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ベルはカーラに様々な躾をほどこした。貴族のマナーや踊りなどもそれに含まれていた。
「庶民の私が覚えても仕方がないんじゃないかなぁ」
普段陽気なベルは躾だけは厳しい。
不平を言いつつも従ったのは、彼女のことが好きだったからだし、学ぶことも楽しかったからだ。それでも、何の意味があるのだろうと思わずにはいられなかったカーラに、ベルは優しく微笑んだ。
「だって考えてもごらんなさい。しっかり作法が身についていれば、いいおうちで働くこともできるよ」
「いいおうちで? 上級メイドさんとか?」
「ええ。それに、素敵な男性との出会いもあるかもしれないし」
ふふっと楽しそうに笑うベルに、カーラは「それはいい」と首を振る。
母のように恋に生きる自分など想像もつかないし、庶民の自分には政略結婚のようなものもない。家も、ベルと言う家族もいるカーラは、一生独身でいることも可能なのだ。
そんなことより、もしかしたら将来お金持ちのうちで、優雅な上級メイドになれるかもしれない。そちらのほうが重要で、カーラは真面目にベルの教えを吸収していった。そのおかげで、町のお金持ちの下働きから始め、今では臨時雇いとはいえ、伯爵家で働くこともある。
このまま順調にいけば、正式に雇用してもらえる日も近いだろう。そしたら順調にキャリアを積んで、いずれはいい紹介状を携えて、どこかのメイド長になれるかもしれないなどと考えていた。
なのにどうして今夜、お城へドレスを着て行っていたかというと、なぜかカーラのもとに城からの招待状が届いたからだ。
「なんで?」
あて名はたしかにカーラだ。いまだに名字持ちではあるけれど、今のカーラは貴族ではない。
何かの間違いだろうと招待状を捨てようとしたところ、ベルに止められてしまった。
「いいじゃない。行ってらっしゃいよ。いい経験になるわ」
「いい経験!」
カーラはその言葉に弱い。
実は好奇心旺盛なこともあって、ベルからこう言われると色々チャレンジしてみたくなるのだ。伯爵家で如才なくふるまえるのもそのおかげだと思っている。
伯爵家には時々甥のテオが客として泊まりに来るのだが、その時もしっかり落ち着いた対応ができ、メイド長から褒められたくらいだ。
見目麗しいテオはメイドにも人気で、色目を使う者が後を絶たないらしい。「その点カーラなら安心だ」と言われたことを自慢すると、ベルにはあきれられてしまったけれど。
(まあ、確かにかっこいいのよ。優しいし、ダンスも上手だったし)
つい一刻前の出来事を思い出し、他人事のように頷く。
まさかテオも、自分のダンスの相手が何度か自分を世話をしてくれたメイドだなんて、思いもしなかっただろう。
今日の舞踏会は、仮面をつけて顔を隠すという趣向だった。だからこそカーラも踏み出せたのだ。しかもドレスも仮面も、ベルの衣装箱にあったものを少しだけお直ししたもの。
ベルを溺愛していた旦那様が、大枚をはたいて保存用の魔法を施していたらしく、状態はほぼ新品。
「でも誰も使わないものに、そんなに大金をかけるなんてもったいない気が……」
つい本音を漏らすカーラに、ベルは「情緒がないわ」とカラカラ笑った。
「だから貴女が使えばいいでしょう。物は使ってこそ生きるんだから」



