翌日の放課後、凛は悠真や友達と一緒に公園へ向かった。
「今日は、ドッジボールしよう!」
クラスメイトの望月けんたが、ボールを持って言った。
「いいね!」
みんなが賛成する。
公園に着くと、子供たちは二つのチームに分かれた。
凛は、悠真と同じチームになった。
「凛ちゃん、一緒に頑張ろうね」
悠真が、笑顔で言った。
「うん」
凛は、頷いた。
でも、心の中では少し迷っていた。
ドッジボール。
子供の頃は、得意だった。
でも、今の自分は、大人の意識を持っている。
本気でボールを投げたら、子供たちを傷つけてしまうかもしれない。
ゲームが始まった。
相手チームから、ボールが飛んでくる。
凛は、避けようと思えば避けられた。
でも、わざと避けなかった。
ボールが、凛の体に当たる。
「あ、凛ちゃん、アウト!」
けんたが言った。
凛は、コートの外に出た。
悠真が、心配そうに駆け寄ってきた。
「凛ちゃん、大丈夫? いつもより、動きが遅かったよ」
「ううん、大丈夫」
凛は、笑顔を作った。
「ちょっと、ぼーっとしてただけ」
悠真は、まだ心配そうな顔をしていた。
「無理しないでね」
「うん、ありがとう」
凛は、悠真の優しさに、胸が温かくなった。
ゲームは続く。
凛は、何度もわざと当たった。
本気を出せない。
子供たちと、同じように遊べない。
大人の意識が、邪魔をする。
凛は、少し寂しくなった。
完全に、子供に戻ることはできないんだ。
体は子供でも、心は大人のままなんだ。
ゲームが終わると、悠真が凛のところに来た。
「凛ちゃん、今日、元気ないね」
悠真は、凛の顔を覗き込んだ。
「そんなことないよ」
凛は、首を振った。
「でも……」
悠真は、まだ心配そうだった。
凛は、悠真の頭を撫でた。
「大丈夫。ちょっと疲れてただけ」
悠真は、少し安心したように笑った。
「そっか。じゃあ、今度は違う遊びしよう!」
「うん」
凛は、笑顔で答えた。

次の日の放課後、悠真が凛に言った。
「ねえ、凛ちゃん。カブトムシ、探しに行かない?」
「カブトムシ?」
凛は、驚いた。
カブトムシ。
子供の頃、よく探したっけ。
「うん! 学校の裏の林に、いるんだよ。今、ちょうどいい季節なんだ」
悠真は、目を輝かせて言った。
「行こう!」
凛は、頷いた。
二人は、学校の裏にある小さな林へ向かった。
木々が生い茂り、薄暗い。
地面には、落ち葉が積もっている。
悠真は、虫取り網を持っていた。
「この木、樹液が出てるんだよ。カブトムシが来るんだ」
悠真は、一本の木を指差した。
凛は、その木に近づいた。
幹に、樹液が滲み出ている。
甘い匂いがする。
「あ! いた!」
悠真が、興奮した声を上げた。
凛も、木を見た。
樹液のところに、カブトムシがいる。
黒くて、大きくて、立派な角。
「すごい! 大きいよ!」
悠真は、目を輝かせている。
虫取り網を構える。
そっと、カブトムシに近づく。
凛は、その様子を見ていた。
悠真の真剣な顔。
キラキラした目。
こんな小さなことが、宝物だったんだ。
カブトムシを見つけること。
それだけで、こんなに嬉しそうにできるんだ。
大人になって、忘れていた。
小さな喜び。
小さな幸せ。
それが、どんなに大切か。
悠真は、カブトムシを捕まえた。
「やった! 捕まえた!」
悠真は、嬉しそうに凛に見せた。
「すごいね」
凛は、笑顔で言った。
「凛ちゃんも、触ってみる?」
「うん」
凛は、カブトムシを手に取った。
ゴツゴツした感触。
動く脚。
懐かしい。
凛は、カブトムシを悠真に返した。
「大切に育ててね」
「うん!」
悠真は、カブトムシを虫かごに入れた。
二人は、林を出て、帰路についた。
悠真は、ずっとカブトムシの話をしていた。
凛は、それを聞きながら、微笑んでいた。

翌日の放課後、悠真が凛に言った。
「ねえ、凛ちゃん。駄菓子屋、行かない?」
「駄菓子屋?」
凛は、懐かしい響きに心が躍った。
「うん! 新しいお菓子、入ったって聞いたんだ」
悠真は、ポケットから10円玉を何枚か取り出した。
「僕、これしか持ってないけど」
凛も、ランドセルから小銭入れを出した。
中には、10円玉が5枚。
「私も、これだけ」
二人は、笑い合った。
学校の近くの駄菓子屋へ向かう。
古い木造の建物。
引き戸を開けると、カラカラと音がする。
「いらっしゃい」
店主のおばあちゃんが、優しい声で迎えてくれた。
店内には、色とりどりのお菓子が並んでいる。
ラムネ、チョコレート、グミ。
凛は、一つ一つを見て回った。
懐かしい。
どれも、子供の頃に食べたお菓子。
「凛ちゃん、これ好き?」
悠真が、グミを手に取って聞いてきた。
「うん、大好き」
凛は、笑顔で答えた。
「じゃあ、これ買おう」
悠真は、グミを取った。
凛は、ラムネを手に取った。
「これも好きなんだ」
「ラムネ、おいしいよね」
悠真も、ラムネを取った。
二人は、レジに向かった。
「全部で50円ね」
おばあちゃんが、優しく言った。
凛と悠真は、10円玉を数えて渡した。
「ありがとう。気をつけて帰ってね」
おばあちゃんは、お菓子を小さな袋に入れてくれた。
「ありがとうございます」
二人は、お礼を言って店を出た。
店の前のベンチに座り、お菓子を開ける。
凛は、グミを一つ口に入れた。
甘味が、口の中に広がる。
懐かしい味。
「おいしいね」
悠真が、笑顔で言った。
「うん、おいしい」
凛も、笑顔で答えた。
二人は、お菓子を食べながら、おしゃべりをした。
学校のこと。
友達のこと。
他愛のない話。
でも、楽しい。
凛は、この時間が、とても愛おしかった。
ただ、お菓子を食べて、おしゃべりをする。
それだけのことが、こんなに幸せなんだ。

夜になった。
凛は、布団の中で目を開けていた。
天井を見つめる。
どうやって、現代に戻るんだろう。
あのメールには、机の引き出しが入口だと書いてあった。
でも、ここには引き出しなんてない。
凛は、部屋を見回した。
子供の頃の自分の部屋。
小さな机。本棚。ぬいぐるみ。
でも、あの引き出しはない。
現代の自分の部屋にある、あの引き出し。
凛は、焦りを感じた。
もし、戻れなかったら?
もし、ずっとここにいることになったら?
母は、心配するだろう。
会社は、どうなるんだろう。
いや、代理人がいるから、大丈夫なのか?
でも、それでも……。
凛は、布団を被った。
不安が、胸を締め付ける。
帰りたい。
でも……。
凛は、目を閉じた。
悠真の笑顔が、浮かんできた。
一緒に遊んだこと。
秘密基地での会話。
カブトムシを捕まえた時の興奮。
駄菓子屋でのおしゃべり。
全部、楽しかった。
もう少し、ここにいたい。
もう少し、この時間を味わいたい。
凛は、矛盾した気持ちに揺れていた。
帰りたい。
でも、まだいたい。
凛は、ため息をついた。
答えは、出ない。
でも、今は、ここにいる。
それだけは、確かだ。
凛は、目を閉じた。
いつの間にか、眠りに落ちていた。
朝になった。
凛は、目を覚ました。
いつもの朝。
でも、今日も過去にいる。
凛は、制服に着替え、ランドセルを背負った。
学校へ向かう。
校門をくぐり、下駄箱へ向かった。
自分の下駄箱を開ける。
中に、小さな紙が入っていた。
凛は、その紙を取り出した。
手紙だ。
開いてみる。
子供の字で、こう書かれていた。
「凛ちゃんへ。今日も遊ぼうね。悠真より」
凛は、その手紙を見つめた。
胸が、温かくなる。
こんな小さな手紙。
たった一行の言葉。
でも、こんなに嬉しい。
大人になって、失っていたもの。
純粋な喜び。
小さなことで幸せを感じられる心。
それを、今、思い出している。
凛は、手紙を胸に抱いた。
涙が、溢れてきた。
凛は、笑顔になった。
ありがとう、悠真。
心の中で、呟いた。