わたしの夢は、温かい家庭を築く事だった。

生まれてすぐに孤児院に預けられたわたしは、10歳の頃に里親の"桐島(きりしま)夫妻"に引き取られ、18歳まで桐島家で育った。
しかし、桐島家での生活は幸せと言えるものではなかった。

育ての親である桐島夫妻には感謝しているが、まるで家政婦のように扱われ、高校に通いながら働いたアルバイトの給料は全て奪われ、与えてもらった部屋は薄汚れた屋根裏部屋という暮らしは、わたしが夢みていた"幸せ"とはかけ離れたもので、何度"家出したい"と思ったか分からない。

絶望したわたしは、"愛情"と"自分の居場所"に飢え、いつか自分の家庭を持つ事に憧れを持つようになった。

そして、高校を卒業と共に就職し桐島家を出たわたしは、就職した先の職場で2歳年上の悠史と出会った。

わたしが入社して3年後に他支店から異動して来た悠史と仲良くなるのに、それ程時間はかからなかった。
話すのが苦手なわたしとは正反対で社交的な悠史は、積極的に話し掛けてくれ、悠史からのアプローチで付き合う流れとなったのだ。

気付けばわたしは誰にでも優しく、子ども好きな悠史との未来を思い描くようになっていた。

しかし、そんな悠史への信頼が崩れ去ったのは、半年前···――――
同棲をする為に引っ越したマンションの近所で偶然、瞳さんと出会ってからだ。

懐かしさから瞳さんと連絡を取るようになった悠史は、瞳さんの息子である遥斗くんを可愛がるようになり、仕事帰りに瞳さん宅へ立ち寄ったり、休日に瞳さんと遥斗くんと一緒に出掛けるようになった。

わたしは自分が蔑ろにされている気持ちになり、悠史に「瞳さんと会うのをやめてほしい」と何度も訴えてきたのだが、悠史はいつも「瞳はただの友達だから!心配し過ぎだよ!」と笑って、真剣に取り合ってはくれなかった。

そして、別れを決断する決定的な出来事は、遥斗くんが悠史を「パパ」と呼び始めた事だ。
"パパ"と呼ばれ、嬉しそうな悠史と、勝ち誇ったような顔をする瞳さんを見た時、怒りと共に深い悲しみが押し寄せてきて、わたしの我慢は限界に達したのだった。

悠史は、誰にでも優しい人だ。けれど、誰にでも優しすぎるのも考えものだ。

(これで良かったんだ。)

そう自分に言い聞かせながら、わたしはビジネスホテルのシングルベッドの上で天井を見上げていた。
そして自然と涙が視界を歪ませ、溢れた涙がホロッと目尻から落ちていく。

わたしは布団を被り、まるで母親のお腹の中にいる赤ちゃんのように身体を丸めて眠りについたのだった。