もう一度、好きになってもいいですか?

夜の街を駆け抜ける足音が、自分のものだとは思えないほど早かった。

 視界は涙で滲んで、息は荒くて。
けれど立ち止まるのが怖くて、気づけば碧の家の前に立っていた。
 指が震えながらインターホンを押す。

 すぐに「はーい」という声がして、ドアが開いた。


「……美咲?」


 部屋着姿の碧が目を丸くして立っていた。
その顔を見た瞬間、堪えていたものが決壊する。


「……碧……っ」


 泣きじゃくりながら名前を呼ぶと、碧は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに私を引き寄せて抱きしめてくれた。


「大丈夫、大丈夫だから。俺がいる」


 温かい声に、胸の奥で硬く固まっていたものが少しずつ溶けていく。
 そのとき、背後から声がした。


「……碧?」


 顔を上げると、廊下の奥から碧のお父さんが出てきた。
眼鏡をかけて湯呑を持ちながら、怪訝そうにこちらを見る。


「こんな時間に……その子は彼女か?」

「ち、ちがっ……!」


 碧が慌てて否定するのも束の間、今度はお母さんまで姿を現した。


「まあまあ!なんて可愛い子!」


 ぱっと目を輝かせて私の手を取る。


「碧、あなた、彼女を泣かせたの?ダメよ、女の子を泣かすなんて!」

「だから違うって!俺が泣かせたんじゃなくて!」

 否定すればするほど、余計に勘違いされていく碧。
私は顔が真っ赤になりながらも、必死で首を振った。


「い、いえ!そういうんじゃなくて……その……」


 けれどお母さんはにっこりと微笑んで、私を家に引き入れてしまう。


「事情はどうあれ、女の子をこんな深夜に一人で帰すわけにはいかないわ。さあ、入って」

「……お、おじゃまします……」


 こうして、私は碧の家に泊まることになった。

 二階の碧の部屋。

 月明かりがカーテンの隙間から差し込み、白いシーツを淡く照らしている。

 ベッドに腰を下ろすと、ようやく落ち着いたせいか、涙がまた込み上げてきた。

「……もう、どうしたらいいのかわかんない」


 こぼれる声は震えていた。
 碧は隣に腰を下ろし、黙って手を重ねてくれる。


「無理しなくていいよ。泣きたいときは泣けばいい」


 その一言が温かすぎて、思わず嗚咽が漏れる。
 指先に伝わる体温が、張り詰めた心を少しずつ溶かしていった。
 顔を上げると、碧が真っ直ぐにこちらを見ていた。

「美咲。俺は絶対に一人にしない。どんなに怖くても、そばにいる」

 その言葉が胸に深く刺さる。
 声にならないまま頷いた。
 今はただ、この温もりにすがっていたかった。


 翌朝。

「おはよう、美咲ちゃん!」


 階段を降りると、お母さんが明るい声で迎えてくれる。
 ダイニングテーブルには、焼き立てのパンとスクランブルエッグ。
彩りよく並べられた朝食がもう準備されていた。


「ちょっとあなた、トマト切りすぎよ」

「いいんだよ、野菜は多いほうが健康にいい」


 キッチンではお父さんとお母さんが仲良く(?)言い合いをしている。
 そんな様子に思わず笑いそうになった。

(……なんだろう。こういう普通の家族って、あったかい)

でも、ある事を思い出して、碧に聞いてみた。

「ね、ねぇ碧。
碧のお父さんとお母さんってこんな感じだったっけ?」

「あぁ…
なんか、あの件から過保護っていうか、なんて言うか…変わったんだよなぁ」

困っちゃうよ、と苦笑いで両親を見つめる碧に、少し羨ましさを感じた。

(私も…あんな風にお母さんともう一度笑いたい。)


「ほら、食べて食べて!
美咲ちゃんの分は多めに盛ってあるからね」

「ちょ、母さん!そんな山盛りにしたら食べきれないって!」


 碧が慌てて皿を引き寄せる。


「いいのよ、細いんだからたくさん食べないと」

 お父さんまで「そうだそうだ」と頷いて、さらにベーコンを乗せてくる。

「お、お父さんまで……!」

 碧が頭を抱える横で、私は必死に笑いをこらえていた。
 けれど、その笑顔は昨日の涙の跡を確かに癒してくれていた。

 こんな朝を過ごせるだけで、少しだけ、未来が怖くなくなる気がした。