三度目の人生は、キミのために。

「好きだったんだよ。俺、多分、ロアのことが」

 確認だけどさ、メンヘラ製造機。
 好きってライクだよね? ライクでオッケーなんだよね?

 勘弁してよ。人生二回目なんだよ? メンヘラになったメンヘラ製造機の〝好き〟で胸が高鳴るなんて、大人として一生の不覚すぎるんだが。

 ここへ来て三日。はじめて鉄格子があってよかったと思った。
 鉄格子がなかったら、シェルが無理矢理そういう過ちを犯そうと動いたとしても、どうにもならない訳で。そうなったらもう言い訳ができなくなる。
 今はまだ〝ずっと鉄格子の中にいたんだから、なんかあったわけないじゃーん〟の言い訳が通用する。

 いや言い訳ってなんだ。自分は被害者なんだ。と強く思い直し、ロアは落ち着けと言い聞かせた。
 まずは、自分のペースを取り戻さないと。

「あのさあ、シェル。好きとかそういうのは……」

 シェルの間違いを指摘してやろうという気持ちだったのに、喉元で絡まって、言葉が出てこない。

「……そういう言葉はね、奥さんがいる人は使っちゃいけないの」

 自分の言った事実が胸を刺したあと、切ない気持ちに襲われた。
 シェルは結婚していて、もう間もなく自分も結婚する。

 シェルの手を放そうと試みた。しかし、それは叶わない。

「結婚相手がいる人の手は、握っちゃダメなんだよ」
「ロアとルイスは、お互いに好きって言い合って、結婚したの?」

 心臓がはねた。
 当てられないと思って席に座っていたのに、先生に答えを求められたときみたいに。

「……そういうことは、答えたくない。でも、村には同じくらいの年の子どもが私とルイス以外いないんだから、そうなるのは当然じゃない」
「ルイスには魔法の才能があったよ」

これからシェルがなにを言おうとしているのか、ロアは理解した。

 そう。ルイスは幼少期から飛びぬけて優秀だった。
 魔法が教養とされるこの世界で、つまり平民が自ら魔法を発動させることがほとんどないこの世の中で、ルイスは本を読み、自分で材料を集め、実験を繰り返す子どもだった。

「トアルの村からマーテル城に帰ったあと、国を通してルイスに声をかけたんだ。国の研究機関に来ないかって。でも、ルイスはそれを断って、トアルの村に残ることを選んだ」

 ルイスは、小さななにもない村で生活することを選んだ。
 ルイスが国の研究機関からの申請を受けて、マーテル城に行っていたら、国はもっといいように、人類はもっと早く進歩していただろう。
 そのくらい、ルイスは優秀だ。

 何度も思った。
 ルイスの未来を奪ったのは、私だ。

 だけど未だに、自ら導き出した答えに知らないふりをし続けている。

「ルイスがトアルの村に残ったのは、私のせいだって言いたいの?」
「うん。そう言いたい。ルイスが村に残ったのがロアのせいだったら、ロアがルイスのことを好きになって結婚したんじゃないってことだし」

 清々しいほどはっきりと言い切るシェルに、なにも言えなくなる。
 三人だったはずの思い出の先に、自分だけがいないことが嫌なのか。それとも、本当に好きと言う気持ちがあるのだろうか。

「お互い好きになって自然な流れで結婚してるわけじゃないんだったらまだ……うーん、マシかなって。なんかそんな感じ。それなら納得、はしないけど理解はする。ロアもルイスも、昔から優しいから」
「私は、優しいわけじゃない」
「優しいよ、ロアは」

 優しいはずがない。
 未来があるルイスを、あの村に縛り付けた。
 シェルの絶望に、気付いてあげられなかった。
 そして今も、シェルになにをしてあげればいいのか、どんな言葉をかけてあげればいいのかさえ、見当もつかない。

「ルイスのところに帰るチャンスがあったのに、俺を心配して側にいてくれてる」

 もしかするとシェルは、なにも考えていないように見えて、なにもかもを考えているのかもしれない。
 だからいつも、欲しい言葉をくれる。

 ロアはシェルを見たが、彼は天井を眺めていた。
 しかしすぐ顔をこちらに傾けるから、しっかり目と目が合う。ロアの心臓の高鳴りと同時に、シェルは笑った。

「ねっ、ロアは優しい」

 一度目の人生でひねくれた性格を持ちこして、二度目の人生で流れるままに生きただけの人間にも、シェルは優しい言葉をかけてくれる。

 人間ひとりのすべてを包み込むような人柄は、間違いなく、昔のシェルのままだった。

 もう二度と戻らない時間が、今は、愛しくてたまらない。
 もっと、もっと刻み込んで、大切にすればよかった。

 どうすればシェルを救えるのか、わからない。しかしロアは、ひとりの大人として今ならシェルに向き合えるような気がしていた。
 だからロアは、力を込めてシェルの手を握った。

「ねえ、シェル。なにがあったの?」
「別に、たいしたことはなにもなかったよ」

 シェルの言葉は、それでおしまい。しかし、ロアは根気強くシェルの言葉を待つ。しばらくすると、シェルが口を開いた。

「身内の不幸ならあった。でも、もう何年も前の話だし、別に今は大丈夫」

 思えば、シェルはいつもそうだった。
 〝でも、別に大丈夫〟そんな言葉で、締めくくって笑っていた。
 こんな人間もいるんだ、本当にシェルは強い人だと、子ども相手に感心したものだ。その全部が、シェルの強がりだったなら、もっと寄り添ってあげればよかった。もっと大切にすればよかった。

「悲しかったね、シェル」

 〝人間だから弱い部分もある〟というありきたりな言葉は、シェルには当てはまらないのだろうと決めつけていた。
 シェルも普通の人間なんだと思ったのは、自分と同じように弱い部分があるんだと思ったのは、今日が始めてだった。

 ロアの言葉を聞き終えたシェルはすっと息を吐いて、それから吸う。まるで決意しているみたいに。

「うん、そう。悲しかった」

 平坦な口調で短いシェルの言葉は、弱音なんてまるで吐きなれていない様子に見えた。

「……悲しかった。もう他のことなんて全部、どうでもよくなるくらい」
「シェルの弟は、どうして亡くなったの?」
「毒を飲んだんだよ。だから、俺の代わりに死んだ」

 〝俺の代わりに死んだ〟。
 弟は、次期国王のシェルの影武者にでもなったのだろうか。

「俺が生きていたせいで、死んだんだよ」

 〝俺が生きていたせいで、死んだ〟。
 あっけらかんとしたシェルから出る言葉とは、到底思えない。
 どんな事実がシェルにこの言葉を言わせるのか、ロアには想像もつかなかった。

「一体、なにが……」

 なにがあったの、そう続けようとしてすぐに、ロアはシェルが自分の向こう側に視線をやっていることに気が付いた。だから話すのをやめて、シェルと同じ方向に視線を移す。
 一面の本棚をなぞる。そしてすぐに、シェルがなにを見ているのか理解した。

 本棚の一番高い棚に置かれた、女性のブロンズ像だ。

「シェルは、時の魔女を信じてる?」

 時の魔女。
 誰にも止められない時間の流れをコントロールしていると言われている。
 マーテル国民が信仰する神のことだ。

「俺はこの国の誰よりも、時の魔女の存在を信じていないといけない。だけど、時の魔女に願っても、俺の願いは叶えてもらえなかった」

 ロアはブロンズ像からシェルに視線を向ける。シェルはもう、天井を眺めていた。

「ロア。もしもだけどさ。……人生をやり直せるとしたらどうする?」

 シェルは少し待って、心を決めたようにそう言った。