研修期間は恋の予感

定時から三十分くらい過ぎていた。やっと今日の仕事に目処がついた。

仕事量が特別多いってわけじゃない。
仙崎さんを案内したからその分きつくなったわけでもない。
ただ、いつもよりも進みが遅かっただけだ。

視線を上げてパソコンの奥をみる。仙崎さんはもういない。

今日という一日、何だかすごく長く感じたな。

「お先に失礼します」

「お疲れさま。東雲さん、今日はありがとうね」

帰り際、天野さんがニコニコしながら私に手を振ってくれた。
思わずこちらこそありがとうございましたと言いそうになった。

会社を出て、最寄りの地下鉄までとぼとぼとと歩く。
駅までは十分かからないくらい。このくらいの時間だと社員の人がちらほらと歩いているのが見える。

もちろん、仙崎さんの姿は見えない。あーあ、今頃仙崎さんは何をしているんだろう。

って私ったら何を考えているんだ。

仙崎さんのことを朝礼で初めて見た。その後、会社の案内をして、昼食の皿を洗いながら少し話をしただけ。

時間にしたら全部合わせても三十分もないくらい、それだけなのに。

なぜか私の中に色濃く残っている。今日やったどの業務よりも、濃密で鮮明に。

三年以上働いて数えきれないくらいの時間を仕事に費やしたって人生が変わったなんて瞬間は訪れてこなかったのに。

たった数分間で人生が変わることなんてないよね。

仙崎さんとの出会いが私の人生を変えるなんて、そんなことあるはずない。

そんなの頭でわかっているのに何かを期待しそうになる自分がいる。

帰り道、偶然どこかで会えたりしないかな。

それとも明日の朝、会社までの途中で一緒になったりして。

なんて、そんなことあるわけないよね。

もし道で見かけても私から話かけたりなんてできないし、仙崎さんが私に話かけてくれるなんてこともきっとない。

仙崎さんにとって私は本社の社員の一人で、この一週間が終われば仕事で関わることだってきっとほとんどないはずだ。

そんなことわかっているのに。それなのに心のどこかで仙崎さんを探している。

まるでずっと見つからなかった探し物を見つけたみたいに。また失くさないように必死になろうとしているみたい。

おかしいよね、仙崎さんと会ったのは今日が初めてなのに。なぜかそんな気がしない。

そんなことを考えているうちに駅に到着した。
スーツを着た会社帰りのサラリーマンやOLの姿がちらほら見える。
みんな今日一日仕事を頑張ったのだろう、疲れややりきったような清々しさが顔に出ている。

地下鉄が到着する。何の変哲もない、いつも通りの光景。日常がゆっくりと進んでいる。それだけなのに。

たった数分間の出来事が私の中でどんどん大きくなる。

明日もまた仙崎さんと話せるかな。

そんな期待を胸に秘める。

この電車が私の理想を叶える場所まで連れて行ってくれる。

なーんてことを年甲斐もなく考えてしまった。