ベッドの隣は、昨日と違う人

25話 三年前の出来事






──三年前。

店の照明は少し暗くて、カウンターの上だけがやけに明るい。
グラスの中で氷が鳴る音が、会話の合間に小さく入り込む。

仕事帰りの人たちのざわめき。
週末には少し早い平日の夜。

みいなは、グラスの縁を指でなぞりながら、視線を落としたまま言った。

「……なんかさ、フラれ、ちゃった……」

少し間が空いてから、大地が口を開いた。

「みいな、お前また……」

責めるでも、呆れるでもない。
ただ事実を確認するみたいな声音。

「うん……」

みいなは小さくうなずく。

「なんか、最初はガンガン押されて始まったけど……
みいなの気持ち、よくわかんないって言われて」

言い終わったあと、自分でも変だな、と思った。
“わかんない”って言われたのは、相手なのに。
なぜか、責められたみたいな気分になっている。

大地は一度グラスを口に運んでから、少しだけ考えるように言った。

「……それ、みいな。
ちゃんとそいつのこと好きだったか?」

即答できなかった。

「……わかんない」

そう答えてから、少し慌てて付け足す。

「でも……好きって言ってくれたから……」

その瞬間、大地の眉がわずかに動いた。

「お前はいっつもそうだよな」

ため息まじりの言葉。
でも、突き放す感じじゃない。

「相手が“好き”って言ってくれるとさ、
自分も好きな気がしてくるんだろ」

みいなは何も言えず、グラスの氷を揺らした。

「それで、あとから置いてかれたみたいな顔する」

図星だった。

「……悪いとは言わねぇけどさ」

大地はそう前置きしてから、少しだけ声を落とす。

「みいなが何を感じてるか、
ちゃんと見てくれるやつじゃねぇと、
また同じことになるぞ」

その言い方が、妙に真剣で。
みいなは、胸の奥がきゅっと縮むのを感じた。

「……ごめん」

思わずそう言うと、大地はすぐに被せる。

「謝るとこじゃねぇよ」

即答だった。

大地はグラスを置いて、みいなを見る。

「押されて始まったならさ、それはもう“始め方”がそいつの都合だろ。
みいなが悪いわけない」

「……でも」

言いかけて、言葉が詰まる。
みいなは指先でグラスの縁をなぞった。

「でも、わたしも……嫌って言えなかったし」

「嫌じゃなかった?」

「……ううん。嫌、じゃない時もあった」

正直に言うと、胸の奥が少しだけ軽くなった。

「ただ……だんだん、分からなくなってきて」

「なにが?」

「好きって言われるたびに、安心する自分と、
そのあと何も残らない感じがあって……」

言葉にすると、思っていたより静かな声だった。

「一緒にいるときは、ちゃんと優しくて。
好きだって言葉も、嘘じゃなかったと思うんだけど……」

少し間を置いて、みいなは続ける。

「でも、別れ際とか、次の日になると。
あ、わたしとその人が見てる温度、少し違うんだなって思う瞬間があって」

大地はすぐに口を挟まない。
ただ、黙って聞いている。

「それでも、好きって言われると、
一緒に居ようかな、とか思っちゃって……」

「……みいな」

大地が低く名前を呼ぶ。

「それ、真実を見ないフリしてただけだろ」

「……うん」

否定できなかった。

「好きって言葉に、相手を見てたんじゃなくてさ。
好きって言われてる“自分”を、守りたかったんじゃねぇの」

胸の奥を、正確に突かれた気がした。

「……そうかも」

小さく笑う。

「わたし、いつもそうだね」

「そうだな」

大地はあっさり言った。

「でもさ、それって弱いってことじゃねぇよ。
ちゃんと誰かを信じようとしてただけだ」

少し間を置いて、続ける。

「ただ、相手がそれに応えられなかっただけ」

みいなは顔を上げた。

「……大地って、こういうとき、優しいよね」

「優しいんじゃねぇよ」

照れもせず、ぶっきらぼうに言う。

「長ぇ付き合いだから、見てきただけだ」

グラスの氷が、からん、と鳴る。

「みいなはさ。
好きって言われなくても、大事にされるやつだろ」

その言い方が、断定みたいで。
胸の奥が、じんとした。

「……ありがとう」

それだけ言うと、少しだけ視線を落とす。

そのときだった。

店内のざわめきに混じって、誰かの焦った声が聞こえた。