君が、となりにいるだけで

蓮が刺されたあの日から、病院の立場は逆転した。

柚は「患者」としてではなく、「面会人」として、毎日蓮の病室を訪れていた。

幸い、蓮の傷は命に別状はなかったものの、過労も重なって数週間の安静を余儀なくされていた。

「……また来たのか。お前は学校があるだろう」

ベッドの上で、肩から胸にかけて厚い包帯を巻いた蓮が、呆れたように、でもどこか嬉しさを隠せない声で言う。

「放課後だもん、いいでしょ。……ほら、これ。佐藤先生に、お見舞いにって言われたから」

柚は、蓮がかつて自分にしてくれたように、小さなゼリーを机に置いた。

自分を守ってくれた時の、あの血の匂いと、蓮の震える声。それが今も耳にこびりついて離れない。

「……先生、痛む?」

「……別に。お前の発作に比べれば、掠り傷のようなものだ」
嘘だ。

鎮痛剤の点滴が繋がっているのを、柚は見逃さなかった。

この人は、自分がボロボロになっても、いつも私のことばかり優先する。

その日、柚は病室の片隅で、蓮が自分のために用意してくれていた「書類」を見つけてしまった。

それは、児童相談所や施設との協議記録、そして――蓮が柚の『未成年後見人』になるための申請書だった。

「……先生。これ、本気なの?」

蓮は視線を窓の外へ向けた。

「……お前をあんな場所には戻さないと言ったはずだ。だが、今の俺はただの主治医に過ぎない。お前を法的に守るためには、俺が『親代わり』になるしかないんだ」

『親代わり』。

その言葉を聞いたとき、柚の胸に小さな、説明のつかない「チリッ」とした痛みが走った。

守ってもらえるのは嬉しい。

なのに、どうして「お父さん」みたいな存在になることに、こんなにも違和感があるんだろう。

「……でも、先生。私、わがままだし。また発作で迷惑かけるかもしれないよ」

「……迷惑だと思ったことは一度もない。……俺が怖いのは、お前を失うことだけだ」

蓮が、包帯のない方の手で、柚の手をそっと握った。

大きく、熱い、大人の手。

柚はまだ、この感情が「恋」だとは気づいていない。

ただ、この手を離したくない。一生、この人のそばで呼吸(いき)をしていたい。

そう願うことが、どれほど重い意味を持つのかも知らずに。