ベッドの隣は、昨日と違う人

16話 大地へのお願い事2





お店について引き戸を開けると、炭の匂いと少し甘いタレの香りが混ざった空気がふわっと流れ出てくる。
靴箱は、銭湯みたいに木の札を差し込むタイプで、番号札が少しすり減っていた。

「懐かしい感じだよね、ここ」

みいなが笑うと、大地は「な」と短く返して、先に札を抜いた。

掘りごたつのテーブル席に案内されて、座布団に腰を下ろすと、足元が思ったより深い。
仕事終わりの金曜夜で、店内はほどよく賑やかだった。

「ね、大地」

みいながメニューを広げながら身を乗り出す。

「わたし、また地鶏ももの炭火焼き食べたい。
ほら、あのじゅーってやつ」

指で写真を指すと、油がはねているみたいなビジュアルが目に入る。

「はいはい」

大地はメニューを軽く確認してから、自然に店員を呼んだ。

「飲み物は?」
「生!」

声が揃って、ちょっと笑う。

「すみませーん。とりあえず生2つと、地鶏もも炭火焼きお願いします」

手慣れた注文。
それだけで、みいなの胸が少しゆるんだ。

――こういうとこ、楽。

ジョッキが来て、ふたりで軽くぶつける。

「かんぱーい」

グラスの音が小さく鳴る。

一口飲むと、冷たさが喉を通って、仕事モードがようやく抜けていく気がした。

お通しの小鉢をつまみながら、大地はみいなの方を見る。

さっきまでの軽い雰囲気から、少しだけ真面目な目に変わっていた。

「で」

箸を置いて、落ち着いた声で言う。

「お願い事って、なんだよ」

逃げ場を塞がない聞き方。
責める感じでも、急かす感じでもない。

みいなは一瞬、グラスを持つ手を止めた。

(……ちゃんと話すって言ったんだよね)

炭火の匂いが、じわっと近づいてくる。
まだ料理は来てないのに、場の温度だけが少し上がった気がした。

「……あのね」

言いかけて、言葉を選ぶみたいに口を閉じる。

「そんなに重い話じゃないんだけど。
でも、LINEで言うのは違うかなって思って」

「うん」

急かさず、大地はただ待つ。

みいなは視線を落としたまま、ぽつりと続けた。

「今度、美咲の結婚式出るんだけど。
それ2次会も……来てほしいって言われてて」

「ほう」

「でね、クリニックの人は2次会に来ないし、
“パートナー同伴が多いから”って」

そこで一度、顔を上げて大地を見る。

「……みいなも、同伴で来てほしい、って」

空気が、一瞬止まった。

大地はすぐには返さなかった。
でも、驚いたというより、状況を静かに噛み砕いてる顔だった。

「なるほどな」

グラスを持ち上げ、一口飲んでから言う。

「それ、俺でいい理由は?」

試すようでも、軽口でもない。
ちゃんとした問い。

みいなは、少しだけ背筋を伸ばした。

「……気を使わなくていい人だから」

それだけ言って、すぐ付け足す。

「変な意味じゃなくてね。
変に近くもないし、遠くもないし。
安心できるっていうか」

炭火焼きが運ばれてきて、じゅっと音が立つ。
立ちのぼる香りに、一瞬会話が途切れる。

大地は皿を取り分けながら、ぽつっと言った。

「それ、ずるい褒め方だな」

「え?」

「安心できるって言われて、断れる男少ないだろ」

軽く笑いながらも、目は真剣だった。

「……で。みいなはどうしたい」

その問いに、みいなはすぐ答えられなかった。

炭火焼きをひと口噛みしながら、正直に言う。

「……正直、
大地と行けたら、心強いとは思ってる」

「“思ってる”ね」

「うん。期待していいのか、わかんないし」

大地は箸を置いて、少しだけ前屈みになる。

「じゃあさ」

低くて、落ち着いた声。

「条件つけようぜ」

「条件?」

「俺は“都合のいい同伴”はしない。
でも、みいながちゃんと隣にいてほしいって言うなら行く」

真正面からの言葉に、みいなは息をのんだ。

「……即答しなくていい」

大地はすぐ視線を外し、いつもの調子に戻す。

「今日はほら、これうまいし。まずは飲もうぜ」

そう言って、またグラスを持ち上げた。

みいなはその横顔を見ながら、胸の奥で小さく波が立つのを感じていた。

(……逃げ場、ちゃんと用意してくれてる)

それが、なぜだか少しだけ胸に刺さった。