もう一度、好きになってもいいですか?

翌日。

 玄関の前で私は立ち止まっていた。
どうしても前に進めず、俯いてしまう。

 碧の手が背中を軽く押す。
「行こう。俺がついてるから」
 その言葉に、震える足を一歩前へ進めた。

 リビングのドアを開けると、母がソファに座っていた。
 昨夜のこともあって、空気はまだ重たい。


「……おかえり」


 低い声が落ちて、心臓が縮こまる。
 けれど今日は、逃げないと決めていた。


「お母さん、話したいことがあるの」


 母の視線が鋭く私を射抜く。


「その前に……隣の男の子、誰?」

「あ、俺、碧っていいます。美咲の……」

「彼氏です」


 思わず口走った瞬間、碧が「ちょっ!?」と盛大にむせた。


「お、おい!俺、まだ何も——」


 母の眉がぴくりと動く。

「へぇ?彼氏、ねぇ」

 完全に釘付けにされてしまった碧は、顔を真っ赤にして頭を下げた。


「す、すみません!……でも俺、本気です!」


 言ってからさらに赤面する碧。
 それでも、その言葉が妙に胸に響いて、思わず笑ってしまった。

 母は深く息をつき、こちらを見据える。


「美咲。
恋なんてね、いいことばかりじゃない。裏切られて、泣いて、傷つくのよ」

「わかってる」


 声が震える。でも、逃げずに言葉を続けた。


「私……ずっと恋が怖かった。お母さんを見てきたから。
何度も泣いて、何度も諦めて……そんな姿を見て、好きになるって痛いことだって思った」


 母の瞳がわずかに揺れる。


「……なら、どうして?」

「それでも……碧とは、怖いままでいたくなかった」


 胸に手を置いて、必死で絞り出す。


「この気持ちを見ないふりしたら、もっと怖くなるって思ったから……。
泣くのも、苦しいのも、碧と一緒なら大丈夫って思えるの!」


 涙が頬を伝う。
 碧がそっと肩に手を置いてくれる。


「美咲は俺が守ります。絶対に泣かせたりしません。
 …だから、信じてください」

 一瞬の沈黙。
 母は私を見つめ、それから碧をじっと見て……ふっと苦笑した。


「守るなんて簡単に言うわね。あの子、頑固で手がかかるのよ?」

「……知ってます」


 碧が即答して、母が思わず吹き出す。


「……まったく。真面目で不器用なところ、そっくりね。私と」

「えっ!?俺とお母さん似てます!?」

「まだ貴方のお母さんじゃないわよ」


 碧の狼狽ぶりに、思わず私も笑ってしまう。
 その笑いの中で、母の目尻が少しだけ柔らかくなった。


「……美咲」


 改まった声で呼ばれ、胸が跳ねる。


「私は……失敗ばかりで、頼りない母親かもしれない。でも、あんたが幸せになるなら……信じてみる」

「お母さん……」


 母の手が伸びてきて、そっと私の頬を撫でた。


「ただし。泣かせたら承知しないわよ」

「はいっ!絶対泣かせません!
 もし泣かせてしまっても、ずっとずっとそばにいます!」


 碧が力強く答える。母はくすっと笑い、目尻を押さえた。

「なんだか貴方たちを見ていたら、バカらしくなっちゃった」

 その横顔を見て、胸がじんわりと温かくなる。

(お母さんも…本当は幸せになりたいだけなんだよね)

 帰り道。

 夕暮れに染まる街を並んで歩く。


「……緊張した……」


 私がつぶやくと、碧が小さく笑った。

「でも、美咲、めっちゃかっこよかったよ」

「なっ……」

 顔が一気に熱くなる。
 碧は何事もないように空を見上げて言った。

「俺、美咲のお母さんにも認めてもらえるように、もっと頑張る」

 その横顔を見て、胸が甘く締めつけられた。

(あぁ……やっぱり、好きなんだ)

 夕焼けの光が二人の影を重ねて、未来へと伸びていった。

(もう、好きになっちゃってもいいよね、神様)