの、おはようございます。」
 白石ヒカリは美空に気が付いて、美空の顔をじっと見た。それから、美空の頭のてっぺんから足の先までじっくりと見た。
 「あの、サインお願いできますか?」
 美空が言った。白石ヒカリは無表情のままじっと美空を見ていた。
 「あの、サインがほしいのは、私じゃなくて神宮司君なんです。」
 美空がとなりにいる陸を紹介した。白石ヒカリは陸を見て、顔色を明るくさせた。そして、かわいらしいしぐさと声で言った。
 「いいよ。名前はなんていうの?」
 「神宮司陸です。」
 「何組?」
 「一年二組です。」
 陸は緊張しているのか敬語で答えていた。白石ヒカリは、美空がさしだした色紙とサインペンを受け取り、サインしそれを陸に笑顔で渡した。
 「はい。あのぉ、私、こういう高校に来るの初めてでぇ、緊張してるんですぅ。今度、校内を、案内してくれませんかぁ?」
 小首をかしげながら、甘い声で言う白石ヒカリに陸はにやけた顔をして、
 「俺でよかったら、案内させてください。」
 と言った。
 「うわぁ、ありがとう。陸君。よろしくね。」
 白石ヒカリはそう言ってから、ちらっと美空をにらみつけた。美空は、そのするどい目つきに心が痛んだ。こういう目をした女子を今まで、見てきた。そのするどい目つきににらみつけられて、美空は言葉を失った。白石ヒカリは、陸に言った。
 「じゃあ、陸君またね。」
 右手をかわいらしくふって白石ヒカリはその場を離れた。
 「ドレミ、聞いたか?あの白石ヒカリが俺を陸君って、よんだぞ。」
 陸は満面の笑顔だった。その笑顔を見ていたら、たまらなく美空は腹がたった。
 「よかったね。」
 きつい口調で美空はそう陸に言い、その場をあとにした。
 「おい、ドレミ、何怒ってるんだ?」
 うしろから聞こえる陸の声。その言葉にますます腹をたてて、美空は立ち止まって振り返り言った。
 「べつに、怒ってなんかないから。」
 あきらかに怒っている口調だった。美空は走って、教室に行った。自分の席に着き、ふぅと息をはいた。なんでこんなに怒っているんだろう、私は。こんなにイライラするなんて、めったにないのに。そうだ、白石ヒカリににらみつけられたからだ。だから、こんなに怒っているんだ。だとしたら、自分は陸にやつあたりしてしまった。美空は自己嫌悪に陥った。
 お昼休み渚が言った。
 「今日の放課後、中庭で白石ヒカリの雑誌の撮影があるんだってさ。一緒に見に行かない?」
 「え。」
 美空は気分がのらなかった。
 「行こうよ。撮影なんて、めったにみられないでしょ?」
 「うん。」
 美空はぽつりと答えた。
 「役作りのために高校に編入してくるなんて、すごいいよね。で、そういう事を聞かれるみたいなんだ。インタビューは、どこかの特別教室でするみたいなんだけどさ、写真撮影は中庭だから、見に行こうね。」
 渚と約束をしてしまった。いまいち気分がのらないなと美空は思った。その時、急に教室がざわめいた。なんだろうと思って見ると、白石ヒカリが教室の入り口にいた。
 「なんで?」
 美空は思わず声をもらした。
 「陸君いる?」
 白石ヒカリが大きな声で言った。教室が大きなざわめきに包まれた。呼ばれた陸は白石ヒカリの所に行った。二人は笑顔で何か話していた。
 「ねぇ、あの二人お似合いすぎる。」
 教室のあちらこちらから、女子がそんな言葉を言った。たしかに、お似合いだと美空も思った。しばらく陸と白石ヒカリを見ていたら、ふと白石ヒカリが教室の中を見回した。誰かを探しているのだろうか。そして、白石ヒカリが美空の顔をとらえた。白石ヒカリは、美空の顔を見た後、一緒にいる渚の顔も見た。なんだかいやな予感がすると、美空は思った。そうこうしていると、チャイムがなって、白石ヒカリは自分の教室に戻っていった。陸を見ると、普段教室ではみせないような顔をしていた。なんで、あんなに笑顔なのよと、美空は思った。
 放課後、渚と中庭に行った。白石ヒカリはヘアメイクさんにきれいにしてもらって、今朝よりもずっとかわいくなっていた。セーラー服もすごくにあっている。カメラマンがポーズを指示し、それに答えて何枚も写真を撮られていた。やがて、撮影が終わると、生徒指導の先生が、また拡声器で生徒たちに言った。
 「用事のない生徒は下校するように。」
 見学に来ていた生徒たちは次々に中庭をあとにした。渚は白石ヒカリとなんとか友達になりたいらしく、まだ動こうとしない。その時だった。
 「あの、すみません。私、スター事務所の高杉といいます。」
 急にスーツを着た男性が美空の前に現れて名刺を渡した。反射的に美空はその名刺を受け取った。まだ残っていた生徒が何事かと注目した。
 「あの、モデルになりませんか?」
 美空は唐突にスカウトされた。びっくりして何も言えない美空にかわって、となりにいた渚が答えた。
 「この子、星野美空って言います。」
 「そうですか。」
 「一年二組なんです。」
 「あの、興味があればいつでも連絡ください。また私もこの高校に来ますので、真剣に考えてください。」
 高杉はていねいに美空に言った。
 「美空、すごいじゃん。モデルなんて。」
 渚が言った。まだ残っていた生徒たちも、
 「あの子、かわいいよね。」
 「俺もかわいいと思ってた。」
 と、ささやいた。その様子を白石ヒカリが鬼のような顔で見ていた。美空をしっかりにらみつけて。
 校門で渚と別れた後、美空は一人で帰った。今日はいつもの所に陸はいなかった。なんだか、さみしいなと思った。いつも右どなりに陸がいるのが、もうあたりまえになっていたからだ。ハスキーな声、ぶっきらぼうだけど、じつはさみしがりやで、そして意外と素直にお弁当のお礼を言う。そんな、今までの陸との事を思い出していた。
 家につき、スクールバックから、高杉からもらった名刺を出した。スター事務所と書いてある。白石ヒカリの事務所の所だ。自分は注目されるような事は、ずっと避けてきた。だからこそ、メイクだってしてないし、陸とは学校では、話もしない。それなのに、スカウトされた時、男子も女子も美空をちやほやした。すごくいやだった。ひそかに、おだやかに学校生活を送りたいのに。美空はもらった名刺をごみ箱に捨てた。
  次の日のお昼休み、渚はいつもよりもよくしゃべった。
 「昨日、中学の頃の友達に美空の事話したよ。もう、みんなすごいねって、盛り上がってさ。美空がモデルデビューしたらさ、私はモデルの親友って事になるから、もううれしくって。もちろん、オッケーするんでしょ?」
 「ううん。」
 「えー、もったいないよ。モデルになりたい女の子なんて、世の中にいっぱいいるんだよ。オーディション受けて落ちてるこだってさ、いっぱいいると思う。でも、美空はスカウトされたんだから、これはもうやるしかないよ。」
 「でも、私モデルなんて、興味ないし。」
 「美空、美空ってすっぴんでスカウトされたんだよ。それが、どれだけすごいかわからないの?メイクしてないのに、スカウトされたって事は、メイクしたらもっともっとすごい美人になるって、そういう事だよ。」
 「渚、私本当にモデルなんて、やりたくないの。渚とこうして一緒にお弁当を食べたりしてる事の方が、私にとっては大切な事なの。」
 「そんなふうに言ってくれて、ありがと。でもさ、よーく考えてよ。あれだけの人の中から美空は選ばれたんだよ。」
 渚は美空にそう言った。
 その日の放課後、渚と一緒に生徒玄関に行くと、白石ヒカリがいた。美空と渚を見てから、渚に、にっこり笑って話しかけた。
 「ねぇ、あなた名前なんていうの?」
 「え、私?渚です。」
 「渚ちゃん、メイクかわいいね。」
 「え、本当ですか?うれしい。私、ヒカリさんのインスタフォローしてるんです。」
 「え、うれしい。」
 白石ヒカリは胸の前で両手を合わせて笑顔で言った。
 「ねぇ、渚ちゃん、ちょっと時間ある?」
 「え。」
 「ちょっと、コスメの事とか話したくて。私の使ってるコスメ、あげるから、ちょっと話さない?」
 「え、くれるんですか?」
 「うん。」
 渚は喜んだ。
 「あ、美空も一緒にいいですか?」
 渚が聞くと白石ヒカリは言った。
 「ええと、その人はメイクに興味ないんじゃないかな。メイクしてないし。だから、私は渚ちゃんとお話ししたいの。二人で。」
 渚がちょっと考えるような顔をした。美空は、
 「私の事は、気にしなくていいよ。」
 と言った。
 「じゃあ、ごめん美空。ちょっと、話してくるから、先に帰ってて。」
 「うん。」
 美空は、うなづいた。渚と白石ヒカリは廊下をあるいて、特別教室に入って行った。美空は、なんだか渚をとられたようで、悲しかった。
 しかたなく美空は、生徒玄関で上履きを靴に履き替えた。そして、いつもは校門まで渚と歩く距離を一人で歩いた。校門を出て、歩いていたら、いつもの所に陸がいた。
 「よぉ、ドレミ。」
 陸はそう言って、美空のとなりにならんだ。けれど、美空は、なんだかうまく陸と話せなかった。陸にやつあたりしたことを、ちゃんと謝らなくちゃと思っているけれど、うまく言葉にならない。それに、渚を白石ヒカリにとられたようで、それも気になる。そんな事を考えてうつむいて歩いていたその時、陸が美空の右の手首をつかんで自分の方にひきよせた。
 「あぶねぇだろ。」
 見ると、スマホを見ながら運転してきた自転車が前から来ていた。
 「ごめん。ちょっと考え事してたの。」
 「ドレミも、悪いけど、スマホ見ながらチャリ乗ってんじゃねーよな。」
 「そうだね。あぶないよね。」
 陸に守ってもらった事が、うれしいと美空は思った。でもこれは、「彼氏になってやる。」という陸のあの言葉からなんだろうか。陸は、自分の事をどう思っているのだろうか。そんな事をふと思って、また美空は無口になった。
 「ドレミ。」
 陸が、ゆっくり歩き出したので、美空もあわててとなりを歩いた。
 「スカウトされたんだってな。」
 「え。」
 「モデルに、スカウトされたんだろ?」
 「うん。」
 「すげぇな。で、どうするんだ?」
 「ことわるよ。」
 「そんな簡単に決めていいのかよ。」
 「もう、答えは出てるよ。」
 「お母さんに相談したのか?」
 「言ってないよ。だって、私モデルなんて、やりたくないから。」
 「そっか。やりたくないなら、無理にそんなもんにならなくていいからな。」
 陸は美空の話を聞いてそう言ってくれた。うれしかった。自分の気持ちをわかってもらえたようで、その陸の一言がとてもうれしかった。思わず笑顔になった。
 「どうしたんだ?」
 「え、何が?」
 「急に笑顔になって。」
 「なんだか、自分でもよくわかんないけど、うれしくなって。」
 「へんな奴だな。」
 陸がぶっきらぼうに言った。それでも、そんなささやかな会話を陸と、こうしてならんでできることが、美空は今とても幸せだとそう思った。

 翌日のお昼休み、渚が美空の席に来て言った。
 「あのさ、美空。」
 渚にしては、なんだか言いにくそうな感じで、なかなか本題に入らない。
 「どうしたの?」
 美空が聞くと、渚は立ったまま言った。
 「昨日、ヒカリさんから色々コスメもらってさ。ファンでとかグロスとかマスカラとか、チークとか。で、香水まで、もらったんだよね。で、今日一緒にお弁当を食べようって言われてさ。美空の事もいいかって聞いたんだけどさ、渚ちゃんがいいって。でさ、本当に悪いんだけど、今日だけ私五組でお弁当食べて来る。美空、本当にごめん。」
 「そっか。わかったよ。」
 美空が言うと、渚は教室を出て行った。美空は、ため息をついた。しかたないなと、美空はもらった。色々もらったんだから、渚だって誘いをことわれないだろうと、美空は思った。美空は、スクールバックを持って教室を出た。そして、屋上に行った。
 一人でお弁当を食べていると、陸がやって来た。
 「こんな所で、一人で食ってるのか?」
 「なんで陸、ここに来たの?」
 「ドレミが教室を出てくのがわかったから、後つけてきた。」
 「わ、ストーカーみたい。」
 「やめろ、ストーカーじゃねぇからな。」
 「陸はお昼食べないの?」
 「もう食った。昼休みまで、待てなくてな。パン食った。」
 「そっか。」
 美空はお弁当を食べた。食べ終わってから、陸が美空に言った。
 「また、弁当作ってくれないか?」
 「え。」
 「一応、俺の弁当は毎日テーブルの上にあるんだ。でも、愛情のない弁当なんていらねぇから、わざと忘れてきて、コンビニでパン買ったりしてる。ドレミの、弁当うまかったからな。毎日パンだと、あきるしな。」
 「そっか。いいよ。」
 美空は笑顔で答えた。その笑顔を陸は、しばらくみつめた。目と目が数秒合った。美空の鼓動が早くなった。やだ、ドキドキしていると、美空は思った。これじゃ、まるで恋をしているみたいだと、美空は目をそらした。陸も、美空から目をそらして言った。
 「じゃあ、頼んだぞ。」
 「うん。今度は、何をいれようかな。うーん、ピーマンの肉詰めとかはどう?」
 「ピーマンが、ちょっとな。」
 「え、ピーマンも苦手なの?」
 「野菜が、あんまり。」
 「え、でもこの前ミニトマトとブロッコリーは、ちゃんと食べてくれたじゃない。」
 「少しの量なら食える。」
 美空は、くすくすと笑った。
 「何がおかしいんだ?」
 「だって、子供みたいなんだもん。」
 「うっせーな。ガキじゃねぇっての。」
 「じゃあさ、ハンバーグはどう?」
 「お、いいな。」
 「じゃあ、ハンバーグにするね。」
 「あとさ、たまご焼き。」
 「この前の味つけで、いいのかな。」
 「ああ、うまかった。」
 「了解。頑張って早起きするね。」
 「悪いな。」
 「ううん、いいよ。」
 チャイムがなって、二人は屋上を出た。それぞれ距離をとって廊下を歩き、教室に戻った。
 放課後、渚と一緒に校門まで歩いた。そして、校門に来た時に、渚が言った。
 「あのさ、美空。」
 渚はまたなんだか言いにくそうに話をした。
 「悪いんだけど、明日からずっと、ヒカリさんがこの高校にいる間、一緒にお弁当食べる事になってさ。」
 「え、毎日?」
 「うん。本当にごめん。あれだけ、色々もらったら、ことわれなくて。」
 「うん。」
 「ああ、あとね、ヒカリさん美空と神宮司君の事聞いてたよ。」
 「え、なんで?」
 「それは知らないけど。でも、私言ってないからね。美空と神宮司君の関係。それは、絶対に言ってないよ。ただね、ヒカリさん、どうやら神宮司君が好きみたいなんだよね。」
 「え。」
 「芸能人なら、芸能界にイケメンいっぱいいるのにね。なんでかな。」
 「そうなんだ。」
 美空は、小さくつぶやいた。
 渚と別れてから、美空は一人で歩いた。いつもの所に陸はいなかった。さみしいなと、思った。今日は、陸に会いたいと、自分でも強く思っていた。自販機の前で立ち止まり、美空は心に穴があいたような気がした。陸は白石ヒカリのファンだ。ヒカリが陸を好きなら、二人は両想いになってしまう。それは、いやだと美空は思った。そして、考えた。そうだと、美空は思いたった。陸に明日お弁当を作ってあげよう、そう思って美空はまっすぐ帰るのをやめて、スーパーに行った。
 スーパーにつき、かごを持って店内を歩いた。ハンバーグの材料を買い、あとは何をいれようか迷った。野菜を入れたい所だけど、陸は野菜が苦手だ。野菜コーナーの所で悩んでいると、アスパラをみつけた。アスパラのベーコン巻きなら、食べてくれるだろうか。色どりにも緑を入れたい。もしも嫌いなら、残すかもしれない。それならそれでいい。でも、ちょっとの量なら食べてくれるかもしれない。美空はそう思ってアスパラをかごに入れた。
 家について、私服に着替えた。お弁当の下準備をした。アスパラをゆで、ベーコンで巻いた。明日の朝は焼くだけにした。それから、玉ねぎをみじん切りにして、炒めた。これで、準備はオッケーと思って、陸にラインをした。
 「明日お弁当作って持ってくね。」
 陸からは、すぐに返信が来た。
 「サンキュー。」
 一言だったけれど、うれしかった。
 翌朝、美空はいつもよりも一時間半早く起きて、お弁当を作った。陸が喜んでくれるといいなと、心をこめてハンバーグを作った。リクエストのたまご焼きも上手に焼けた。下準備しておいたアスパラのベーコン巻きも作り、きれいにお弁当箱につめた。
 「できた。」
 美空は思わず声にだした。あくびをしながら起きてきたお母さんが、
 「美空いいにおいがするわね。」
 と言った。
 「上手にできて良かった。」
 美空が言うと、お母さんは、美空の作ったお弁当をみてほめてくれた。
 いつもよりも早い時間に登校した。教室には誰もいなかった。よかったと、美空は胸をなでおろした。陸の机にお弁当を入れようとしたが、教科書やノートでお弁当が入らない。どうしようかと思い、机のわきにあるフックにお弁当の入った袋をかけた。それから、自分の席に座って、陸にラインをした。
 「おはよう。お弁当の入った袋を机のわきのフックにかけておいたよ。」
 しばらくして、
 「了解。」
 と返信が届いた。そして、陸が教室に入って来てから、美空は陸の様子をちらちら見ていた。陸はちゃんとお弁当の入った袋に気がついて、それをスクールバックにいれてくれた。良かったと美空は思った。
 お昼休み、美空は自分の席でお弁当を一人でたべようと思った。今日は雨が降っているので、屋上にはいけない。しかし、そう思った時、
 「陸くーん。」
 と、白石ヒカリが教室にやって来た。教室中の生徒が白石ヒカリに注目した。
 「これ、クラブハウスサンド作ったの。良かったら、食べて。」
 白石ヒカリはそう言って陸に笑顔でバックを手渡した。
 「え。」
 反射的に受け取ったのか、陸はおどろいていた。
 「食べてくれたら、うれしいなぁ。」
 白石ヒカリはそう言った。それから陸と何か話をしていた。白石ヒカリは身振り手振りがおおげさで、かわいらしいしぐさをしていた。それを見た時、美空は嫉妬した。あんなかわいらしいしぐさ自分にはできない。しかも教室で堂々と。嫉妬してしまった事に気が付いて、美空はスクールバックを持って教室の前の出入り口から出た。そして、誰も来ない東校舎の視聴覚室に入った。息をきらせて走ってきた。席に座り、息を整えた。そして、作ってきたお弁当を食べ始めた。食べながら、なぜか涙がこみあげてきた。その涙は頬を伝って、次々にこぼれ落ちた。一生懸命にお弁当を作った。陸が喜んでくれたらいいなと思いながら。早起きだって、いやじゃなかった。むしろ目覚まし時計よりも先に目が覚めたくらいだ。それなのに、それなのに。涙がとまらなかった。なんで自分は泣いているのか、美空はその理由がわからなかった。自分で作ったお弁当を一人、泣きながら食べた。

 家に帰って来た美空は、私服に着替えて、居間のカーペットの上にごろんとあおむけに寝ころんだ。そして、天井を、ぼーっとみつめた。なんだか、とても疲れたと美空は思った。何もしたくない。というよりも、何かをする気力が出ない。しばらく、天井をぼーっと見ていた美空は、そろそろと体を起こした。ローテーブルの上にあるスマホを手に取った。そして、お母さんに、ラインを送った。
 「疲れたからご飯作らなくてもいい?」
 しばらくして、お母さんから返信が届いた。
 「いいわよ。何か買ってかえるからね。」
 そう書かれてあった。美空は、スマホをローテーブルの上に置き、またカーペットの上に寝ころんだ。そして、ゆっくり目をとじた。そのうちに、美空はねむってしまった。
 玄関のインターホンの音で、美空は目をさました。体を起こし、壁の時計を見ると、六時だった。誰だろうと、そろそろと歩き、玄関に行った。そこにいたのは、陸だった。
 「これ。」
 陸はそう言って、お弁当の入っている袋を差し出して来た。美空は、それを受け取った。
 「弁当箱、洗っておいた。」
 「え。」
 「洗い物なんて、した事ねぇからな。ちゃんと洗ったんだけど、気に入らなかったら、もう一度洗ってくれ。」
 「わざわざ洗って、持ってきてくれたの?」
 「うまかった。」
 「え。」
 美空は、陸を見た。陸も美空を見ていた。
 「食べてくれたの?」
 「ああ。」
 「ヒカリさんのは?」
 「あれも、食った。」
 「そうなんだ。」
 美空は、ぽつりとつぶやいた。胸の奥がチクンと痛んだ。
 「じゃあな。」
 陸は、用事がすんだらしく帰って行った。美空は、しばらくその場にいたが、台所に行くことにした。自分のお弁当箱と水筒をあらわなくちゃいけない。美空は、陸のお弁当の入っている袋をあけた。中を見てみると、きれいにお弁当箱は洗ってあった。洗ってあるから、中身はからっぽだ。ちゃんと全部食べてくれたのかなと、美空は思った。それから、自分のお弁当箱と水筒を洗った。
 七時を過ぎた頃、お母さんが帰って来た。
 「ただいま。美空、これ買ってきたから一緒に食べようね。今、着替えてくるから。」
 お母さんはそう言って私服に着替えて居間に戻ってきた。おいしそうなにおいのする袋を一つ一つお母さんが、あけていった。
 「ピザとチキンとポテトよ。」
 それから、ペットボトルを一本取り出して、美空に手渡した。ウーロン茶だった。
 「たまには、洗い物しない事にしましょうよ。これなら、全部捨てるだけだしね。」
 お母さんが、笑顔で言った。
 「さ、食べよう。」
 お母さんにうながされて、美空はピザを一口食べた。まだ、あたたかくておいしい。自分がおなかがすいていたんだと、気が付いた。
 「このチキンもおいしいわよ。」
 骨のついたチキンをお母さんは、食べながら美空にすすめた。
 「学校はどう?」
 「え。」
 「中間テスト、すごくいい成績だったでしょ。友達とは、仲良くやってるの?」
 「うん。」
 「そう、それは良かったわ。」
 お母さんは、もしかしたら自分の様子がおかしいと気が付いて心配しているのかもしれないと、美空は思った。お母さんに、心配をかけないように、美空はわざと明るくふるまった。
 「あ、ポテトもおいしい。」
 美空は、次々に食べ、
 「あー、おなかいっぱい。」
 と元気よく言った。
 「それだけ食べれたら、元気ね。」
 お母さんが、ふっと笑って言った。やっぱり、お母さんはすごいと美空は思った。自分の事をちゃんと見てくれている。こんなに愛情をそそいでくれる人がいるんだから、心配をかけてはいけないと美空は思った。
 しばらくして、美空はお風呂に入った。湯ぶねにつかりながら、考えた。最近の自分はどうかしている。情緒が不安定だ。今日だって、わけもわからないまま泣いてしまった。もっとしっかりしなくちゃと、美空は両手で自分の頬を軽くたたいた。
 翌日、美空が教室に入ると、女子たちになぜか注目された。いやな空気だなと思いながら、自分の席に着いた。すると、あちらこちらで、グループになっている女子達がひそひそ言い出した。何を言っているのだろうと、美空は少し耳をすませた。彼女たちは、美空を見ながら言う。
 「ヒカリさんに、言ったんだって。自分がスカウトされて、調子にのって、ヒカリさんよりも自分がかわいいって。」
 「それに、聞いたんだけど、メイクしてる子の事バカにしてるらしいよ。ブスはメイクしないとだめだから、かわいそうねって言ったんだって。」
 ひそひそとささやかれるその会話は、あきらかに自分の悪口だった。しかも、言っていない事をささやかれている。
 「ヒカリさん、昨日の放課後、五組の教室で泣いたんだって。」
 「ヒカリさん、かわいそう。あんな子に色々言われて。スカウトされて、本当に調子にのってるよね。」
 自分は白石ヒカリに何も言っていない。どういう事なんだろう、美空はそう思った。その時、渚が教室に入って来た。ちらっと美空を見て、だまって自分の席に着いた。いつもなら、教室に入ってくると、元気よく美空に話しかけてくるのに。美空は、うつむいた。すると、しばらくして、スマホがなった。美空がスマホを手に取って、見てみると、渚からのラインだった。そのラインは、とても長文だった。
 「美空、ごめんなさい。白石ヒカリは、いやな女だったよ。私に、コスメや香水くれたけど、あれは全部計算だったんだよ。美空がヒカリさんに、悪口を言ったってうそついて、昨日五組の教室で、涙流して泣いたんだって。それで、美空が言ってもないこと言われたって被害者になりきってたよ。私は、ヒカリさんに言ったの。なんで、美空を悪者にするのかって。そしたらさ、あんたは私のプレゼントもらったんだから、私の味方よねって。もし、私を裏切るなら、プレゼント代金全額返してよねって。私、プレゼントされたコスメや香水使ってるし、代金全額なんて支払えないから、何も言い返せなかった。白石ヒカリは、美空を孤立させるために、私に近づいてきたんだよ。気がつくのが遅れてごめん。私はお金返せないから、白石ヒカリのいいなりにしかなれない。助けてあげれない。本当にごめん。」
 美空は渚の長文のラインを読んだ。そして、言葉が出なかった。自分は何も言っていないのに、白石ヒカリにきついことを言ったというデマが広がっている。どうしよう。どうしたらいいのだろう。
 その日は、教室の中にいても、居場所がないという孤独感でいっぱいだった。トイレに行く時も廊下を歩いているだけで、ちがうクラスの女子から悪口を言われたし、トイレの順番を待っている時も、知らない女子から悪口を言われた。
 お昼休みになって、美空は逃げるように教室を出た。屋上に行って、一人フェンスの向こうをただ見ていた。こういう事になりたくなかったから、目立ちたくなかった。注目なんてされないように、してきた。スカウトされたばっかりに、こんなにも、女子から誹謗中傷されるなんて、しかも自分が言っていないことがデマとして広がっている。どうしたらいいんだろう。遠くを見つめて、ここからいっそ飛び降りてしまったら、気持ちがらくになれるんじゃないかと思った。そして、いつの間にかチャイムがなった。授業に行かなくては、そう思うけれど、動けない。教室に行きたくない。けれど、行かなくては。美空は、重い足取りでしかたなく教室に行った。
 教室に入ると、黒板の前にいた鬼の高橋が怒鳴った。
 「また、遅刻か。」
 「すみません。」
 「放課後、職員室に来なさい。説教はその時だ。授業を続ける。」
 よりによって、数学の授業だった。美空は、自分の席に着き、教科書やノートを出した。けれど、授業なんて、ぜんぜん集注できなかった。
 放課後、美空は職員室に行き、高橋からぐちぐちと長い説教を受けた。そして、プリントを一枚手渡された。
 「これを、提出してから、変えるように。」
 「はい。」
 美空は、プリントを受け取り職員室を出た。
 教室には誰もいなかった。しかたなくプリントをやる事にした。けれど、問題をとこうと考えても、今日の事を思い出して、頭がまわらない。クラスの女子を敵にしてしまった。これから、どうしたらいいんだろう。高校なんて、義務教育じゃないんだから、やめてしまおうか。そうだ、高校なんて、やめよう。そう思った時、
 「星野さん。」
 と、声をかけられた。見ると同じクラスの佐藤君だった。いつか渚が、佐藤斗真君はイケメンだけど、おとなしいと言っていた。その佐藤君とは、今まで話した事はなかった。
 「そのプリントやってから、帰るの?」
 「あ、うん。これ提出してから帰らないといけないんだ。」
 「僕で、よかったら教えようか?」
 「え、いいの?」
 佐藤君は美空の前の席の椅子を美空のほうに向けて、美空と向かい合って座った。
 「どこが、わからないの?」
 「あ、ええとね。」
 佐藤君はとても親切に教えてくれた。その美空と佐藤君の様子を陸が廊下から見ていた。そして、陸はだまって帰って行った。
 「終わった、ありがとう佐藤君。」
 お礼を言うと、佐藤君は言った。
 「じゃあ、提出してこようか。」
 「あ、一人で行けるよ。本当にありがとう。」
 美空と佐藤君は一緒に教室を出た。佐藤君は職員室の前までついてきてくれた。そして、美空がプリントを提出して廊下に来ると、まだそこにいた。
 「待っててくれたの?」
 「まあ。」
 二人で生徒玄関に行った。その流れで校門まで一緒に歩いた。校門に来た時、佐藤君は言った。
 「星野さん、色々言われてるみたいだけど、大丈夫?」
 「え。」
 「僕は、星野さんが人の悪口言うなんて、信じてないよ。」
 佐藤君は話した。
 「教室にごみが落ちてると、星野さんはだまって拾って、ごみ箱にいれてくれるし、そういう事ができる人が人の事を悪く言わないって思ってる。」
 そんな姿を見ていて気が付いてくれてたんだと、美空は思った。
 「フェイクニュースって、あるでしょ?」
 「え。」
 「フェイクニュースだと僕は思ってる。みんな、ちゃんとその情報が正しいのか、なんにも考えてないんだと思う。だから、風向きが今はきついだろうけど、その風向きは必ずいつか変わるから。」
 「ありがとう。」
 「じゃあ、また明日ね。」
 「え、ああ、うん。」
 佐藤君は帰って行った。美空は、しばらく佐藤君のうしろ姿を見ていた。「また明日。」と言われてしまった。ということは、自分は明日も学校に来るしかない、美空はそう思った。

 家に帰って私服に着替えた。そして、お弁当を見た。お母さんが、せっかく早起きして作ってくれたのに、食べられなかった。おなかもすかなかったし、食べ物がのどを通らない気がしたからだ。しかたなく美空は、お弁当の中身をごみ箱に捨てた。
 「お母さん、本当にごめんなさい。」
 美空は、お弁当箱を洗った。きれいに洗い終わったお弁当箱を見て思った。陸も、こんなだったのだろうか。自分の作ったお弁当を、食べられなくて、中身を捨てた。そして、お弁当箱を洗ったんじゃないだろうか。陸は、「うまかった。」と言ってくれたけれど、本当は食べてなかったんじゃないだろうか。ふぅと、美空は息を吐いた。
 居間に行き、カーペットの上に座った。明日から、どうしたらいいものかと考えた。うわさは、校内に広まっているだろう。自分が言っていない事が言ったという事で、うわさは広がっている。きっと、みんな白石ヒカリの味方だろう。教室では、完全に孤立してしまった。もう、教室に自分の居場所なんてない。美空は、途方にくれた。
 翌日の朝、美空は行きたくないなと思いながらも、力をふりしぼって、家を出た。歩くペースが遅い。だんだん高校が見えてくると、吐き気がしてきた。頭が痛くなった。このまま、帰ろうか。そんな事を考えた。でも、ここまで来てひきかえしたら、それもへんに目立ってしまう。しかたなく美空は高校に向かって歩いた。
 教室に入ると、今日も女子たちのグループがあちらこちらから、美空を見てはひそひそ悪口を言っている。わざと、聞こえるように言っているのだろうか。美空は自分の席で、いつも持ち歩いているマンガ本を出して読み始めた。大丈夫、これを読んでいたら、きっと心は落ち着くから、そんなことを心の中で自分に言い聞かせた。
 お昼休みになった。今日は、雨が降っている。屋上には行けない。どうしようかと思い、スクールバックを持って、教室を出た。行くあてもなく廊下を歩いた。おなかもすいてないし、今日もお弁当を食べるのをやめようと思った。そして美空は図書室に入った。
 図書室は、すごく静かだった。読書をしている生徒が、数人いた。みんな自分の世界に入っていて、美空に注目しない。なんだか、ようやくほっとできた。美空は、あいている席に座って、いつも持ち歩いているあのマンガ本を、出して読み始めた。教室でも、トイレに行く時でも、あちらこちらから、見られ悪口を言われた。でも、ここは安全だと、美空は思った。ようやく、安全な場所がみつかって、本当に良かったと美空は思った。明日から、ここに来ればいいんだと美空は思った。
 その日の帰り、傘をさしながら歩いていると、いつもの所に陸がいた。
 「よぉ、ドレミ。」
 陸はそう言って美空のとなりにならんで歩いた。久しぶりで、何を話していいのかわからず、美空はだまっていた。きっと陸も、自分の悪いうわさを知っているだろう。しばらく二人とも無言で歩いていた。だんだん美空の家が見えてきた。その時、陸が言った。
 「ドレミ、言い返さねぇのかよ。」
 「え。」
 「ドレミ、ヒカリにあんな事してねぇんだろ?ドレミがあんなひどい事いうわけねぇよな。だったら、言い返せばいいだろ。」
 美空は立ち止まった。陸も、立ち止まり、美空を見た。美空は陸に向かって、大声で言った。
 「誰に、何を言い返せばいいのよ!」
 美空の目から涙が一粒零れ落ちた。
 「みんなが私の事、悪く言ってる。いろんな人が。私の知らない人まで、私の事、悪く言ってる。うわさしてる人、何人もいるんだから。誰に何を言い返せばいいって言うのよ!」
 美空は今まで心の中にあった怒りが、すべて言葉になって、そしてその言葉は陸に対してでてきてしまった。やつあたりだと、美空は言ってから思った。でも、もうどうしようもなかった。言ってしまった言葉は、取り消せない。少し間をおいてから陸が言った。
 「ドレミ、悪かった。彼氏になってやるなんて勝手な事言って。もう、彼氏になってやるなんて言わねぇからな。そんなんにつきあわなくていいからな。」
 陸はそう言って帰って行った。さっきよりも、雨が強くなった。傘をさしていても、髪の毛や制服、靴がぬれる。それでも、美空はその場を動け泣けなかった。小さくなっていく陸の後ろ姿をただただみているしかできなかった。
 家に入り、私服に着替えて、泣きながらお弁当箱と水筒を洗った。今日も、食べられなかったお弁当の中身をごみ箱に捨てた。自分は最低だ。お母さんにも、陸に対しても。ひどい事をしている。どうしよう、自分はいつからこんな人間になってしまったんだろうか。涙が、とまらなかった。陸に、嫌われてしまった。もう、一緒に歩く事はきっとないだろう。あのハスキーな声をとなりで聞くことは、もうないだろう。そう思うと、さっきよりも、胸が苦しくなって涙がとまらなくなった。
 翌日はお母さんに、
 「パンを買うから、お弁当はいらないよ。」
 と言っておいた。そして、今日も一日が始まってしまったという憂鬱な気持ちで家を出た。
 教室に着き、またこの教室で一日のほとんどを過ごすのかと思うと、気持ちが重くなった。
 お昼休みになって、美空は図書室に行こうと思った。でもその時、校内アナウンスが流れた。
 「一年二組の星野美空、今すぐ進路指導室に来なさい。」
 「え。」
 美空は思わず声をもらした。教室の中にいるみんなが美空を注目した。なんで、呼び出されたんだろう、そう思いながら美空は教室を出た。
 進路指導室は一階にある。戸をノックして入ると、そこにはパイプ椅子に座っている高杉と、そしてとなりには知らない女性が同じくパイプ椅子に座っていた。
 「あのぉ。」
 美空がそろそろと聞いた。
 「なんでしょうか。」
 「そこに、どうぞ。」
 高杉は自分の向かい側にあるパイプ椅子に座るように言った。テーブルをはさんで、向かい合って座ると、高杉が言った。
 「今日は、ヘアメイクをつれてきました。」
 「え。」
 高杉のとなりにいる女性が頭をさげたので、美空もつられて頭をさげた。
 「ヘアメイクの長谷川です。」
 「星野さん、スカウトの件、考えてくれましたか。」
 高杉が言った。
 「あの、私モデルなんてしません。」
 「そんな事言わないで、ちゃんと考えてください。今日は、ヘアメイクをつれてきたので、今からメイクしてみませんか。」
 「え。」
 長谷川が美空に微笑みながら、口をひらいた。
 「肌もきれいだし、髪の毛もきれいね。簡単なメイクで、もっと華やかになれるわよ。」
 「メイクしてもらってから、もう一度、真剣にモデルになることを考えてください。」
 高杉が言った。
 「あの、私、モデルになんて興味ないんです。だから、いくら言われてもことわります。」
 「そんなこと言わないで。メイクして華やかになったら、その気になるかもしれないでしょう。気分によって、アイメイクを変えたり、服によってメイクを変えると、気分もあがるのよ。あなたなら、すぐに人気モデルになれると思うわよ。」
 長谷川が言った。
 「いやです。」
 美空は立ち上がった。
 「私はモデルになんて、なりたくないんです。もう、私にかまわないでください。失礼します。」
 美空はそう言って進路指導室を出た。
 教室に戻ると、みんなが美空に注目して、教室の中が一瞬でしんと静まり返った。入口で立ち止まった美空はゆっくり自分の席に向かおうとした。その時、一人の男子生徒が美空に聞いて来た。
 「もしかして、スカウトの話だった?デビューするの?」
 みんなが美空の答えを待っている、それで美空は答えた。
 「私は、モデルになんてなりたくないから、ことわってきたよ。」
 「えー、もったいない。」
 どこかから女子生徒の声がした。美空は自分の席にもどった。少し教室の中がざわついた。その時、陸が立ち上がって大声で言った。
 「モデルにスカウトされてことわるような奴が、調子にのってるとおもうのかよ!ヒカリにひどい事言ったって本当にそうおもってるのかよ!こいつは、誰かをバカにしたりしない。メイクだってしたい奴はすればいいし、したくねぇやつはしなきゃいい。べつに、メイクしてる奴のことなんてバカにしてねぇ。真実がなにかも考えねぇで、こいつの事悪く言ってる奴ら、そういうのって、性格ブスっていうんじゃねぇのかよ。」
 すると、渚も立ち上がって言った。
 「そうだよ。美空は悪い事なんにも言ってないよ。みんなうわさにまどわされてるよ。美空は調子にのってないし、誰の事もバカにしたり悪口言ったりしてないよ。」
 渚はそう言って泣き出して、教室を出て行った。美空は、立ち上がって、渚を追いかけた。
 「待って、渚。」
 渚は走って廊下を行く。そのうしろを美空はおいかけた。東校舎まで来ると、生徒の姿はなくなった。ようやく立ち止まった渚に近寄り、美空は言った。
 「渚、ありがとう。」
 「美空、ごめんね。」
 渚は美空にだきついて泣いた。
 渚の涙がとまるまで、美空は渚を抱きしめていた。もうとっくにチャイムはなっている。
 「授業始まってるね。」
 泣き止んだ渚が言った。
 「英語の授業だよね。多分、居残りはないから、いいよ。」
 「ごめん、美空。私親からお金借りて、明日ヒカリさんにプレゼント代金返すよ。」
 渚はハンカチで涙をふいて言った。
 「五組でお弁当食べてても、ちっとも楽しくなかった。ヒカリさんのグループの中にまぜてもらってたんだけど、話あわないし。ヒカリさんと同じグループの子、みんなヒカリさんからプレゼントもらってて、ヒカリさんのいいなりだよ。美空の悪いうわさ流したのも、その子達だよ。」
 「そっか。」
 「あー、メイクくずれちゃった。」
 「渚、かっこよかったよ。」
 「え、本当に?」
 「うん。」
 えへへ。」
 渚の顔に笑顔が戻った。

 放課後、渚がメイクをなおしてから美空に言った。
 「ねぇ、寄り道していかない?」
 「え。」
 「駅の近くの路地にね、レトロな喫茶店みつけたんだよね。みつけた時、美空と一緒に行きたいなって思ったの。」
 「へぇ、行ってみたいな。」
 「じゃあ、今から一緒に行こうよ。」
 「うん。」
 いつもは校門で渚と別れるけれど、今日は渚と駅の方に向かって一緒に歩いた。渚の言っていたとおり、駅の近くの路地にその店はあった。「喫茶店古時計」と小さな看板があった。
 その店のドアをあけると、
 「カランコロン。」
 と、カウベルの音がした。中に入った渚が言った。
 「あ、犬がいる。」
 見ると、レジの前にゴールデンレトリバーが寝ていた。
 「いらっしゃいませ。お好きなお席にどうぞ。」
 カウンターの中から中年の男性が声をかけてくれた。店内は四人掛けのテーブル席が四つ、カウンター席が五つと、そんなに広くはなかった。奥のテーブルに白いひげをたくわえた老人が新聞を読みながらコーヒーを飲んでいた。美空と渚は入り口に近い席に、向かい合って座った。
 「あの時計、いいね。」
 渚が店内にある振り子のついた時計を見ながら言った。
 「うんそうだね。大きな古時計にでてきそうな時計だよね。」
 美空が言った。店内には、BGMはなく、振り子のついた時計がチクタクと時を刻む音しかなかった。その時、
 「カランコロン。」
 とドアが開く音がした。
 「あ、佐藤君。」
 渚が言った。美空は振り返って、ドアの方を見た。
 「あ、いらっしゃい。」
 佐藤君はそう言って、美空と渚の席に来た。
 「斗真の、お友達ですか?」
 カウンターの中から出てきた男性がテーブルの上にお冷をおいて聞いて来た。
 「え、ここって佐藤君の家?」
 渚が聞いた。
 「うん。僕の家なんだ。置くが住居になってる。ここで、バイトしてるから、今着替えてくるよ。」
 斗真はそう言ってカウンターの中に入り奥へと消えて行った。
 「ご注文が決まりましたら、お声がけしてください。」
 佐藤君のお父さんはメニューをテーブルの上においてカウンターの中に入った。二人で、メニューを見た。
 「私、ウィンナーコーヒーって飲んだ事ないんだよね。これにしようかな。」
 渚が言った。
 「私は、オリジナルブレンドかな。いつも家でインスタント飲んでるから。」
 「ねぇ、ケーキも食べない?」
 「そうだね。」
 佐藤君が黒いズボンに白いポロシャツ、その上に黒いエプロンをして戻って来た。
 「あ、佐藤君。」
 渚が佐藤君に声をかけた。
 「ええと、ウィンナーコーヒーとオリジナルブレンド、それからティラミスとチーズケーキお願いします。」
 「はい、かしこまりました。」
 佐藤君は注文を聞いてカウンターに入って行った。改めて店内を見る。
 「なんだか、時間がとまってるみたいな感じだね。」
 美空が言った。
 「うん。いい雰囲気だよね。こういうレトロな店、初めて。」
 「私も。こんな店あったのも、知らなかったよ。」
 「ここって、佐藤君のイメージにぴったりだと思わない?」
 渚が言った。
 「おちついてて、静かで。」
 渚の言葉に美空はうなづいいた。
 しばらくすると、佐藤君が飲み物とケーキを運んできてくれた。
 「わ、おいしそう。」
 渚が言った。
 「ケーキは僕が作ったんだ。」
 佐藤君の言葉に美空と渚はおどろいた。
 「すごいね。」
 二人でそう言うと、佐藤君は言った。
 「昔からお菓子を作るのがすきだったんだ。」
 「へぇ。」
 渚はそう言ってティラミスを一口食べた。
 「おいしい。」
 美空もチーズケーキを一口食べた。
 「うん。すっごくおいしいよ。」
 「ありがとう。」
 佐藤君はお礼を言って笑顔になった。そして、話始めた。
 「母さんが、今体調くずしてて。いつもは父さんと二人でこの店まわしてるけど。」
 「大変だね。」
 渚が食べながら言った。
 「その母さんが、いつも言ってたんだ。困ってる人がいたら、助けてあげなさいって。でも僕は中学三年の時、クラスでいじめられている子を助けてあげられなかった。だから、今日神宮司君たちが教室で勇気出したのを見て、感動したんだ。」
 渚の顔をまっすぐ見て、佐藤君は言った。
 「勇気って、僕にはなかなかだせないから。」
 「私だって、そうだったよ。」
 渚が食べる手をとめた。
 「でも、みんなの前ではっきりいってたでしょ。すごいと僕は思ったよ。」
 「ありがとう。」
 渚が言った。
 「この店にいるジョン。」
 佐藤君はゴールデンレトリバーを見てから話を続けた。
 「ジョンは、もともとは盲導犬だったんだ。盲導犬を引退して、うちでひきとったんだ。ジョンだって、人を助けてきたのに、僕は勇気がいつもだせなくて。」
 美空はそれを聞いて佐藤君に言った。
 「そんなことないよ。この前、数学のプリント手伝ってくれたじゃない。すごくうれしかったよ。」
 「いや、そんなのべつに。でも、今日神宮司君達を見て、もっと僕も強くなりたいって思ったんだ。まぁ、そんなすぐには変れないかもしれないけど。」
 佐藤君はそう言ってから、
 「じゃあ、ごゆっくりどうぞ。」
 と言ってカウンターの中に戻って行った。
 それから美空と渚は色々なはなしをした。飲み物も飲み終わり、ケーキも食べ終わった頃、渚が言った。
 「美空、神宮司君とはどうなってるの?」
 「え。」
 美空はちょっとだまってから話した。
 「彼氏になってやるって言ったけど、もうそんなのにつきあわなくていいからって、言われちゃった。」
 「え、どういうこと?」
 「嫌われちゃったみたい。」
 「なんで。」
 「私、最近ちょっと情緒不安定っていうか、陸にやつあたりしちゃったの。」
 「へぇ、めずらしい。」
 「なんかね、陸がヒカリさんと一緒にいるのを見ると、なんていうか胸がズキズキしたり、イライラしたりしてさ。私、最低だよね。」
 すると、渚が美空の顔を見て真剣に言った。
 「それってさ、美空が神宮司君の事を好きってことなんじゃない?」
 「え。」
 美空は意外な事を言われて渚の顔を見た。自分が陸を好き?そうなんだろうか。
 「ドラマとか映画でよくあるじゃん。気が付いたら好きになってましたってああいうパターン。それだよ、きっと。だったらさ、しかたないよ。好きな男子が他の女子と仲良くしてるのを見たらさ、イライラもするって。」
 美空は言葉がでなかった。考えてみたら、そうかもしれないと美空は思った。
 「でも、私陸に嫌われちゃったし。」
 「そうかなぁ。今日だって、神宮司君、美空を助けてくれたじゃん。私は神宮司君が勇気出してくれたから、そのおかげで私も勇気だせたんだよ。きっとさ、神宮司君も、勇気だしてみんなの前でいってくれたんだと思うよ。」
 「陸が、勇気を?」
 「さっき、佐藤君も言ってたでしょ。勇気出すのって、なかなかむずかしいんだよ。それをさ、美空のために神宮司君は勇気出してくれたわけでしょ。だったら、美空も勇気出して、自分の気持ちをちゃんと伝えた方がいいよ。」
 美空は、渚の言葉を聞いて考えた。陸が、自分のために勇気をだしてくれたのかと。そうだったら、うれしい。美空は陸の顔を思い浮かべていた。

 翌朝、教室に入ると、女子たちがちらっと美空を見た。けれど、昨日陸と渚が言ってくれたおかげで、悪口を言われずにすんだ。
 「おっはよー、美空。」
 渚が元気よく教室に入って来た。みんなちらっと、渚を見た。けれど、渚は堂々としていた。もしかして、わざと明るく教室に入ってきてくれたのだろうか。それならそれは、渚の勇気と優しさだと美空は思った。
 お昼休み、久しぶりに渚とお弁当を食べた。
 「あー、やっぱこうして美空と食べるお弁当はおいしいよ。」
 渚は、お弁当を食べながらしみじみ言った。
 「私も、渚とまたこうしてお弁当食べれて、すっごくうれしいよ。」
 「五組でお弁当食べてた時はさ、なんていうか、気を使ってさ、肩こりしちゃったよ。ヒカリさんのグループの女子って、五組でも目立つタイプの女子でさ、なんていうか話合わなくて。それに、ヒカリさんのまわりにはいつも男子がむらがってるしさ。ヒカリさんは、男子の前では、あざといんだよね。しぐさとか、声まで、女子だけの時とちがうんだもん。つかれちゃったよ。」
 渚はそう言って、食べ終わったお弁当箱のふたをしめた。
 「メイク直しもさ、ヒカリさんって、しないんだよね。あれって、メイクがくずれないわざあるのかなって聞いたらさ、メイクさんが朝家に来てくれて、メイクしてくれてるんだって。髪の毛も巻いてもらってさ。いたれりつくせりだよね。」
 渚は、ポーチからコスメを出して言った。
 「せっかくだから、もらったコスメはこのまま使うよ。ていうか、今日代金全額返したから、結果的には自分で買った事になるんだよね。」
 「渚、色々ありがとね。」
 「いいって、私も悪かったわけだしさ。それよりもさ、体育祭、うちらのチームTシャツ水色でしょ。当日、どんなメイクしようかなぁ。」
 「渚って、本当におしゃれだよね。」
 「えへへ。ありがとう。水色のTシャツだからねぇ、アイメイクはどうしようかな。」
 「服によって、メイク変えるの?」
 「まぁ。いつもは制服だから、そこまで気にしてないけどね。体育祭って言ったらさ、高校生活の二大イベントだからさ。」
 「二大イベント?」
 「そうだよ。一つは体育祭、もう一つは文化祭。」
 「そっかぁ。」
 「私さ、将来メイクに関する仕事したいなって思ってるんだ。化粧品の会社とか、できればメイクアップアーティスト。好きな事を仕事にできたらいいよね。」
 「すごいな、渚。将来の事考えているんだね。」
 渚はメイク直しが終わってからコスメをポーチにかたづけながら言った。
 「それはそうと、美空もちょっとはメイクとかした方がいいよ。」
 「うん、そうかもしれないんだけどさ。」
 「あのさ、メイクしなくても、例えばヘアアレンジするとかさ。好きな人にかわいい姿を見てもらいたいって、そう思う事は自然な事だよ。」
 渚に言われて、美空は陸の席を見た。陸は教室にいなかった。
 「まぁ、いいんだけどさ。ねぇ、トイレ行こうよ。」
 「うん。」
 美空と渚が廊下を歩いていると、五組の教室の前に白石ヒカリと陸がいた。白石ヒカリは、髪の毛をアップにしていて、かわいいと美空は思った。さりげなく陸の腕をさわったり、しぐさもかわいい。陸はどんな表情をしているのだろう。こちらからだと、背中を向けていて表情はわからない。二人のわきを通り過ぎる時に、白石ヒカリが美空に気が付いて、美空をするどい目つきで一瞬にらみつけた。怖いと美空は思った。
 教室に戻りながら美空は渚に聞いた。
 「なんでヒカリさんて、私がそんなに嫌いなのかな。」
 「自分よりもかわいいと思ったんじゃないかな。そのうえ、スカウトされたもんだから、悔しかったんだと思うよ。女って怖いよね。あ、ていうか私も女か。」
 渚は美空の問いにさらっと答えた。
 帰り道、少し期待していた。けれど、自販機の前に陸の姿はなかった。あたりまえだ。陸にやつあたりしたんだから。もうここで、陸が自分を待っているということは、きっとないだろう。
 家に着き、私服に着替えて居間のローテーブルにつっぷした。
 「あー。」
 声をだして、ため息をついた。
 「何やってんだろう、私。」
 一人ごとをつぶやいた。陸に、やつあたりしたことをちゃんと謝らなくちゃ。どうやって、謝ろうか。連絡先を知っているんだから、ラインしようか。いや、それではだめだ。やっぱり直接会って、謝罪したい。とは言っても、学校で陸と話したりできない。だったら、電話はどうだろうか。でも、それも無理だ。陸は女子と電話したことないと言っていた。自分だって、男子と電話をした事はない。どうやって、いつ謝ろうか。結局、答えがでなかった。美空は、体を起こした。そして、お昼休みに渚が言っていた事を思い出し、洗面所に行った。
 洗面所の鏡の前で、髪の毛をいじった。ヘアアレンジをしようと思ったからだ。メイクはしなくても、ヘアアレンジだけでもしてみようと、美空は思って髪の毛をああでもない、こうでもないと、いじった。試行錯誤して、
 「あー、うまくできない。」
 と声をもらした。今日、白石ヒカリはきれいに髪の毛をアップにしていた。あんな感じに自分もしてみたい。でもそのテクニックが自分にはない。体育祭は二大イベントだと渚は言っていた。考えてみたらそうだ。そのイベントをちゃんと楽しみたい。そして、再び美空は鏡の前で髪の毛をいじった。そして、決めた。うまくできないなら、せめてポニーテールにして行こうかと。以前、雑貨屋さんで白くてかわいいシュシュがあった。かわいいと思って、思わず買ってしまった。けれど、まだ一度も使った事がない。ポニーテールにその白いシュシュをつけたらどうだろうか。いつもとちがう髪型をしている自分を陸が見たら、どう思うだろうか。もしかして、なんにも思わないかもしれない。でも、渚も言っていた。好きな人にかわいいと思ってほしいのは、自然なことなんだ。そう、ちょっとは自分も女子力をあげてみよう。そう決めた。

 体育祭当日の朝、美空はポニーテールに白いシュシュをつけて登校した。教室について、渚が登校してくるのを待った。やがて渚が教室に入って来た。
 「美空、いいじゃん。ポニーテール、似合ってる。」
 「ありがとう。」
 それから生徒たちはチームTシャツに着替えた。そしてみんなグラウンドに向かった。
 いい天気だった。実行委員の生徒が司会をしていた。本部テントのわきには特設のステージが用意されていた。午後から白石ヒカリのトークショーがあるからだ。業者が来て、特設ステージを作って行ったんだと渚が教えてくれた。
 美空と渚の出場種目玉入れは午前の部だった。集合して、各チームごとにグラウンドにわかれて、
 「よーいスタート。」
 の声で、かごに玉入れをしていく。小学校の頃、こうやって玉入れを運動会の時にした記憶がよみがえり、美空は無邪気に笑いながらかごに向かって玉をいれた。渚も声に出して笑いながら玉入れをする。
 玉入れが終わって、美空と渚は、
 「たのしかったね。」
 と笑顔で言いあった。午前の部もとどこおりなく終わり、お昼休みになった。
 美空は渚とお弁当を食べながら、ちらちらと陸を見ていた。今日、自分はちゃんと陸に謝ろうと決めて登校してきた。タイミングをのがさないようにしようと思っていた。お弁当を食べ終わりかけたその時、陸が教室を出て行った。
 「渚、ちょっと行ってくるね。」
 美空はそう言って、教室を出て、陸を追いかけた。
 「陸.」
 廊下で陸に声をかけた。陸は、たちどまり振り返った。美空の顔を見て、ちょっとおどろいたような顔をした。
 「陸、この前は、やつあたりしちゃってごめんなさい。」
 美空はそう言って、頭をさげた。
 「それから、みんなの前で、助けてくれて、どうもありがとう。」
 美空はそれだけ伝えると、
 「じゃあね。」
 と言って教室に戻った。
 「美空、おかえりー。」
 渚が言った。
 「ちゃんと謝って来たヨ。あー、緊張したよぉ。」
 「えらいえらい。」
 渚はそう言って、ほめてくれた
 午後の部は、まず白石ヒカリのトークショーから始まった。
 「皆さん、こんにちは。白石ヒカリです。」
 ステージに立った白石ヒカリがマイクを持って挨拶した。今日は、普段よりも派手なメイクで、髪の毛もいつもよりもゴージャスに巻いてあった。チームTシャツは来てなくて、ハイブランドのピンクの花柄のワンピースを着ていた。午前は、ヘアメイクさんが来ていて、特別教室でヘアメイクしてもらっていたらしい。スタイリストさんもつれてきていて、何着かある服の中から、その花柄のワンピースを選んだらしかった。
 「体育祭、皆さん楽しんでますか。私は映画の役作りのためにこの高校に来ました。今日で、この高校とお別れになります。」
 白石ヒカリがそう言うと、
 「えー。」
 と、あちらこちらから生徒の声があがった。その時、小雨が降って来た。そして、強い風が吹いた。
 「ちょっと、メイクがくずれるじゃない。髪の毛も乱れるでしょ。この雨と風どうにかしてよね。ていうか、なんでステージに屋根付けとかないのよ、このバカ!」
 白石ヒカリはマイクを持っていることを忘れていたのか、スタッフに怒った。
 「雨が降ったら、どうなるか考えてステージ作っときなさいよね。このバカ。みんなバカなの?」
 白石ヒカリは自分よりも年上のあきらかに大人のスタッフに対して暴言をはきまくった。そのうちに、はっとしたのか、マイクをもちなおして言った。
 「し、失礼しました。」
 そう言った時にはもう遅かった。生徒の声が白石ヒカリを非難した。
 「なんだ、その言い方。自分より年上の人に対して。」
 「雨がふって、メイクがくずれるのは、私達だっておんなじよ。」
 女子も男子も白石ヒカリに抗議した。しばらく、ステージの上であたふたしていた白石ヒカリが、もういいやというようにマイクを持って言った。
 「あんた達、誰にものを言ってると思ってんのよ!私は女優よ。あんた達みたいな庶民、一般人になんで文句言われなくちゃいけないのよ。静かにしてよね。」
 そう言い終わると、ステージを降りた。
 「帰るわよ。」
 白石ヒカリはスタッフにそう言って、ずんずん歩いてグラウンドを後にした。生徒たちはみんな白石ヒカリの暴言に、まだ抗議していた。
 「あれが、白石ヒカリの正体だよね。」
 渚が美空に言った。白石ヒカリがグラウンドを出て行って、先生が拡声器で言った。
 「生徒の皆さんは、各チームの応援席にもどりなさい。」
 その声で生徒たちは各チームの応援席に戻った。小雨はやんだ。通り雨だったらしい。風もおちついて、無事に午後の部の協議が始まった。やがて、陸の出場する借り人競争の番になった。
 「よーいスタート。」
 その声で選手たちは走る。走った先には机が置かれていて、その机の上に紙がある。その紙にかかれた人を書くチームの応援席に行って、そして一緒にゴールをめざす。
 「サッカー部の人いる?」
 「吹奏楽部の人いる?」
 選手たちは紙にかかれてある人を探し、書くチームの応援席に来て声をかけた。やがて陸の番になった。
 「よーいスタート。」
 陸が走りだした。
 「陸、頑張って。」
 美空は両手を胸の前で組応援した。陸が紙を見て走って、応援席に来た。そして美空をまっすぐ見て言った。
 「ドレミ、来い!」
 「え、私?」
 美空はよばれて、陸の前に行った。すると、陸は美空の右の手をしっかりつないで走り出した。美空も陸と一緒にゴールをめざして、走った。無事にゴールした後、乱れた呼吸を整えてから、美空は陸に聞いた。
 「なんて書いてあったの?」
 すると、陸は持っていたその紙を美空に手渡した。その紙にはこう書かれていた。「好きな人」美空は、陸を見た。陸も美空を見ていた。そして、陸は美空をまっすぐ見て言った。
 「ドレミ、好きだ。」
 美空はその一言を聞いて、思わず心臓がとまるかと思った。それくらいに、おどろいた。陸がまっすぐ美空をみつめている。美空は言った。
 「私も。私も陸が好き。」
 二人ともしばらくみつめあっていた。その時、だれかが大きな声で言った。
 「あ、虹だ。」
 その声で、美空と陸は空を見上げた。見上げた空には、きれいな七色の橋がかかっていた。

 体育祭が無事に終わり、渚と校門で別れた。美空は、一人で帰り道を歩きながら、いつもの所に陸が待っていることを、期待していた。そして、その期待は的中した。いつもの自販機の前にいた陸は、美空を見て右手をあげて言った。
 「よぉ、ドレミ。」
 美空は、うれしくなり思わず陸の所に駆け寄った。
 「待っててくれたの?」
 「まぁ。」
 陸が美空を数秒見てから、歩き始めた。美空も、陸のとなりにならんで歩く。陸が、ぼそっと言った。
 「その髪型、似合ってるな。」
 その陸の一言が、たまらなく美空はうれしかった。
 「ありがとう。」
 お礼を言った美空は、明るい笑顔だった。その表情を見た陸は、少してれたように、言った。
 「なんか、恥ずかしいな。」
 「え、何が?」
 「正式に、つきあうってさ。」
 「それもそうだね。」
 そう言ってから、会話がとぎれた。そして、二人ともだまって歩いた。やがて、美空の家に着いた。二人とも、向かい合って、だまったままお互いの顔をみていた。しばらくして、美空が言った。
 「うちに、よっていく?」
 「いいのか?」
 「うん。」
 陸と一緒に家に、入った。初めて陸を家に招いた時よりも、美空は緊張していた。
 ローテーブルの上に、コップに入った麦茶を二つ置いた。
 「どうぞ。」
 「ああ、さんきゅー。」
 二人とも、向かい合ったまま、静かに麦茶を飲んだ。なんだか、緊張しすぎて、自分の心臓の音が陸に聞こえてしまうんじゃないかと美空は思った。何か、話をしようと、美空は話題を探した。けれど、なんにも思い浮かばない。
 「今日、体育祭の時、玉入れたのしそうにやってたな。」
 沈黙をやぶったのは、陸だった。
 「見てたの?」
 「ああ。」
 「玉入れなんて、小学生の頃以来だったから、すっごく楽しかったよ。」
 「そっか。」
 また沈黙になった。緊張しすぎて、のどが渇く。けれど、麦茶を飲み過ぎたら、またトイレに行きたくなるかもしれないと、美空は麦茶を飲むのを、がまんした。
 「やっぱ、今日は帰る。」
 陸がそう言って、たちあがった。
 玄関まで見送ると、陸が言った。
 「そういえば、アスパラって意外とうまいんだな。」
 「え。」
 急に、何を言っているのだろうと美空は思った。
 「アスパラのベーコン巻き、うまかった。」
 陸のその一言で、この前作ったお弁当の事を思い出した。
 「ちゃんと、食べてくれたんだね。」
 「ああ。」
 「ありがとう。」
 「なんで、ドレミがお礼を言うんだ?」
 「だって。本当に食べてくれたのかなって、思ってて。」
 「また、弁当作ってくれよ。」
 「うん。」
 「じゃあ、今日は帰る。またな。」
 陸はそう言って帰って行った。

 翌日、登校した美空は陸が教室に来るのをちらちらと見ていた。チャイムがなる直前で、陸が教室に入って来た。目と目が合う。それだけで、美空の鼓動は、はねた。けれど、言葉をかわすことはなかった。
 結局、一日同じ教室にいたのに、陸とは一言も話ができなかったなと、美空が帰り支度をしていると、美空の席に陸が来た。
 「一緒に、帰らないか?」
 意外な誘いに、美空は目を大きくした。
 「ねぇ、私一緒にいても、本当にいいの?二人のお邪魔でしょ。」
 渚が同じセリフを、二回言った。
 「渚がいてくれた方がいいよ。二人だと、私緊張しちゃってさ。」
 美空は渚の耳元にそっとささやいた。
 美空は陸と渚と一緒に生徒玄関まで行き、そして校門に向かった。渚が良くしゃべってくれるので、間がもった。校門まで来ると、
 「じゃあ、私はこっちだから。あとは、お二人で。」
 と、渚が言って手を振って帰って行った。陸と二人きりになり、緊張しながらならんで歩いた。少ししてから、陸が言った。
 「この前。」
 陸は、そう言ってから少し間をおいて話を続けた。
 「ドレミが、数学の居残りしてた時、同じクラスの佐藤から勉強教えてもらってただろ。あれ、見た時なんかムカついた。」
 「え、陸見てたの?」
 美空がおどろいて聞いた。
 「ドレミが、また居残りするから、教室に行ったんだ。でも、佐藤と仲良くしてたから、帰った。」
 「佐藤君はね、すごく親切な人なんだよ。この前ね、渚と駅前の路地にある喫茶店に行ったの。そこは、たまたまなんだけど、佐藤君の家でね。佐藤君のお母さんは、困っている人を助けるようにって、言ってるんだって。それで、佐藤君は、お母さんの言うように、私に親切にしてくれたの。」
 「そっか、そうだったのか。」
 「まさか、佐藤君の家が喫茶店だったとは、知らなかったよ。あ、そうだ。今度一緒にそのお店に行かない?」
 「ああ、そうだな。」
 「明日、土曜日だし、もし良かったらランチ食べに行こうか?」
 「そうだな。」
 美空はうれしくて、笑顔になった。そんな美空を陸はいつもよりも優しい顔で見ていた。

 翌日、美空の家に来た陸は玄関で言った。
 「ドレミの、お母さんいるか?」
 「うん。いるよ。」
 「ちゃんと、挨拶しといた方がいいかと思って。」
 陸がそんな事を言うなんて思ってもいなかったので、美空はおどろいた。
 「今、よんでくるから、ちょっと待っててね。」
 すぐに美空は玄関に、お母さんを連れて来た。
 「こんにちは。」
 美空のお母さんが先に陸に挨拶をした。
 「あの、こんにちは。」
 陸は、背筋をのばして言った。
 「あの、ええと美空さんとおつきあいさせてもらっています。神宮司陸と言います。」
 「陸君ね。美空から聞いてます。」
 「あ、そうですか。」
 「美空と、仲良くしてやってくださいね。」
 「はい、こちらこそ。」
 陸はちょっとへんな返事をしていた。それがおかしくて美空は笑った。
 「何、笑ってんだよ。」
 陸が、いつものぶっきらぼうな口調で言った。
 「だって、おかしくてさ。私の事、ちゃんと名前で言ってくれたりして。」
 「そりゃ、そうだろ。ドレミの、お母さんに挨拶するんだから。」
 美空と陸の会話を笑顔で美空のお母さんは聞いていた。
 「二人とも仲がいいのね。」
 お母さんは、ふふふとわらって言った。
 「じゃあ、行ってくるね。」
 美空はお母さんにそう言って、陸と一緒に家を出た。

 美空と陸は、喫茶店古時計のドアを開けた。
 「カランコロン。」
 カウベルの音がなった。
 「いらっしゃいませ。」
 カウンターの中にいる佐藤君のお父さんが言った。今日はお母さんもいて、こちらに向かって笑顔で挨拶をしてくれた。店内は今日はこの前よりもお客さんがいた。この前渚と座った席が、一つだけあいていたので、美空と陸はその席に向かい合って座った。
 「いらっしゃいませ。また来てくれたんだね。」
 エプロンをつけた佐藤君がお冷を持ってきて、テーブルの上においた。
 「うちは、ナポリタンランチがおすすめだよ。」
 「へぇ、おいしそうだね。」
 「注文がきまったら、教えてね。」
 佐藤君はそう言って、メニューをおいてカウンターの中に戻って行った。
 「私、おすすめのナポリタンランチにしようかな。」
 「あ、俺も。」
 「そうだ、ケーキはね、佐藤君が作ってるんだって。」
 「へぇ、すげぇな。」
 「せっかくだから、ケーキも食べようよ。」
 メニューを見ていた陸は、
 「俺、チョコケーキと言った。
 「陸、チョコ好きなの?」
 「ああ。」
 「そっかぁ。じゃあ、私もチョコケーキにしようかな。飲み物はどうする?あ、リンゴジュースあるよ。」
 「おお。俺はそれだな。」
 美空と陸は佐藤君に、注文をして、料理が来るのをまった。ふと、レジの前に寝ているジョンに気が付いた陸が言った。
 「あの犬、幸せそうな顔で寝てるな。」
 「ジョンっていうんだって。前は、盲導犬だったんだって。盲導犬を引退して、佐藤君の家族がひきとったらしいよ。」
 「へぇ、そうなのか。」
 「陸は、犬好きなの?」
 「ああ。犬も猫も、動物はみんな好きだ。」
 「そっかぁ。」
 「俺、なれるかわかんねぇけど、獣医になれたらなって。」
 「え、獣医?すごいね。」
 「昔から、動物が好きでさ。まぁ、まだ悩んでるけどな。」
 「でも、すごいよ。渚はね、メイクが好きだから将来はそういう方面の仕事につきたいんだって。佐藤君は、お菓子作るのが好きだから、こうやってお店のケーキ作ってるし、みんな本当にすごいね。私なんて、おだやかに暮らせたらそれでいいなって、特に将来の夢もないんだ。」
 「べつに、それはそれでいいんじゃねぇか?」
 「え。」
 「べつに、何かにならなくてもいいんじゃねぇか?」
 「そうかな。」
 「ドレミだって、この先もしかしたらやりたい事がみつかるかもしれねぇし。わかんねぇだろ。それに、べつに何かにならなくてもいいって思う。」
 「そっかぁ。べつに何かにならなくてもいいんだぁ。だったら私は、とにかくおだやかに暮らしたいな。」
 「そういう夢もありなんじゃねぇか?」
 「ありがとう。そんなふうに言ってくれて。」
 ちょうどいいタイミングで料理を運んで来た佐藤君は笑顔で言った。
 「同じクラスの友達が来てくれて、父さんも母さんも喜んでるよ。」
 「お母さん、体調良くなって良かったね。」
 「うん。今は三人で、こうして休みの日は仕事してるよ。」
 佐藤君は笑顔だった。教室にいる時はあんまり笑顔をみせないけれど、好きな事をしていると、自然と笑顔になるんだなと、美空は思った。

 店を出て、駅前を歩いていると、同じクラスの女子四人グループに遭遇した。美空と陸を見て、彼女たちは言った。
 「え、あの二人、つきあってるの?」
 あまりに大きな声だったので、美空にも陸にも聞こえた。
 「ヒカリさんと、つきあってると思ってた。」
 そのうちの一人の女子がそう言った時、陸が美空の右手をぎゅっとつないだ。おどろいて、美空は陸を見た。陸は彼女たちに堂々と言った。
 「俺ら、つきあってるんだ。」
 宣言するような一言だった。陸は女子に人気がある。人気のある陸とつきあったら、また女子から悪口を言われるかもしれないと、美空は思った。
 陸に手をつながれたまま帰り道を歩いた。美空が元気がない事に、陸が気が付いて聞いてきた。
 「どうかしたか?」
 美空は、少し考えてからこんな事陸に言ってもいいのだろうかと、思いながら話した。
 「陸はね、女子からモテるんだよ。その陸とつきあってたら、また女子から何か言われるかもしれない。中学の頃にね、友達の好きだった男子から、告白された事があったの。私はすぐにことわったのに、それなのに孤立したの。」
 美空の話を聞いた陸が手をさっきよりも強くつないで言った。
 「そんな事になったら、俺がドレミを守るから。」
 美空は陸を見た。陸は、力強いまなざしで美空を見ていた。
 「ありがとう。でもね、私、最近になってからその時のその子の気持ちがちょっとわかったような気がするの。自分の好きな男子が私に告白して、それがすごく許せなかったってそういう気持ちが。私ね、陸がヒカリさんと一緒にいる姿を見た時、ヒカリさんに嫉妬したの。それに、なんだかイライラもしたの。恋愛って、きれいな感情だけじゃないんだね。」
 美空の話を聞いた陸もうなづいて言った。
 「そうかもな。俺も、ドレミと佐藤が二人で教室にいるのを見た時、ムカついた。だから、たしかに、きれいな感情だけじゃねぇのかもな。だけどな、誰かをターゲットにしてみんなで悪口を言うってのは、やっぱちがうと思う。だから、安心しろ。ドレミが、何か言われたら、絶対に俺が守るから。俺ら、つきあってるんだぜ。べつに誰かに迷惑かけてねぇだろ。」
 美空は、陸の言葉の一つ一つが心に響いて、思わず泣きそうになった。
 美空の家について、陸はつないでいた手をほどいた。
 「これからはさ、学校でも話しようぜ。」
 陸が言った。
 「うん。私も学校で、もっと陸と話をしたいと思ってたの。」
 「なんか俺ら、恋愛初心者だな。」
 陸がふっと笑って言った。
 「そうかもね。初心者マークつけとかないとだね。」
 美空もそう言ってわらった。
 「じゃあ、またな。」
 「うん。またね。」
 陸のうしろ姿が見えなくなるまで、美空は陸を見送った。そして、思う。自分たちは、自分たちのペースで歩いていけばいいんだと。ゆっくり、一歩づつ。だって、お互い恋愛初心者マークがついているんだから。