踏み切りの鐘は三分間鳴る

「相沢ー、また今日も学校来てんのー? 私さ、来るなって毎日言ってるよねー」
「そうそう、学校もう来るなよ、あんたが生きてるだけで迷惑なの、早く死んでよ」
「……」
 その日も教室に入るといつもの暴言が飛んでくる。
 でも、昨日の佐藤くんとの一件が頭のなかに強くこびりついていていつもより気にならなかった。
 初めて、佐藤くんが笑ったところを見た、初めて触れられた頬はまだ熱を持って熱いような気さえする。
 佐藤くんの言葉を、本気に受け止めてしまっている自分が、いる。
「なんか言えよ、おいアバズレ」
「……これは」
 自分に向けられた嘲笑を無視して自身の机の引き出しを開けると中に忘れていってしまっていた教科書がボロボロになっていた。
 いつもならちゃんと持ち帰っているし忘れたと気付いた時に取りに戻ろうかとも考えたけど一日くらいなら問題ない、そう判断したのがどうやら間違いだったようだ。
「頭が良くて優等生なあんたには教科書なんていらないと思ってー、感謝してよー頑張ったんだから」
「……」
 頑張った。
 その言葉は人の教科書をズタズタに引き裂いて沢山の誹謗中傷を書き込んだ労力にたいして使うのにはあまりにも適していない。
「何その目、いつもそうだけど反抗的だよねー、何様って感じ、自分が庇った奴からも無視されてるのによく平気で毎日学校来れるよね」
「はーい、よく撮れました」
 目は口ほどに物を言う。
 私の視線が気に入らなかったのかヒートアップしていく女子生徒の暴言、それでも私がだんまりを決め込んでいればふと、この場に似つかわしくない明るい声が教室内に響いた。
「佐藤、くん……?」
 その声にとても聞き覚えがあって、声のしたほうにすぐに顔を向ければスマホを構えて教室の入り口に立っている佐藤くんを見つけた。
「佐藤って……暴力沙汰起こして停学食らったって噂の……?」
 佐藤くんの起こした事件は校内でそれなりの騒ぎになった。
 だから皆その後佐藤くんが学校に来ていないのも勿論知っていて、そんな彼の突然の登場に勿論教室内はざわめき立つ。
「俺、嫌いなんだよねそういうの」
 わざとなのか偶々なのか、佐藤くんの次の言葉はあの日踏み切りの前で私にかけられた言葉と同じだった。
「あんた、もしかして……」
 佐藤くんが言いながらスマホを軽く振って見せれば私をいじめているリーダー各の女子がすぐに事態を把握したように声を漏らす。
「脳ミソ空っぽでも流石に分かるよね、全部これで撮影してた、最近こういうのって世間うるさいし、個人情報と一緒にネットに動画上げればそれなりに話題にはなるんじゃないか?」
 今の一件自体はそこまでたいしたことをされていたわけじゃない。
 でも昨今のコンプラとか、ネットの民度を考えればそれだけできっと簡単にネットのオモチャにされるだろう。
「……そんなことしてあんたに何のメリットがあんんのよ、何? 抱かせてもらったわけ?」
「学校で楽しく話せる相手が出来る、それだけで充分俺にはメリットになる、それに相沢のこと狙ってるから好感度は上げられるときに上げとかないと、ってことで俺はコンプラとか気にしないタイプだから女でも殴れる、停学にもなってたし最悪退学でも気にしないし、これ以上相沢に関わらないって言うなら動画ネットにもあげないし見逃してやるけど?」
 佐藤くんの切った啖呵に教室は静かになってことの行方を皆が見守るなか最初に折れたのはリーダーの女子のほうだった。
「……行こ、めんどくさいことになる前に」
 女生徒はそれだけ言うと取り巻きを連れてすぐに私の席から離れていってすぐに別の話題で盛り上がり始める。
 面倒ごとに巻き込まれるくらいなら私に絡むのを辞める。
 まぁ、それくらい彼女たちにとっては私へのいじめなんてただの暇潰し、くらいのものだったのだろう。
「……ほんと、むちゃくちゃだよ、佐藤くん」
 私の席の前まで来ていた佐藤くんに困ったように笑いながら私は声をかける。
「えー、何が?」
 だけど佐藤くんはふざけた様子でただシラを切る。
「こんなことしたらまた先生に目、つけられちゃうよ?」
 やっと登校したと思ったら今度は自分のクラスじゃない教室にずかずか入ってきて啖呵切って、そうじゃなくても花壇の件で睨まれているのに余計に目をつけられかねない行動だ。
「別にそれくらい問題ないって、中学不良だったから逆高校デビューしようとして失敗した結果こうなってたわけだし」
 だけど佐藤くんは特段気にした様子もなくそう言って笑って見せるから、私もどうでもよくなってきてしまって
「だからそんなピカピカの金髪になってるの?」
 今日会ってからずっと気になっていたそれを指摘してみることにする。
「そ、高校入る時に黒染めしたんだけど似合ってなかったしちょうどいいなーって」
 黒髪から金髪になって、よく笑う佐藤くんは少しだけ新鮮だけど、きっとこっちが素の彼なんだろう。
「それよりさ、あれ直してくれたの相沢だろ?」
「あれって……」
「花壇のこと」
「あー、うん、だってそのままには出来ないし」
 二度目に花壇が荒らされてすぐに佐藤くんは停学になってしまったから暫く花壇はそのままで、揉め事の起きた場所だからか美化委員の人たちも何もしようとはしなかった。
 だからあの道を通る度に荒れた花壇を見て、その度にあの時の悲しそうな佐藤くんを思い出してしまうから私が勝手に直したのだ。
 佐藤くんみたいに上手くは、出来なかったけど。
「これ、買ってきた」
 佐藤くんはふと、ポケットの中からひとつの袋を取り出してこちらへ差し出してくる。
「これは……花の種?」
 受け取ったそれはおそらく花の種だということは分かった、でもそれが何の花なのかまでは分からない。
「カランコエって花の種だってさ、あの花壇に植えようと思って、一緒に来る?」
「これから授業始まるけど……」
 カランコエ、聞いたことのない花の名前だ。
 それにまた佐藤くんと花壇をいじれるのは楽しそう、だけどもう何分かすれば授業が始まってしまう。
「たまにはサボってもいいんじゃない? 優等生さん」
「不良の考え方だよそれー」
 私が優等生かは分からないけど、一応授業をサボったことはないからサボって花壇の世話をしに行くなんて発送は端からなかったのでつい言いながら笑ってしまう。
「それに周りもうるさいし」
 佐藤くんは言いながら視線を周りに巡らせる。
 さっきの一件からずっと周りからチラチラと見られているのにもひそひそと話をされているのにも一応私だって気付いてはいた。
 まぁ、あれだけのことがあれば誰だって気になるだろうけど。
「……それは同感、じゃあ行こうかなーせっかくだし」
 それでもこの後も続くようならどうせ授業に集中なんて出来ないのもまた事実で、私は佐藤くんに言いながら席を立った。
「ねぇ、佐藤くんさっきの本気?」
 廊下に出て開口一番、さっきのやり取りの中で一番引っ掛かった部分に触れる。
「さっきのって?」
「……私を狙ってるとか、そういうの」
 私より少し前を歩く彼の表情は見えなくて、分かっていてとぼけているのかそれとも本当に分からないのか判別を付けるのは少しだけ難しい。
 だから私はより具体的に聞き直すことにした。
「俺、不良だけど嘘は吐かないよ」
 歩くスピードを少しだけ遅めた佐藤くんは私の横に並ぶと今度はしっかりとこっちの顔を見ながら端的に、そう続ける。
「…………告白?」
「あー、まだ告白じゃない、もっと相沢に俺のこと好きになってもらってから告る予定、こう見えて慎重なほうだから」
 たっぷりと間を置いてから聞き返す私に佐藤くんはブンブンと頭を振ってそれを否定する。
「……そっか、楽しみにしてる」
 私は笑いながらそう返したけど、彼の慎重さを少しだけ残念に思ったのは今はまだ、秘密にしておこう。
「うん、楽しみにしてて、そしたら今度は電車見るんじゃなくてさ、乗るほうになろうよ、一緒にさ」
「あそこ走ってる電車どこに向かってるか知らないんだけど……」
「乗れば分かる」
「……ほんと、むちゃくちゃだね」
「相沢とならどこ行っても楽しそうだし、わりと利にかなってるんじゃない?」
「そう、だね……そっか」
 独りだったらきっと、ずっとあそこから流れ行く電車を眺めているだけでその中に自分がいるところなんて想像も付かなかったと思う。
 それでも、佐藤くんがそうして言葉にしてくれるだけで自ずと二人で一緒に電車に乗っている情景が頭に浮かんでしまうのだから佐藤くんの言葉というのは不思議なものだと思う。
「ま、そんなことよりさ、早く種撒き行こ?」
 佐藤くんは言いながらごく自然に私の手を取る。
「……うん!」
 私は佐藤くんの手に導かれるまま廊下を軽く走り出す。
 いつもだったら廊下を走ったりしないけど、佐藤くんだって言っていた言葉を今は借りよう。
 優等生にだって廊下を走りたい、たまにはそんな日があってもいい筈だ。