「そう考えると、そんな神聖な場所、和霊神社にいくら喫煙所があるとはいえ、煙草を吸ったキミは、罰当たりで非業の死を遂げるかもしれないな」


「まあ、そうかも。でも私、初詣はいつも和霊神社だし、ちゃんと御朱印帳も持ってるし。和霊信仰とまではいかないけど、一応、尊敬の念をもって、崇拝してるよ」


実のところ、僕はこの話を知っていた。


慶長19年(1614年)、仙台藩主、伊達政宗は、まだ若かった息子の秀宗を支えることができる、優秀な家臣を選んで付けた。それが、山家清兵衛こと、山家公頼(やんべきんより)だった。


総奉行の職を与えられた、清兵衛は宇和島藩の財政を立て直すため、手腕を振るい、領民の生活を安定させ、大変に慕われた人物だった。


しかし、それを妬んだ家臣たちは、秀宗に、「清兵衛は、秀宗を蔑ろにし、幕府や政宗と通じている」というような、嘘を吹き込んだ。


疑心暗鬼になった秀宗は、元和6年(1620年)6月29日未明に、家臣に命じて、山家邸を襲撃。清兵衛のみならず、息子である次男、三男、娘婿の父と子3人までも殺されてしまう。中には、まだ9歳の四男も含まれていて、四男は井戸に投げ込まれて殺されたという。


その後、宇和島藩では怨霊騒動などが続く。暗殺の首謀者である家臣は、無残な死を遂げ、秀宗の子供たちは相次いで若くして死に、また台風や飢饉などの凶事も宇和島藩を襲った。


そして、秀宗は、清兵衛の幽霊を鎮めるために、和霊神社を建立。その後も、清兵衛が襲われた際に、蚊帳の四隅が斬られていたことから、清兵衛の命日では、各家庭で蚊帳を吊らないようにし、その時期になると、大人が子供に、和霊騒動について語るという風習が、近代まで残っていたほどだった。