初恋のジュリア


302号室のドアの前まで来ると、わたしは緊張で微かに震える人差し指でインターホンを押した。

"ピーンポーン"

(押しちゃった。篠宮さん、居るかなぁ?先週は土曜出勤してたよね。もしかして、今日も仕事に出掛けてるかな。)

そう思いながら、わたしは勢いで来てしまった事に後悔をし始めていた。
特別料理が上手なわけでもない普通の肉じゃがを持って来てしまい、このまま篠宮さんが不在で渡さずに引き返した方がいいのではないか···―――

そんな風に考え、耳の奥で鳴る鼓動に自分の愚かさを感じてしまう。

(···居ないかな?物音も聞こえない。)

篠宮さんの不在を心のどこかで安堵していたわたしは肩の力が抜け、自宅に引き返そうとした。
すると、エレベーターがある方向から、エレベーターの扉がゆっくりと開く音と誰かの足音が聞こえて来た。

わたしが何気無く振り返って見ると、そこには廊下の向こう側から歩いて来る黒いダウンを着た篠宮さんの姿があった。

篠宮さんはわたしに気付くと、パッと明るい表情に手を上げ「あ、桐島さん!」と言った。

(あっ···篠宮さん帰って来ちゃった······)

わたしは中途半端に302号室のドアの前に立っており、明らかに不自然だった。
こちらへ向かって歩いて来る篠宮さんは、「どうしたんですか?」と言い、ダウンのポケットから鍵を取り出していた。

「えっと、そのぉ······」

わたしが何と答えようか迷っていると、篠宮さんはわたしが抱えて持つタッパーに視線を落とした。

「あ、それ。」
「あ、あぁ、これは······」

タッパーの存在に気付かれ、あたふたするわたし。
何とか誤魔化そうと思ったが、良い言い訳も思い付かず、結局正直に話す事にしてしまった。

「えっと、昨日杏仁豆腐を頂いたので、お礼と言う程でもないんですが、肉じゃがを作り過ぎてしまったのでお裾分けを、と思いまして······」

わたしはそう言って肉じゃがが入ったタッパーを差し出し、不安から篠宮さんの顔色を窺った。
しかし、わたしの不安をよそに篠宮さんは驚きと喜びを表すような笑みを浮かべ「え!マジっすか?!肉じゃが好きなんですよ!ありがとうございます!」と言って、タッパーを受け取ってくれたのだ。

その際に微かに篠宮さんの指先がわたしの手に触れ、ドキッとしてしまったが、何とか平然を装い「いえいえ、こんな物しかお渡し出来なくて、お恥ずかしい······」と言った。

「そんな事ないですよ!普段あまり自炊出来てないので、手作り料理嬉しいです!あ、桐島さん、夕飯はもう食べました?」
「えっ、まだ、ですけど······」
「良かったら、うちで一緒に食べませんか?今、ワイン買って来たんで、晩酌しながら!」

そう言って、篠宮さんはたった今買って来たのであろうワインが入ったレジ袋を持ち上げて見せた。