夜はまだ、元彼を思い出す

夜の冷たい空気が、頬に刺さる。
駅前のイルミネーションは綺麗なのに、
胸の奥はずっとざわざわしていた。

今日も、蓮は夜にしか会えない。

「今日も行くから」

昼間に届いたその一言だけで、
私は一日中そわそわして、
クローゼットの前で何度も着替えた。

――可愛いって、言ってほしくて。

最近、蓮は触れてくれる。
抱きしめてくれるし、離さない。
それなのに、言葉だけが足りなかった。

「結衣」

自転車を止めた蓮が、当たり前みたいに私を引き寄せる。
その腕は強くて、温かくて、
それだけで心臓がうるさくなるのに。

「……今日も、夜だけ?」

ぽろっと、口から零れた。
言うつもりなんてなかったのに。

蓮は一瞬、黙った。

「何それ」

低い声。
少しだけ、眉が寄る。

「だって……昼、全然会わないじゃん」
「夜しか、来ないし……かわいいとも言ってくれな…」

言いながら、喉が詰まった。
こんなこと言ったら、重いって思われるかもしれない。
でも、もう誤魔化せなかった。

「私さ……」

ぎゅっと拳を握る。

「体だけ、求められてるのかなって」

言った瞬間、胸がきゅっと縮んだ。

蓮の表情が、はっきり変わった。

「……は?」

短い声。
怒ってるのか、驚いてるのか分からない。

「結衣、何言ってんの」

一歩近づかれて、逃げ場がなくなる。

「夜に会うのは、会いたいからだろ」
「触れたいのも、全部」

腕を掴まれて、視線が絡む。

「俺のだろ」

強い言い方。
でも、その目は揺れていた。

「俺が、適当に扱ってるように見えた?」

胸が苦しくなる。

「……見えた、というか」
「分からなくなったの」

可愛いって言われたいだけなのに。
大事にされてるって、言葉で欲しかっただけなのに。

しばらく沈黙が落ちる。

夜風が冷たくて、
自分の弱さが全部さらけ出されている気がした。

「……結衣」

蓮が、少しだけ声のトーンを落とした。

「俺、不器用なんだよ」
「でも」

視線を逸らしながら、ぽつりと続ける。

「離す気なんて、最初からねぇ」

その言葉に、胸がじんわり熱くなるのに、
同時に、まだ何かが足りない気がして。

私は、頷くことしかできなかった。

そのまま、
何事もなかったみたいに部屋へ入った。

蓮は靴を脱ぐと、
いつも通り私を引き寄せる。

強い腕。
逃げ場のない距離。

「……考えすぎ」

耳元で、低く囁かれる。

その言葉に、
胸が少しだけ冷えた。

考えすぎなのかな。
私が、重いだけ?

触れられるたび、
身体は正直に反応してしまう。

好きだから。
離れたくないから。

でも、
心の奥はずっと、ざわざわしていた。

「結衣」

名前を呼ばれて、
キスを落とされる。

——でも。

(言わないんだ……)

期待してた自分が、
ばかみたいで。

夜は、深くなる。

抱きしめられて、
触れられて、
大切にされているはずなのに。

それでも、
満たされない。

終わったあと、
蓮は私を抱いたまま、何も言わなかった。

その沈黙が、
逆に怖かった。

「……ねえ、蓮」

小さく呼ぶ。

「なに」

眠そうな声。

「私のこと……」

言いかけて、やめた。

“どう思ってるの?”
“可愛いと思ってる?”

そんなこと、
聞いていいはずなのに。

聞いたら、
何かが壊れそうで。

結局、
何も言えなかった。

「……なんでもない」

そう言うと、
蓮は私をもう一度引き寄せて、

「離れんなよ」

それだけ言った。

その言葉は、
優しいはずなのに。

まるで、
縛るみたいにも聞こえて。

私は、
目を閉じた。

——この人は、私を離す気はない。

でも、
“安心させる言葉”も
くれない。