10話 自分の価値
グラスの氷が、からん……と静かに揺れた。
みいなが言葉を落としたあと、大地はほんの一瞬だけ眉を寄せた。
けど、すぐには返事をしない。ただ、テーブルの端を指先でとん、と叩いていた。
「……なるほどな」
低い声。
酔ってるわけじゃない、考えてる時の大地の声。
「夜は、可愛い、一緒にいたいとか言うくせに……
朝になると、“暇だったら連絡して” って感じか」
みいなは、うなずくしかできなかった。
「なんか気楽でいいって言われたのも……
なんか、よくわかんなくて」
その瞬間、大地が小さく息を吐く。
「……それ、褒め言葉じゃねぇよ」
「え?」
「“気楽” ってさ、
相手の気持ちを受ける覚悟がないやつが使う言い方だよ」
みいなの胸の奥が、きゅっと縮む。
大地はグラスを手に取り、少し揺らしながら続けた。
「男はさ……やりたいから優しくもなるし、甘いこと言える。でも朝は素に戻る。
そのとき出てくる言葉が“軽い距離”なんだよ、そいつは」
みいなは視線を落とした。
「……わたし、そんなに軽く見られてるのかな」
声に出した瞬間、自分でも気づく。
思ってた以上に、それが怖かったんだって。
大地はすぐに否定しなかった。
代わりに、氷が溶ける音だけがしばらく続いた。
そして──
「……みいな」
大地がみいなのほうを向いた。
目が、真っ直ぐすぎて、逃げられない。
「お前、ちゃんと大事にされたことないだろ」
言葉が刺さる、けど妙に優しい。
「だから、甘いとこだけ見て、
“これが大事にされてる” って錯覚しちまうんだよ」
みいなは息を止めた。
「でもさ。
本当にみいなのこと見てるなら、
夜だけじゃなく朝も同じテンションで扱うって」
(……朝も、同じ……)
大地の言葉が胸の奥で広がる。
「“暇だったら” なんて言葉……
みいなに向けて出していい言葉じゃねぇよ」
そこだけ、少しだけ怒ってるみたいだった。
「……じゃあ、わたし、どうしたらよかったの?」
やっと出た問い。
大地は少し視線を落として、グラスを置いた。
「どうもしなくていいよ。ただ──」
みいなの方をまた見つめる。
「……自分の価値、そいつの言葉で決めんな」
鼓動が、喉の奥で跳ねる。
大地は、酔ってない。
わかる。
こういうとき、いつも大地は嘘つかない。
「みいなは……軽く扱っていい女じゃねぇよ」
言われた瞬間。
胸の奥で何かがじわっと熱くなった。
泣きそうなのに、泣けない。
むしろ涙の手前で止まってしまうような、変な感じ。
大地は続けない。
追い打ちも優しさも足さない。
ただ、しずかにみいなが落ち着くのを待っている。
ふたりの間に、夜のあたたかい沈黙が落ちた。
(……どうしよう)
拓也の甘さとは全然違う。
大地の言葉は……胸に残る。
店を出ると、湿った夜風がふたりの髪を揺らした。
ネオンの光が歩道に揺れて、飲み屋街のざわめきがほんの少し遠く感じる。
大地がポケットに手を突っこんで歩きながら、ちらっとみいなを見る。
「……なぁ」
「ん?」
「ほんとはもう、泣いて帰るかと思ってた」
意外と静かな声で言われて、みいなは足をとめそうになった。
「泣かないよ……別に」
「そうかよ」
さっきまでの、冗談めいた空気とは違う。
大地の横顔がちょっと真面目で、みいなは胸の奥がざわっとした。
「終電、もうすぐだろ。改札まで送るわ」
「大丈夫だよ……自分で帰れるし」
「知ってる。でも送る」
そう言って歩き出す背中は、いつもみたいに軽いのに、
みいなの胸の重さだけが、さっきより増えていた。
駅に近づくにつれ、ざわめきと電車の音が大きくなる。
改札前で足が止まる。
「……みいな」
「ん」
「帰ったら、ちゃんと風呂入って寝ろよ。
考えても答え出ねぇときは、寝た方がいい」
優しさなんだけど、甘やかしじゃない。
逃げ道を作らない、そういう声。
「……うん」
みいなが頷くと、大地は目を細めた。
「またなんかあったらいつでも連絡しろ」
改札に吸い込まれるみいなの背中に、大地の視線がそっと残った。
胸の奥では、拓也の甘い声と、大地の現実的な言葉が、まるで別々の温度でぶつかり合っていた。
グラスの氷が、からん……と静かに揺れた。
みいなが言葉を落としたあと、大地はほんの一瞬だけ眉を寄せた。
けど、すぐには返事をしない。ただ、テーブルの端を指先でとん、と叩いていた。
「……なるほどな」
低い声。
酔ってるわけじゃない、考えてる時の大地の声。
「夜は、可愛い、一緒にいたいとか言うくせに……
朝になると、“暇だったら連絡して” って感じか」
みいなは、うなずくしかできなかった。
「なんか気楽でいいって言われたのも……
なんか、よくわかんなくて」
その瞬間、大地が小さく息を吐く。
「……それ、褒め言葉じゃねぇよ」
「え?」
「“気楽” ってさ、
相手の気持ちを受ける覚悟がないやつが使う言い方だよ」
みいなの胸の奥が、きゅっと縮む。
大地はグラスを手に取り、少し揺らしながら続けた。
「男はさ……やりたいから優しくもなるし、甘いこと言える。でも朝は素に戻る。
そのとき出てくる言葉が“軽い距離”なんだよ、そいつは」
みいなは視線を落とした。
「……わたし、そんなに軽く見られてるのかな」
声に出した瞬間、自分でも気づく。
思ってた以上に、それが怖かったんだって。
大地はすぐに否定しなかった。
代わりに、氷が溶ける音だけがしばらく続いた。
そして──
「……みいな」
大地がみいなのほうを向いた。
目が、真っ直ぐすぎて、逃げられない。
「お前、ちゃんと大事にされたことないだろ」
言葉が刺さる、けど妙に優しい。
「だから、甘いとこだけ見て、
“これが大事にされてる” って錯覚しちまうんだよ」
みいなは息を止めた。
「でもさ。
本当にみいなのこと見てるなら、
夜だけじゃなく朝も同じテンションで扱うって」
(……朝も、同じ……)
大地の言葉が胸の奥で広がる。
「“暇だったら” なんて言葉……
みいなに向けて出していい言葉じゃねぇよ」
そこだけ、少しだけ怒ってるみたいだった。
「……じゃあ、わたし、どうしたらよかったの?」
やっと出た問い。
大地は少し視線を落として、グラスを置いた。
「どうもしなくていいよ。ただ──」
みいなの方をまた見つめる。
「……自分の価値、そいつの言葉で決めんな」
鼓動が、喉の奥で跳ねる。
大地は、酔ってない。
わかる。
こういうとき、いつも大地は嘘つかない。
「みいなは……軽く扱っていい女じゃねぇよ」
言われた瞬間。
胸の奥で何かがじわっと熱くなった。
泣きそうなのに、泣けない。
むしろ涙の手前で止まってしまうような、変な感じ。
大地は続けない。
追い打ちも優しさも足さない。
ただ、しずかにみいなが落ち着くのを待っている。
ふたりの間に、夜のあたたかい沈黙が落ちた。
(……どうしよう)
拓也の甘さとは全然違う。
大地の言葉は……胸に残る。
店を出ると、湿った夜風がふたりの髪を揺らした。
ネオンの光が歩道に揺れて、飲み屋街のざわめきがほんの少し遠く感じる。
大地がポケットに手を突っこんで歩きながら、ちらっとみいなを見る。
「……なぁ」
「ん?」
「ほんとはもう、泣いて帰るかと思ってた」
意外と静かな声で言われて、みいなは足をとめそうになった。
「泣かないよ……別に」
「そうかよ」
さっきまでの、冗談めいた空気とは違う。
大地の横顔がちょっと真面目で、みいなは胸の奥がざわっとした。
「終電、もうすぐだろ。改札まで送るわ」
「大丈夫だよ……自分で帰れるし」
「知ってる。でも送る」
そう言って歩き出す背中は、いつもみたいに軽いのに、
みいなの胸の重さだけが、さっきより増えていた。
駅に近づくにつれ、ざわめきと電車の音が大きくなる。
改札前で足が止まる。
「……みいな」
「ん」
「帰ったら、ちゃんと風呂入って寝ろよ。
考えても答え出ねぇときは、寝た方がいい」
優しさなんだけど、甘やかしじゃない。
逃げ道を作らない、そういう声。
「……うん」
みいなが頷くと、大地は目を細めた。
「またなんかあったらいつでも連絡しろ」
改札に吸い込まれるみいなの背中に、大地の視線がそっと残った。
胸の奥では、拓也の甘い声と、大地の現実的な言葉が、まるで別々の温度でぶつかり合っていた。
