——拝啓『明日の君』へ


 ──これは、たった一通の手紙から始まった物語だ。


 日曜日の午後、冬の陽は低く、窓辺の白いカーテンだけが静かに揺れていた。

 匠(たくみ)は、机の上に置かれた薄桃色の封筒を見つめていた。
 差出人の名前はない。
 けれど字の癖だけでわかる。要(かなめ)だ。

 “拝啓 明日の君へ”

 その一文を目にした瞬間、胸の奥が、不吉な予感でざわつく。
 読み進めるたびに、その予感は的中していった。 


 ――来世は君の好きな猫になって会いに行く。

 ――泣かないで。笑顔じゃないと成仏できないよ。

 ――君の後の時間をどう過ごすかのゲーム。

 ――笑顔で、幸せにいること。

 ――それがこのゲームのルールです。


 どこかふざけてるのに、最後まで優しくて、彼女らしくて、そして何より残酷だった。


 “またね、レオくん。”


 呼吸が止まった。
 誰もいない部屋で、匠の唇が震える。
 届くはずのない“またね”に返事を返したくなる。

 彼女が何を考えていたか、どんな思いでペンを走らせたのか──わかるからこそ、その軽やかな言葉の奥に潜んだ“覚悟”が怖かった。

 でも、この手紙は遺言じゃない。
 終わりの宣告じゃない。

 要は残したものだ。
 彼が生き続けるための、たったひとつの“宿題”を。

 ──笑って、幸せでいること。

 ──それが、私と君のゲーム。

 匠は手紙を胸に抱え、深く目を閉じた。
 彼女の声が耳の奥で確かに響く。
 泣き虫の自分をよく知っている、あのからかうような笑い声で。


 「……負けないよ、要。勝ってみせる。だから──」


 彼の中で、静かに物語が始まった。
 これは、若い二人の、儚くて、優しくて、痛い、そして少しだけ救われる物語。

 ──拝啓『 レオくんへ 』

 君がこの手紙を読んだ瞬間から、ゲームはもう始まっていたのだ。