ベッドの隣は、昨日と違う人

30話 大地のスーツ






ほどなくして、店員が近づいてきた。

「ご予約の早瀬さまでしょうか」

「あ、はい」

大地が答えると、店員はにこやかに頷いた。

「本日はコンシェルジュが担当いたしますね。こちらへどうぞ」

案内された奥のスペースは、少しだけ仕切られていて、落ち着いた空間だった。
大きな鏡と、椅子が二脚。

「じゃあ……俺、あっち座っとく?」

「ううん。わたしも一緒に聞く」

そう言うと、大地は一瞬だけ驚いた顔をして、それから小さく笑った。

「頼もしいな」

採寸が始まる。
メジャーを当てられて、腕を上げたり、姿勢を正したり。

みいなは少し離れた位置から、大地の後ろ姿を見ていた。

(……ちゃんとしてる)

仕事着のスーツとは違う、
「誰かのために選ぶ」スーツ。

その背中が、妙に大人に見えた。

「みいな、どう思う?」

試しに羽織ったジャケット姿で、大地が振り返る。

「……うん」

一拍置いてから、みいなは素直に言った。

「似合ってる。ちゃんと“大地”って感じ」

「なにそれ」

笑いながらも、大地は少し照れたように首の後ろを掻いた。

「でも、まだ1着目でしょ。ほら、他も着てみよ」

みいながそう言うと、大地は「はいはい」と言いながら、ハンガーに掛けられた別のジャケットを手に取った。

次に出てきたのは、さっきより少し細身のシルエット。
色も、ほんのり濃い。

「どう?」

「……これは、さっきよりシャープ」

みいなは正面から一度見て、横に回って、少し距離を取る。

「仕事できそう感はあるけど、二次会だとちょっと硬いかも」

「即却下かよ」

「却下じゃないけど、今日じゃない」

即答すると、大地は苦笑しながら更衣室に戻っていった。

三着目は、少し柔らかい生地のネイビー。
肩のラインが自然で、立った姿がすっときれいに見える。

「……あ」

思わず声が出る。

「それ、いい」

「さっきより?」

「うん。なんていうか……一番、自然」

大地は鏡の中の自分を見て、軽く腕を動かしてみる。

「動きやすいな、確かに」

その様子を見て、みいなは少しだけ安心する。
無理して“よそ行き”になっていない感じがした。

そこへ、コンシェルジュが一歩前に出た。

「こちら、とてもお似合いですね。肩の収まりもいいですし、全体のバランスがきれいです」

「ですよね?」

思わずみいなが同意すると、コンシェルジュは微笑んだ。

「少しウエストを詰めると、さらにラインが整いますよ。2次会でしたら、このくらいのきちんと感がちょうどいいかと」

大地は鏡越しにみいなを見る。

「……みいな、どれがいいと思う?」

少し真剣な声だった。

みいなは迷わず答える。

「これ。大地に1番似合ってる」

そう言った瞬間、言葉に嘘がないことが自分でもわかった。

「……じゃあ、これにするか」

決めたあと、大地は小さく息を吐いて笑った。

「なんかさ、人に選んでもらうの、悪くないな」

「でしょ」

みいなも笑う。

「大地、こういうの1人で決めそうだもん」

「まあな。でも今日はさ……」

言いかけて、大地は少し言葉を切った。

「みいなが一緒でよかった」

その一言が、妙に胸に残った。

(……スーツ選んでるだけ、なのに)

なのに、さっきまで感じていた“緊張”みたいなものはなくて。
ただ、穏やかな時間が流れている。

安心って、こういう空気なのかもしれない。

みいなは、そんなことをぼんやり考えながら、
もう一度、鏡の中の大地を見た。

ちゃんと似合っていた。
服だけじゃなくて、その場に立っている感じごと。


(なんか……不思議)

何も始まっていないのに、
何も起きていないのに。

この時間が、ちゃんと心に残っている。