24話 流されなかった日
ご飯も終盤に差しかかったころ。
拓也は急に身を乗り出して、声のトーンを落とした。
「あのさ、みいなちゃん?」
一瞬、空気が変わる。
「今夜こそ……いれるんでしょ?一緒に」
子犬みたいな目。
さっきまでのぶっきらぼうさが嘘みたいに消えて、甘えるように下から覗き込んでくる。
(……これだ)
今まで、何度もここで心が揺れてきた。
でも、今日は。
(決めてる)
みいなは深く息を吸った。
「あのね、拓也くん……」
声が少し震える。
「ごめんね。今日は……帰る」
「ええーー??」
大げさな声。
「なんで?俺のこと、嫌になった?」
「……ううん、そうじゃなくて……」
言葉を探しながら続ける。
「でも……会ったら、いつも、だし」
「そんなの、お互いがそうしたいから毎回なんじゃん?」
拓也は声をひそめる。
「俺、あの時のみいなちゃん、好きだよ。
声とか、顔も……全部」
「そ、そんな……」
「ね?見せて?今日も、可愛い姿」
少し間を置いて、低く言う。
「俺だけに、さ」
みいなは、ぎゅっと膝の上で手を握った。
「……ごめんなさい」
顔を上げられないまま、続ける。
「今日は、やっぱり……」
少しの沈黙。
「……はぁーあ」
拓也が大きく息を吐いた。
「つまんないの。ダメならダメってさ、誘った時に言ってほしいわ」
苛立ちを隠そうともしない声。
「どうすんの、今日の俺の気持ち」
「……ごめんなさい」
口をついて出た言葉に、みいな自身が一番驚いた。
(……わたし、何謝ってるんだろ)
胸の奥に、静かに答えが落ちてくる。
(あの時だけ可愛いって言って)
(やっぱり……この人……)
肉の焼ける音だけが、やけに大きく響いていた。
お店を出ると、夜風が思ったより冷たかった。
さっきまでまとわりついていた焼肉の匂いが、少しずつ薄れていく。
いつもなら、このまま自然に手を引かれて、
人通りの少ない方へ歩いていく流れだった。
お酒も入って、
上機嫌な拓也に合わせて、みいなも笑って。
でも、今夜の拓也は違った。
背中から、はっきりわかるくらい空気が固い。
「ねぇ、みいなちゃん」
足を止めずに、低い声で呼ばれる。
「本当に行かない?」
一瞬、心が揺れる。
でも、立ち止まらなかった。
「……うん。ごめんね」
短く答えると、拓也は小さく舌打ちした。
「……わかったよ。じゃあ今日はここで解散な」
乱暴に指で示されたのは駅の方向。
「駅、あっち。わかるでしょ」
振り返らないまま、吐き捨てるように言う。
「じゃあね」
そのまま、拓也は歩き出した。
本当に、振り返らなかった。
(今日は……「またね」って、言われなかった)
胸の奥が、きゅっと縮む。
でもそれ以上に、
断った瞬間に、何かがはっきりした気がした。
(やっぱり……)
断った途端に消える優しさ。
急に冷たくなる距離。
(拓也くんは、わたしを
“そういうときの相手”としてしか見てなかったんだ)
悲しいはずなのに、
悔しいよりも先に、ふっと息が抜けた。
ホッとしている自分が、確かにいる。
(今日は……流されなかった)
改札へ向かいながら、みいなは小さく肩をすくめた。
今まで、何度も流されてきた。
でも——
(断ったときに出る態度が、その人の本音なのかも)
胸の奥に残っていたざわつきが、少しずつ静まっていく。
代わりに残ったのは、妙に現実的な感覚だった。
ホームに吹き込む風が、思ったより冷たくて、
その冷えが、頭をはっきりさせてくれる。
(……よくやったよ、わたし)
胸を張るほどじゃない。
でも、確かに一歩は踏みとどまれた。
みいなは前を向いて、改札を抜けた。
今夜はただ、帰るだけでいい。
——そんなふうに思えた夜だった。
帰る電車の中、ポケットの奥でスマホが震えた。
大地からだった。
📱
「日曜だけどさ、桐ヶ丘駅で13時でいい?」
「スーツコンシェルジュみたいなんあってさ、予約空いてるのそこだけだったんだ」
画面を見て、みいなは少しだけ目を丸くする。
📱
「へぇ、そんなのあるんだ」
「いいの選べそうだね👔」
「13時、大丈夫だよ」
すぐに返事が来る。
📱
「よかった☺️
コンシェルジュもいるけどさ、みいなの目で見ていいやつ、選んでな」
(……わたしの、目で見て)
その言葉が、胸の奥にすっと落ちた。
📱
「うん!まかせて」(スタンプ)
送信してから、みいなは小さく息を吐いた。
本当は、少しだけドキッとしていた。
“みいなの目で見て”
その一言が、思った以上に胸に残っている。
誰かに合わせるんじゃなくて、
誰かの都合でもなくて、
わたし自身の感覚を信じていい、みたいに言われた気がして。
軽く返したはずなのに、
胸の奥は少しだけざわついて、
それと同時に、不思議と落ち着いてもいた。
(……なんで、今まで気づかなかったんだろ)
拓也くんといるときの緊張とは、まるで違う。
試されている感じも、値踏みされている感じもない。
それに――
今まで、大地とは一度も、そういう関係になったことはない。
……あ、そういえば。
大地の家に、泊まったこと。
一度だけ、あったっけ。
何もなかった夜。
なのに、妙に覚えている夜。
あれは……確か、三年前。
電車が揺れるたび、その記憶がゆっくりと浮かび上がってきた。
ご飯も終盤に差しかかったころ。
拓也は急に身を乗り出して、声のトーンを落とした。
「あのさ、みいなちゃん?」
一瞬、空気が変わる。
「今夜こそ……いれるんでしょ?一緒に」
子犬みたいな目。
さっきまでのぶっきらぼうさが嘘みたいに消えて、甘えるように下から覗き込んでくる。
(……これだ)
今まで、何度もここで心が揺れてきた。
でも、今日は。
(決めてる)
みいなは深く息を吸った。
「あのね、拓也くん……」
声が少し震える。
「ごめんね。今日は……帰る」
「ええーー??」
大げさな声。
「なんで?俺のこと、嫌になった?」
「……ううん、そうじゃなくて……」
言葉を探しながら続ける。
「でも……会ったら、いつも、だし」
「そんなの、お互いがそうしたいから毎回なんじゃん?」
拓也は声をひそめる。
「俺、あの時のみいなちゃん、好きだよ。
声とか、顔も……全部」
「そ、そんな……」
「ね?見せて?今日も、可愛い姿」
少し間を置いて、低く言う。
「俺だけに、さ」
みいなは、ぎゅっと膝の上で手を握った。
「……ごめんなさい」
顔を上げられないまま、続ける。
「今日は、やっぱり……」
少しの沈黙。
「……はぁーあ」
拓也が大きく息を吐いた。
「つまんないの。ダメならダメってさ、誘った時に言ってほしいわ」
苛立ちを隠そうともしない声。
「どうすんの、今日の俺の気持ち」
「……ごめんなさい」
口をついて出た言葉に、みいな自身が一番驚いた。
(……わたし、何謝ってるんだろ)
胸の奥に、静かに答えが落ちてくる。
(あの時だけ可愛いって言って)
(やっぱり……この人……)
肉の焼ける音だけが、やけに大きく響いていた。
お店を出ると、夜風が思ったより冷たかった。
さっきまでまとわりついていた焼肉の匂いが、少しずつ薄れていく。
いつもなら、このまま自然に手を引かれて、
人通りの少ない方へ歩いていく流れだった。
お酒も入って、
上機嫌な拓也に合わせて、みいなも笑って。
でも、今夜の拓也は違った。
背中から、はっきりわかるくらい空気が固い。
「ねぇ、みいなちゃん」
足を止めずに、低い声で呼ばれる。
「本当に行かない?」
一瞬、心が揺れる。
でも、立ち止まらなかった。
「……うん。ごめんね」
短く答えると、拓也は小さく舌打ちした。
「……わかったよ。じゃあ今日はここで解散な」
乱暴に指で示されたのは駅の方向。
「駅、あっち。わかるでしょ」
振り返らないまま、吐き捨てるように言う。
「じゃあね」
そのまま、拓也は歩き出した。
本当に、振り返らなかった。
(今日は……「またね」って、言われなかった)
胸の奥が、きゅっと縮む。
でもそれ以上に、
断った瞬間に、何かがはっきりした気がした。
(やっぱり……)
断った途端に消える優しさ。
急に冷たくなる距離。
(拓也くんは、わたしを
“そういうときの相手”としてしか見てなかったんだ)
悲しいはずなのに、
悔しいよりも先に、ふっと息が抜けた。
ホッとしている自分が、確かにいる。
(今日は……流されなかった)
改札へ向かいながら、みいなは小さく肩をすくめた。
今まで、何度も流されてきた。
でも——
(断ったときに出る態度が、その人の本音なのかも)
胸の奥に残っていたざわつきが、少しずつ静まっていく。
代わりに残ったのは、妙に現実的な感覚だった。
ホームに吹き込む風が、思ったより冷たくて、
その冷えが、頭をはっきりさせてくれる。
(……よくやったよ、わたし)
胸を張るほどじゃない。
でも、確かに一歩は踏みとどまれた。
みいなは前を向いて、改札を抜けた。
今夜はただ、帰るだけでいい。
——そんなふうに思えた夜だった。
帰る電車の中、ポケットの奥でスマホが震えた。
大地からだった。
📱
「日曜だけどさ、桐ヶ丘駅で13時でいい?」
「スーツコンシェルジュみたいなんあってさ、予約空いてるのそこだけだったんだ」
画面を見て、みいなは少しだけ目を丸くする。
📱
「へぇ、そんなのあるんだ」
「いいの選べそうだね👔」
「13時、大丈夫だよ」
すぐに返事が来る。
📱
「よかった☺️
コンシェルジュもいるけどさ、みいなの目で見ていいやつ、選んでな」
(……わたしの、目で見て)
その言葉が、胸の奥にすっと落ちた。
📱
「うん!まかせて」(スタンプ)
送信してから、みいなは小さく息を吐いた。
本当は、少しだけドキッとしていた。
“みいなの目で見て”
その一言が、思った以上に胸に残っている。
誰かに合わせるんじゃなくて、
誰かの都合でもなくて、
わたし自身の感覚を信じていい、みたいに言われた気がして。
軽く返したはずなのに、
胸の奥は少しだけざわついて、
それと同時に、不思議と落ち着いてもいた。
(……なんで、今まで気づかなかったんだろ)
拓也くんといるときの緊張とは、まるで違う。
試されている感じも、値踏みされている感じもない。
それに――
今まで、大地とは一度も、そういう関係になったことはない。
……あ、そういえば。
大地の家に、泊まったこと。
一度だけ、あったっけ。
何もなかった夜。
なのに、妙に覚えている夜。
あれは……確か、三年前。
電車が揺れるたび、その記憶がゆっくりと浮かび上がってきた。
