婚活アプリで出会った人が運命の人だった

駅前の改札から、スーツ姿の恵が出てくる。
起きたばかりとは違い、満員電車に疲れた表情で、オフィス街を歩いていた。

『Iさんは映画を作っているんだっけ?どんな映画作ってるの?最近、映画館行ってないからIさんが関わった映画、見に行こうかな』

電車の中で来たメッセージを思い出して、恵は苦笑いを浮かべた。

「映画なんて作ってないんだけどな」

3階建ての古いビル。
外看板の2階のところに「神谷映像株式会社」の文字が見える。
恵はビルの中に入っていった。

『好きなことを仕事にしている人って尊敬するな』

Tさんからのメッセージが頭をよぎる。

好きなこと――本当にそうだろうか。

制作部のドアを開けると、新郎新婦の幸せそうな写真がイーゼルに飾ってある。
写真には『幸せな一日を永遠に』の文字。
社内の壁にはブライダルのポスターが貼ってあり、ウエディングドレス姿の女性や、チャペルで向かい合っている男女の写真など様々だ。
恵が働いているのは結婚式専門の映像制作の会社だ。
オープニング映像やプロフィールやエンドロールを作るところである。
当日の映像も撮影、編集する。
早朝から数名のスタッフがパソコンの前で作業していた。
本日は金曜日。明日が本番の新郎新婦がたくさんいる。
恵は自分の席に座り、パソコンを立ち上げた。

「恵さん、おはようございます」

隣の席に、田村アリサが座った。
24歳の彼女は恵の後輩であり婚活アプリの師匠でもある。

「おはよう」
「婚活アプリの彼と会いました?」

アリサは遠慮なく聞いてくる。

「会ってないよ」
「え?まだ会ってないんですか?」

アリサが目を丸くする。

「いいの。このままで。朝のやり取りが私の目を覚ましてくれるから」
「婚活アプリの使い方間違ってます」
「どんな使い方しても私の勝手でしょ。毎日、連絡くれるの。しかも長文で」

恵の口元が、少し緩む。

「なんか、それって昔のメル友ってやつ。私、そんなつもりで恵さんに教えたわけじゃないんですけど」

アリサが呆れたように言った。
その時だった。
社内に怒号が響いた。

「なんだと!データ消した!?」

アリサと恵は同時に振り返る。
営業の島田大輔が、新人の小西絵里奈を怒鳴りつけていた。

「申し訳ございません!」
「今日、納品なのに何してくれてんだよ」

絵里奈は震えながら頭を下げていた。
恵は急いで2人のもとへ向かった。

「どうしたの?」
「データ、消してしまったかもしれません」
「かもじゃねぇだろ!消したんだろ!」

島田が机に寄りかかる。
絵里奈の目に涙が浮かんだ。

「あーあ、怒られるのは俺ら、いつも営業だ。いいよな、お前らは!ミスしたって平気な顔してられんだから」
「今はその納品に間に合わせることを考えましょ」

恵はできるだけ穏やかに言ったつもりだった。
島田は舌打ちして、恵を睨みつけた。

「間に合わなかったらどうしてくれます?」
「間に合わせます!」

絵里奈が必死に言う。

「お前は何もできないだろ?いつまでも学生気分でいるんじゃねーよ」

絵里奈の頬を、涙が伝った。

「女はすぐ泣く!ほんと、そうすれば許されると思ってんだ」

遠慮なく責め続ける島田に対して恵は今まで蓄積していた何かが弾けた。

「あなただって、ミスするでしょ!もちろん、私だってする!切り替えなさいよ。あんたのそのグチグチ言ってる時間が無駄なのよ」
「なっ」

島田が言葉を失う。

「自分がミスしたときは私たちにヘラヘラ頼み込んでくるくせに、自分より立場の低い子にばっかり偉そうなその態度、これを機に改めな!」

恵の声は、制作部に響き渡った。

(あ、またやっちゃった……)

心の中で後悔し目をつむって下唇を噛んだ。

その時、会議が終わりノートパソコンを持った大下啓一部長が入口から入ってきた。
大下は立ち止まって恵たちを見た。
島田が再び今度は小さく舌打ちした。

「とにかく、間に合わせてくださいよ」

島田は大下とすれ違いざま、ペコペコと頭を下げて部屋を出ていった。

「なにか、ありました?」

大下が穏やかな口調で尋ねる。

「いえ、何もありません」

恵は作り笑顔で答えた。

「そうですか、ならよかったです」

大下は自分の席へ向かっていく。
恵も席へ戻ろうとした時、絵里奈が駆け寄ってきて深々と頭を下げた。

「ありがとうございました!庇っていただいて」
「いいのよ。あの営業には前から言ってやりたかったからスッキリしたわ。むしろ、ありがとうよ」

恵は絵里奈の肩をポンポンと叩いて、笑顔を向けた。
絵里奈は涙を拭いながら、自分の席に戻っていく。
恵も席に座ると、アリサが小声で話しかけてきた。

「恵さん、かっこよかったです」
「いや、ちょっと言い過ぎたわ」