彼女がニューヨークに来た理由を聞いた時、喜んでしまった自分がいた。
十中八九、失恋が理由だと思っていたから。そうではないとわかり、彼女には申し訳ないけれど、寄り添う気持ちよりも先に嬉しさがこみ上げてきてしまった。
そんな時に、俺に迷惑をかけるだの、ここに来なければよかったなんて言うから。迷惑なわけないし、来なければ俺らは出会えなかった。
それを否定されたようで黙らせたくて……
気づいたらキスで口をふさいでしまっていた。
自分にこんなに嫌なやつだったとは。人にこんなに感情を揺さぶられるとは。
彼女といると新たな発見がたくさんある。自分の悪い面も含めて。
商社に勤めていた父親の影響で、小さい頃は海外を転々とすることが多かった。
父親やその仕事のことは尊敬していたけれど、慣れない土地に慣れない言語。心労は溜まっていたようで、転勤に怯え、いつからか飛行機に乗ることが苦手になった。
今回は日本にどうしてもの用事があったため乗らざるを得なく、やはり日本に向かう行きの飛行機は最悪だった。
ニューヨークへの帰りの便も案の定、体調が悪かった。更には3人席の真ん中、最悪の条件だった。
そんな時に隣の席から話しかけられ、しかも日本語だったから少し驚いて振り向いた。
……目の前にいたのは顔にパックを貼った人だった。
さすがにビビったけれど、面白い人だなって笑いが止まらなかった。今でもあの顔は脳裏に焼き付いていて、吹き出しそうになってしまう。
彼女はそんな俺の様子を、寒さで震えていると勘違いしたのか、心配そうに尋ねてきた。
3人席の真ん中の席になってまで……お人好しで変な人だなって思った。
俺の本の大ファンだと言ってくれた時、いつものお世辞かなと思ったけれど、彼女は本当に俺がその作者本人って知らないみたいで、純粋に褒めてくれているとわかった。
有難いことに作家業は順調だけど、有名になって以降寄ってくる人は男女問わず、俺の作品越しに名声やステータスを求める人ばかりだった。無理に作品を褒めておだてて版権を得ようとする出版関係者や、人気作家である「柊 朔夜」と一緒にいたい女性たち。
純粋な本の感想やキラキラした目を向けられるのは久しぶりで、スランプ気味だった俺の心にかなり沁みた。
正体は内緒にしておこうと思ったけれど、看護師だからなのか全く気にしない距離の詰め方に心を乱され、つい名乗ってしまった。俺ばかり心を乱されているのに、あっちは仕事の一環くらいの感じでなんか悔しい。
長らくスランプに陥っていると自負していたし、今まで閉じ気味で人のことをしっかりと見てこようとしなかったけれど、彼女といると彼女の気持ちに興味があり、理解したくなり……すると不思議なことに自分の中でどんどん創作欲も湧いてきた。
他人にこんな感情を抱くのは初めてだった。
そう思ったらここで終わりにしたくなかった。
いつもなら無限に感じるフライトがあっという間に感じるほどの奇跡の出会い。なんとかこの先を繋ぎ留めたかった。
けれど、うまい言葉が出てこない。この時ばかりは作家という職業もなにも役に立たない。
結局、彼女の看護師使命につけ込むような、なんともかっこ悪い形で今日と明日の約束を確約できた……はず。
もともと興味があることに没頭してしまうタイプで、ある意味作家は天職だと思っていた。
ひらめいた時や筆が進むときは周りを見ず、なにも気にせず突っ走ってしまっていた。
セントラルパークで執筆が一区切りし我に返った時、隣で眠る彼女を見てかなり青ざめた。
今回もやってしまった……しかも初めて手に入れたいと思った彼女の前で。
とにかく起こして、必死に謝ろう。お説教も文句も、なにを言われても全部聞こうと慌てていたが、彼女の反応は想定外のものだった。
眉毛を下げてふにゃっと可愛く笑いながら、かっこいいなんて言うんだから、参った。
ちなみにこのセントラルパークに着いてレジャーシートを敷こうとした時、彼女は場所を変えたいと移動した。
別にそれくらいワガママでもなんでもないしいいのだが、彼女にしては少し意外だなと思った。
後からなんとなくわかったが、最初の位置だと後ろで日向ぼっこしていたカップルの陰になってしまうから、配慮したのだと思う。
陽の位置なんて変わるのに。実際、少ししたらカップルの場所は木陰になってしまっていたし、反対に彼女は思いっきり西日を浴びることになってしまった。
飛行機の席の時もそうだが、自分を犠牲にしても人のことを優先する人柄なのだろう。それで貧乏くじを引くタイプのような気もするが……
まぁ、図々しくてあまり他人のことを考えない俺と、相性的にはちょうどよいのではないだろうか。

