月曜日の朝、凛はエクセリア製薬のオフィスに向かった。
1週間ぶりの出社。
でも、凛の心は、1週間前とは全く違っていた。
過去で悠真に会った。
彼の未来を知った。
そして、彼を救うと決めた。
凛は、オフィスのドアを開けた。
そして自分のデスクに向かった。
椅子に座る。
デスクの上を見る。
全てが、きれいに整理されている。
書類は、きちんとファイルに綴じられている。
ペン立ても、整頓されている。
パソコンの横には、付箋が貼ってあった。
凛は、その付箋を読んだ。
「お疲れ様でした。業務は滞りなく進行しています。詳細は、メールをご確認ください」
凛は、パソコンを起動した。
メールボックスを開く。
受信トレイには、代理人からのメールが並んでいる。
凛は、一つ一つ確認していった。
会議の議事録。
営業部とのやり取り。
記者会見の報告書。
全部、完璧だ。
まるで、凛自身が書いたかのように。
いや、凛よりも丁寧かもしれない。
凛は、驚愕した。
本当に、誰かが代わりに働いていたんだ。
そして、その人物は、凛よりも優秀だったのかもしれない。
凛は、複雑な気持ちになった。
でも、同時に、感謝の気持ちもあった。
おかげで、過去に行けた。
悠真に会えた。
凛は、デスクの引き出しを開けた。
中に、小さな袋を入れておいた。
袋の中には、貝殻が入っている。
悠真がくれた、貝殻。
凛は、その袋に触れた。
ありがとう。
心の中で、呟いた。
そして、今度は、私が頑張る番だ。

午前中、凛はメールの確認や資料の整理をしていた。
午後になって、田中部長が凛のデスクに来た。
「水瀬、ちょっといいか」
「はい」
凛は、顔を上げた。
田中部長は、資料を手にしている。
「新しい企画の話なんだが」
田中部長は、資料を凛に渡した。
凛は、資料を受け取った。
表紙には、「地域医療の最前線 特集企画」と書かれている。
「総合病院から、取材依頼が来ている」
田中部長は、説明を続けた。
「地域医療に貢献している医師たちを紹介する企画だ。当社も協力することになった」
凛は、資料をめくった。
企画の概要。
取材対象の病院。
そして、担当医師のリスト。
凛の目が、そのリストで止まった。
「宮下悠真 内科医 32歳」
凛の心臓が、激しく鳴り始めた。
悠真。
悠真が、ここにいる。
この街の病院で、働いている。
凛は、手が震えるのを感じた。
資料を持つ手が、震えている。
「水瀬?」
田中部長が、凛を見た。
「大丈夫か?」
凛は、慌てて笑顔を作った。
「はい。大丈夫です」
凛は、資料から目を離した。
田中部長を見る。
「この企画、私が担当するんですか?」
「ああ。お前は広報のエースだからな。この企画、頼むぞ」
田中部長は、凛の肩を叩いた。
「体調は戻ったんだろ?」
「はい。もう大丈夫です」
凛は、しっかりと答えた。
「よし。じゃあ、よろしく頼む」
田中部長は、そう言って自分の席に戻っていった。
凛は、再び資料を見た。
宮下悠真。
32歳。
内科医。
子供の頃の悠真が、大人になった姿。
凛は、資料に載っている小さな写真を見つめた。
白衣を着た男性。
真面目そうな顔。
でも、優しそうな目。
悠真だ。
間違いない。
凛は、胸が熱くなるのを感じた。
会える。
悠真に、会える。
でも、悠真は凛のことを覚えているだろうか。
いや、覚えているはずがない。
あれは過去のこと。
悠真にとっては、遠い記憶。
もしかしたら、忘れているかもしれない。
凛は、資料を閉じた。
深呼吸をする。
落ち着け。
これは、チャンスだ。
悠真に会って、彼の状況を確認できる。
そして、メディアジールのことも、もっと詳しく調べられる。
凛は、スマホを取り出した。
病院に、取材の予約を入れなければ。
凛は、病院の電話番号を調べた。
電話をかける。
「はい、〇〇総合病院です」
受付の女性の声。
「エクセリア製薬の水瀬と申します。取材の件で、お電話しました」
凛は、落ち着いた声で話した。
「ああ、はい。お待ちしておりました」
受付の女性は、丁寧に応対してくれた。
「宮下医師との取材ですね。いつがよろしいでしょうか」
凛は、スケジュール帳を開いた。
「明後日の午後は、いかがでしょうか」
「少々お待ちください」
保留音が流れる。
凛は、心臓の鼓動を感じた。
ドキドキしている。
「お待たせしました。明後日の午後2時で、よろしいでしょうか」
「はい。ありがとうございます」
凛は、電話を切った。
明後日。
悠真に会える。
凛は、資料を見つめた。
宮下悠真。
待っててね。
もうすぐ、会いに行くから。

2日後の午後、凛は総合病院に向かった。
カメラマンと一緒に、タクシーで病院へ。
大きな病院だ。
10階建ての建物。
エントランスには、たくさんの人が出入りしている。
凛は、受付に向かった。
「エクセリア製薬の水瀬と申します。宮下医師との取材の予約をしております」
受付の女性は、パソコンを確認した。
「はい、承っております。少々お待ちください。宮下医師を呼んで参ります」
「ありがとうございます」
凛は、ロビーの椅子に座った。
カメラマンも、隣に座る。
凛は、周りを見回した。
待合室には、患者やその家族が座っている。
子供を連れた母親。
車椅子に座った老人。
点滴を押しながら歩く患者。
凛は、胸が締め付けられた。
この人たちの中に、メディアジールの被害者がいるかもしれない。
凛は、拳を握りしめた。
その時、エレベーターのドアが開いた。
白衣を着た男性が、こちらに歩いてくる。
凛は、その男性を見た。
心臓が、止まりそうになった。
悠真だ。
大人になった、悠真。
背は高くなり、顔つきも大人びている。
でも、面影はある。
優しそうな目。
穏やかな表情。
子供の頃の悠真の面影が、確かにある。
「お待たせしました。宮下です」
悠真は、凛の前で立ち止まった。
そして、名刺を差し出す。
凛は、立ち上がった。
息が、止まりそうだ。
「エクセリア製薬の水瀬です」
凛は、自分の名刺を渡した。
手が、震えている。
悠真は、名刺を受け取った。
「水瀬さん。よろしくお願いします」
悠真は、笑顔で言った。
凛は、その笑顔を見て、涙が出そうになった。
悠真。
本当に、悠真だ。
生きている。
今、ここに、生きている。
「よろしくお願いします」
凛は、やっと答えた。
声が、少し震えている。
悠真は、気づいていないようだった。
「では、こちらへどうぞ」
悠真は、廊下を案内した。
凛とカメラマンは、悠真の後をついていった。
凛は、悠真の背中を見つめた。
白衣。
しっかりとした歩き方。
医師としての、悠真。
凛は、胸が熱くなった。
悠真は、ちゃんと医者になったんだ。
夢を、叶えたんだ。
でも、この悠真が、32歳で死ぬ。
凛は、唇を噛んだ。
絶対に、そんなことさせない。
悠真は、診察室に案内してくれた。
「ここで、お話ししましょう」
悠真は、椅子を勧めた。
凛は、椅子に座った。
カメラマンは、カメラの準備を始める。
「取材、よろしくお願いします」
凛は、ノートを開いた。
「こちらこそ。地域医療について、少しでもお伝えできればと思います」
悠真は、穏やかに答えた。
凛は、悠真を見つめた。
32歳の悠真。
子供の頃の約束を、覚えているだろうか。
いや、覚えているはずがない。
凛は、取材を始めることにした。

凛は、ノートにペンを走らせながら、悠真に質問をしていった。
「宮下先生は、どうして医師を目指されたんですか?」
悠真は、少し考えてから答えた。
「子供の頃、病気で苦しんでいる人を見て、助けたいと思ったんです」
凛は、ペンを止めた。
悠真の言葉に、心が震えた。
「それから、ずっと医師になりたいと思っていました」
悠真は、遠くを見るような目をした。
「特に、薬害で苦しんでいる患者さんを、救いたいと思っています」
凛は、息を呑んだ。
薬害。
悠真は、すでに薬害患者の治療をしているんだ。
「薬害、ですか」
凛は、震える声で聞いた。
「はい」
悠真は、真剣な顔で答えた。
「実は、私の患者さんの中にも、薬の副作用で苦しんでいる方がいらっしゃいます」
凛は、唇を噛んだ。
「どんな薬ですか?」
凛は、恐る恐る尋ねた。
悠真は、少し躊躇した。
「具体的な薬の名前は、ここでは控えさせていただきますが……大手製薬会社の新薬です」
凛の心臓が、激しく鳴った。
メディアジール。
「患者さんは、どんな症状ですか?」
「めまい、頭痛、倦怠感……ひどい方は、呼吸困難や発疹も出ています」
悠真は、苦しそうに言った。
「でも、製薬会社は副作用を認めていないんです」
凛は、拳を握りしめた。
やっぱり。
会社は、副作用を隠蔽している。
「先生は、どう思われますか?」
凛は、真剣な顔で尋ねた。
悠真は、凛を見つめた。
「製薬会社には、真実を明らかにして欲しいです」
悠真の声は、強かった。
「患者さんは、苦しんでいます。その苦しみを、誰かが認めてあげなければいけない」
凛は、涙が出そうになった。
悠真。
あなたは、やっぱり優しい人だ。
子供の頃と、変わらない。
「私は、医師として、患者さんを救いたい。それだけです」
悠真は、真っ直ぐに凛を見た。
凛は、その目を見て、心が震えた。
この人を、守りたい。
この人の未来を、守りたい。
「素晴らしいお考えですね」
凛は、やっと答えた。
「ありがとうございます」
悠真は、少し照れくさそうに笑った。
その笑顔。
子供の頃の、悠真の笑顔と同じだ。
凛は、胸が熱くなった。
取材は、1時間ほど続いた。
悠真は、地域医療について、熱心に語ってくれた。
患者さんへの思い。
医療への情熱。
全てが、真剣だった。
凛は、悠真の話を聞きながら、過去の記憶が蘇ってきた。
秘密基地での会話。
「困ってる人を助けるって、気持ちいいね」
悠真の言葉。
あの純粋な心が、今も悠真の中にある。
凛は、涙をこらえた。

取材が終わると、凛は立ち上がった。
「貴重なお話、ありがとうございました」
凛は、深く頭を下げた。
「こちらこそ、ありがとうございました」
悠真も、立ち上がった。
「また、何かあれば、いつでもご連絡ください」
悠真は、名刺を凛に渡した。
凛は、名刺を受け取った。
「宮下悠真」
その名前を、じっと見つめる。
「必ず、また連絡します」
凛は、名刺を握りしめた。
悠真は、笑顔で頷いた。
「お待ちしています」
凛とカメラマンは、病院を出た。
外に出ると、凛は深呼吸をした。
会えた。
悠真に、会えた。
そして、悠真は、やっぱり優しい人だった。
凛は、名刺を見つめた。
必ず、あなたを救う。
心の中で、誓った。
メディアジールの副作用を明らかにして、あなたを守る。
約束は、絶対に守る。
凛は、名刺をカバンにしまった。
そして、会社に戻ることにした。