もう一度、好きになってもいいですか?

カフェからの帰り道、美咲を駅まで送った。
 「またね」って笑う彼女の顔が、街灯に照らされてやけに綺麗で。
 別れたあとも、胸の中にその温度が残っていた。


(……美咲って、やっぱすごいな。
俺の弱いとこも、ちゃんと受け止めてくれる気がする)


 そう思うと、自然に頬が緩んでしまう。

 けれど、その温もりを持ち帰った先で——すぐに打ち消される。


「……遅かったな、碧」


 玄関を開けると同時に、低い声が飛んできた。

 リビングには父さんが立っていて、腕を組んだままこちらを睨んでいる。
 母さんはソファに腰を下ろし、所在なげに膝の上で手を組んでいた。


「友達と会ってたんだよ」


 なるべく軽く答えたけど、空気は一層張り詰めた。


「“会ってた”……だと? 
高校生が夜遅くまでふらついて……。
しかも、その手に持っているのはなんだ」


 父さんの視線がくたびれたスポーツバッグに落ちる。
 中には練習着とバスケットシューズ。
 言い逃れはできない。


「……バスケだよ」


 短く答えると、父さんの眉間に深いしわが寄った。


「まだやっているのか」


 その声は、呆れでも怒りでもなく——失望に近かった。
 胸の奥をざくりと刺された気がする。


「父さん……俺は」


 言いかけた瞬間、父さんが被せてくる。


「碧。何度言わせるつもりだ。
お前はいずれ会社を継ぐんだろう。
鼓家の跡取りとして、時間を無駄にする余裕はない。
 バスケなど“遊び”にすぎん」


 その言葉は、もう何百回と聞かされてきた。
 でも、何度聞いても慣れなかった。
 耳に入るたび、夢を握りつぶされるように痛い。
普段はヘラリと笑い、「そうだよね」と言っていただろう。
だけど、今日は美咲の言葉がリピートされて……

『ねぇ、碧。
私……碧のバスケ頑張ってる姿、すきだよ。
すごく、かっこいいって思ってる。』 



「……遊びなんかじゃない」


 気づけば口から出ていた。
 父さんの目が、氷のように冷たく細められる。


「なに?」 

「バスケは……俺にとって本気なんだ。
 プロを目指したい。今でもそう思ってる」


 初めて、真正面から言った。
 けれど、父さんは鼻で笑った。


「プロ? 夢を見すぎるな。」


 その言葉に、腹の中の真っ黒い何かが競り上がる。
目頭に熱がこもって、行き場のない感情が溢れ出しそうになった。


「才能だけで飯は食えん。
 しかも、才能を持っているのはほんの一握りだろう。
 お前は“夢を追う一人の人間”ではなく、“鼓家の息子”なんだ。
 その自覚を持て」


 言葉を返そうとしたけど、喉が詰まる。
 母さんが小さく口を開いた。


「……あなた、碧の気持ちも——」

「甘やかすな」

 父さんの一言で、母さんはうつむいてしまう。

 俺の味方をしてくれるはずの母さんですら、父さんの前では何も言えない。

 物凄い孤独感が胸に広がった。


「……バスケなどにうつつを抜かすな、馬鹿らしい。
 鼓家を継ぐのにバスケは必要ないだろう。
 早く部屋に戻って勉強しろ。」


 冷たい声を残して、父さんはリビングを出ていった。
 足音が階段に消えていく。

 その背中を見送ったあと、残された空間が急に広く、重たく感じる。

 拳を握りしめると、爪が手のひらに食い込んで痛い。


(わかってるよ、俺が鼓家を継ぐしかないって……)


 頭では理解している。
 でも、心は叫び続けていた。


(俺は——バスケを諦めたくないんだ)


 ソファから立ち上がろうとした母さんが、小さな声で言った。


「碧……ごめんね」


 その声に、かえって胸が締めつけられる。
 母さんを責めたいわけじゃない。

 言って欲しい言葉も、それじゃない。
 誰も味方がいない気がして、呼吸が苦しくなった。

 美咲の笑顔と、父さんの冷たい視線が、交互に脳裏をよぎる。

 希望と現実がせめぎ合って、どうしようもなく胸が揺さぶられた。