厄災烙印の令嬢は貧乏辺境伯領に嫁がされるようです

 大広間の扉が開いた瞬間、空気がわずかに揺れた。
 ざわめきが、さざ波のように広がっていく。
 私たち二人を見る、容赦のないまなざし――
 
 魔獣の被害に苦しむ貧乏辺境伯領の主。
 そこへ厄介払いされた、不運を振り撒く「厄災の令嬢」。
 王都から見捨てられた、お気の毒な領主夫妻。
 そんな言葉が、意図的に抑えられた声で、しかし確かに私の耳に届く。

 それを閉ざすように、低い声が私の耳に届く。
「ルーチェ」
「はい。ここにおります」
 私はダリウス様の腕にそっと手を添え、ゆっくりと一歩を踏み出した。
 光を受けて、会場の視線が一斉にこちらへ集まるのがわかる。

 噂は、いつだって先に走る。
 真実を見ようとするよりも、決めつける方が楽だから。

 けれど――。

 次の瞬間、その囁きが、微かに調子を変えた。

 刺繍の一針一針に込められた技術と想い。
 光を受けて静かに輝く指輪。
 隣を歩く人の背筋は真っ直ぐで、少しも揺らがない。
 銀色の髪は冬の刃のように強く輝き、蒼い瞳は深い湖のように思慮深い。
 その視線は時折、私の方を見てふっと和らぐ。
「……皆、あなたを見ている」
「私ではありません……ダリウス様を見ているのです」
 本心だったけれど、彼はあまり納得していないようだった。
 
 威儀を正したダリウス様の――ダリウス・ヴァルト辺境伯の姿に、皆が注目している。
 隣を歩く私は萎縮してしまいそうになる心を押さえて、その腕をとっていた。

 あれが貧乏辺境伯か、あれは厄災令嬢なのか、と訝しむ小さな声。
 否定の言葉はまだ小さい。
 それでも、確かに、ひびは入り始めている。

 ふと視線を感じて、そちらを見ると、妹のリリアーナが立ち尽くしていた。
 いつもなら当然向けられるはずの注目を失い、何が起きているのか理解できないという顔で、ぽかんとしている。

 私はその瞬間、はっきりと理解した。
 これは、誰かを打ち負かすための場ではない。
 ただ、積み重ねてきたものが、ようやく正しく見える場所に出ただけなのだと。

 ダリウス様の腕に、そっと指先を添える。
 驚いたように一瞬こちらを見るその横顔は、変わらず静かで、頼もしい。
 私は小さく息を整え、前を向いた。
 ここはもう、噂の中ではない。
 私たちは、確かにこの場に立っている。

 ダリウス様の視線に応えるように、私は小さく微笑んだ。
 誰が何を言おうと関係ない。
 この人は、私にとって誰よりも大事な人だ。
 そして私は、この人の隣に立つことを選んだ――