三度目の人生は、キミのために。

「日々ただ生活し、毎日毎日変わらないモノに触れ続けて、自らの才能を探していた。ならば、断言しよう。それは、目も耳も閉じて世界にひとつの宝を探し当てるようなものだ」

 目も見えず、耳も聞こえずに、世界の宝を探す。
 その宝がなにかも、知らないまま。
 どんな天才にだって不可能だ。

 しかしリディアは、今の生活で才能が見つからないと嘆くのは、それと同義だという。

 心臓が鳴っていた。
 大きくなにかが変わる、確信。

「ただ時間に流されて、この瞬間に行きついただけの人間が、自らの才を決めるなど。――恥を知りなさい」

 ロアの目を真っ直ぐに見たまま言うリディアの言葉は、鋭利だ。
 人格を否定された時みたいに、棘が深く刺さっている。
 しかし、同時に愛がなくて言える言葉ではないと、確信もしていた。

 ルイスと結婚した二度目の人生。
 リディアは一度だって、ロアの決断に否定も肯定もしなかった。

 ただ片手間で〝お前の好きにしな〟とだけ。
 そのリディアが今、しっかりと目を見て、話をしている。

 だからロアは、リディアの話に耳を傾け続けた。

「本はこの世界に存在する物質の中で唯一、他の人間の思考に触れられる道具だ」

 リディアはそう言うと、すぐそばにあるサイドテーブルに触れた。
 手のひらでテーブルをなぞると、本がいくつも重なり、サイドテーブルを埋め尽くした。

「今の時代に残っている本はみな、我々より前の時代を生きた数多の人間が選別し、使えると判断したものだけ。つまり、本を読むことで、天才と呼ばれた人間の上質な人生を追体験することができる。そうすると、なにができると思う?」

 リディアは平坦な口調でロアに問いかける。
 しかし、ロアからの答えを期待している様子ではない。その証拠にリディアは、少し待ってからすぐに口を開いた。
 
「上質な人生を追体験すると、比較ができるんだ。自分は優れた人間と比較してなにが多くて、なにが少ないのか。お前はまだ、その基準すら持っていない」

 暖炉がはっきり、ぱち、と鳴った。
 今のロアには、聞こえない。

「だから私はお前に、常々〝本を読め〟と言うんだ」

 〝本を読みなさい〟。
 二度目の人生で何度も何度も言われた言葉が、今も耳に残っている。

 ヒマなら勉強しろよ、くらいの気持ちで軽く言っているのだと思っていた。

「ロア」

 膨大な言葉に埋もれたロアの思考を誘導するように、リディアが呼ぶ。
 その声は、優しく抱きしめられていると錯覚するくらい柔らかかった。

「たくさんのことを学びなさい。そして歴史上、一人として同じ人間がいないと理解するよう努めなさい。人とはなんたるかを学んだら、自分の内に真っ直ぐな軸を作りなさい」

 リディアの言葉を取り逃がすまいとするのは、生存本能かもしれない。
 呼吸も、思考も止め、ロアはただ、その言葉を受け入れていた。

「軸を作ったのなら今度は、その軸が硬くなりすぎないよう気をつけなさい。鍛えられた軸は強く打たれようともしなやかに曲がり、必ず元の位置に戻ってくる。――人はその軸を、信念と呼ぶ」

 心臓が、一刻も早く動き出したいと叫んでいた。

「もう一度言う、ロア。本を読みなさい。本は必ず、お前に世界の真実を見せてくれる」

 吐いた息が喉元で震えてもまだ、収まらない。

 リディアが立ち上がると、暖炉の火が服に煽られて盛った。

「さて、私はもう行くよ。オズワルドとルイスが待ってる」

 リディアが隣を通り過ぎても、ロアはまだ膨大な感情の波が心の一点に飲み込まれていくのを待っていた。

 玄関が閉まったと同時に、暖炉の火は燃え尽きる音を立てて消える。サイドテーブルはまるで最初から何もなかったみたいに、空っぽになっていた。

 まだ暖かい居間に、ひとりきり。

 ――さあ、お前はどこへ行く?

 リディアに問いかけられているような、深い深い静寂だった。

 ロアは玄関を出ると、すぐに図書館に向かった。

 閉じた石の箱みたいな図書館は、ほこりのような古い匂いがする。
 昼でも薄暗い図書館の中には、光が一本だけ柱のように床へ落ちている。

 図書館にはこれまで何度も入ったが、本を真面目に見たことなんて、一度もなかった。

 先ほどまでの勢いが反転して、不安になった。
 本を読もうと思った。しかし一体、なんの本を読めばいいんだろう。

「〝マーテル地方の歴史〟……?」

 ロアは背表紙のタイトルを見て、その本を手に取った。

 シェルの先祖の話が書いてあるかもしれない。
 ただ、それだけの興味だった。

 初代国王・アルマートは、約一三〇〇年前。遥か西方の地より、現在のマーテルに到着したと言われている。
 彼の建国を支えたのは、現在のマーテル地方北東に位置するパムールの地で発見された鉄鉱脈だった。

 ――どうして鉱脈が、建国を支えたんだろう。

 当時この地は、岩と森が広がるだけの寒冷な土地で、定住する民も少なかったと記録されている。
 アルマート一行は西方の戦乱から逃れ、流れ着くようにこの地へ辿り着いた。
 やがて彼らは、パムールの丘陵地で黒く重い石を掘り当てる。それが鉄であると知ったとき、彼はここに国を興すことを決めた。

 ――そういえば、銅の時代から鉄の時代に移ったんだっけ。いつか授業で習ったような気がする。全然覚えてないけど。

 鉄は武器となり、農具となり、家となり、街となる。
 その力は、交易路を生み、やがて一つの国家へと姿を変えていったと予想されている。
 しかし、建国初期の記録はほとんど残っていない。
 故に、後世の歴史家たちは、この時代を〝暗黒期〟と呼んでいる。

 ――どうしてアルマートは、国を造ろうと思ったんだろう。なんの当てもなく、この地に来た? それとも、この地には何かあると踏んできたんだろうか。

 ――もしシェルだったら、どうだろう。〝なんとなく〟と言いながら、ある程度の当てがある状態で行動を起こすのかもしれない。アルマートも、そうだったのだろうか。シェルに似た性格だったのかもしれない。

 ――そもそも。アルマートは、どんな家の出身だったんだろうか。

 ロアは文章を指さしながら戻った。

 ――西方の地? どこのことだろう。

 本の続きをめくったが、答えはなかった。そのページを開いたまま、すぐそばにある本を手に取る。

 〝知られざる西とマーテル建国史〟

 ロアは〝マーテル地方の歴史〟を開いたまま、その上に〝知られざる西とマーテル建国史〟を重ねて開き、ソファに腰を下ろした。

 そしてさらに深く、潜っていく。

 マーテル地方の西方には、四年に一度、マーテル国王が神の信託を受けるために赴く〝信託所〟がある。

 ――どうして、信託所より先の地図の色が、薄くなっているの?

 信託所のさらに西には、〝死者の国〟とだけ、短く記されていた。
 それ以上の説明は、どこにもない。

 ――シェルの先祖は、死者の国と呼ばれる領域からきたのだろうか。

「ロア~」

 はっとして顔を上げると、入口にはシェルが立っていた。

「ヒマ。あそぼ? ルイスもオズワルドもリディアさんと屋敷に籠っちゃってさ」

 シェルはつまらなさそうにそう言って、ロアのすぐそばまで歩いてきた。
 いつも通りのシェルに、ロアは息をついた。

「ルイスもオズワルドさんも忙しいから、私なの?」
「ううん。今は俺、一番ロアと遊びたい気分だなーって思いながらここに来たもん」

 でた。メンヘラ製造機。
 ロアはそう思ってまた本に視線を戻した。

「ロアが本読んでるのとか、初めて見た。……〝マーテルの歴史〟! うわ、これ読んだよ」

 シェルはそう言って、ロアのすぐ隣に乱暴に腰を下ろす。そして、ロアの膝の上にある本のページをめくり始めた。

「わかるの?」
「そりゃわかるよ。どこまで読んだ? アルマートの話は読んだんでしょ?」
「読んだけど……なんでわかるの?」
「だって、アルマートが〝西の国から来た〟って書いてあって、気になったから〝知られざる西とマーテル建国史〟で西の方向を調べようと思ったんでしょ? で、死者の国で止まってる」
「そう……そうなの! シェル、なにか知ってる?」
「死者の国は今もなにがあるか謎だよ。〝歴史保全課〟って国の研究機関で研究が進んでるんだけど、なかなかうまくいかないんだ」
「どうして? 人を派遣すればいい話じゃないの?」
「金を出している貴族たちの中でも、意見が割れているんだよ。〝なんでも歴史を明かせばいいってもんじゃない〟っていう派と、〝人類を進めるためだ〟っていう派と」

 シェルはそう言うと本を手に取り、背もたれに深く背中を預けた。

「俺は死者の国、夢があると思うんだけどなー。昔から、そういう話が残ってるんだってさ。四代目の国王が、信託所を制度化したらしいんだけど、その時からずっと、信託所より先の山には立ち入らないようにって。だいぶマニアックだけどね。四代目国王、セリウム・マーテルの信託所の話なんて」

 今、シェルと対等に喋っている。
 たった本を二冊、読んだだけで。

「よく知ってるね、シェル」
「一番最初に叩きこまれたもん。マーテルの家庭教師に、覚えるまで部屋を出たらダメだって言われた」

 シェルは天井を向いたまま、本を顔の前に移動させてページをめくっている。
 王都マーテルでも家庭教師から勉強を教わっていたなんて、知らなかった。
 小さなころからシェルは、勉強していたのか。

 二度目の人生での、シェルの最期を思い出す。

 アメリアと結ばれて、それから死んでいったシェルを思い出して、胸が痛んだ。
 この人生でもシェルは、アメリアを選ぶんだろうか。

 やっと少し近づけた安心と、それからやっぱり、不安。

「また泣いてる」

 シェルはぼそりとそう言うと、右手の袖でロアの目元をこすった。

「でも俺、もう余計なことは言わないって学んだから」

 したり顔でそう言ったシェルは、また背もたれに深く体を預けた。

 メンヘラ製造機。
 そう思ったロアは、一度深く息を吐く。

 シェルがもし、アメリアと結ばれても関係ない。

 シェルが生きて笑ってくれるなら、それでいい。

 ロアはそう言い聞かせて、背もたれに深く背中を預けた。