予鈴を合図にラシェル王太子殿下と共にグラーシュ公女の控室を出て、ミーガンを教室まで送ろうと皆と別れた所でサイラスとミーガンを待ち構えていたのは、十人もの護衛騎士を従えた父のヘイデン伯爵だった。
ヘイデン伯爵はゆっくりと近づき、ミーガンの身に着けている制服とヘアピンを確認すると、今まで見たこともない程の険しい顔で二人を見据えた。
そんな父の態度を訝しみながらもミーガンが笑顔で話しかけようとするのを遮って、ヘイデン伯爵は後ろに控える護衛騎士たちに命じた。
「この二人を言った通りに拘束せよ」
自家の護衛たちに後ろ手に拘束された二人は驚愕し、声を上げようとするも猿轡をかまされて頭からすっぽりと袋に入れられ、護衛騎士たちに担がれてとある場所にひっそりと止めてあった家紋の無い馬車に押し込められた。
馬車のカーテンを全て閉めると袋から出されて猿轡を外されたが拘束は解かれなかった。
「どういうことですか父上! なぜ僕たちが拘束などされるのですか!これではまるで罪人のような扱いではないですか!」
猿轡を外されるや否やサイラスが大声で父に詰め寄った。
それを見て嫡男へ失望を含んだ視線を向けたヘイデン伯爵が、噛んで含めるようにゆっくりと話し始めた。
「これからお前たちの処遇と社交界での評価を説明する。最期になるだろうからしっかりと聞きなさい」
最期という言葉にびくりと身を竦ませたミーガンが涙を浮かべて震える声を上げた。
「最期だなんて、一体どういうことですかお父様。私たちは何も悪い事はしていないのに、どうしてこんな仕打ちを受けなければいけないのですか」
顔を見合わせて口々に自分たちは悪くないと言い募る兄妹の姿に、ヘイデン伯爵はこめかみを押さえて首を振りながら全てを諦めたように話を再開した。
「教育は無駄だったようだ。多少なりとも自覚があればまだ救いようもあったものを、自覚が無いなら仕方がない。これから私の話に口を挟むことは許さない。問われた場合だけ簡潔に答えるように。騒ぐようなら猿轡を使う」
射貫くような視線を向けられた二人は父の威圧に言葉を出せず、無言で頷いた。
「先ずサイラス、お前は学園入学以来この一年、ラシェル殿下が婚約者のグラーシュ公女を無視し続けている事を知りながらその状況を放置したばかりか、他の側近と共に公の場で貶めるなど、準王族たるグラーシュ公女に対して立場を弁えない不敬な態度を取りつづけた。本来なら主の間違った行為はお諫めし、お互いに誤解やすれ違いがあるならその仲立ちをするべき立場でありながらその務めを放棄して、あろうことか主の威光を笠に着て不遜な態度を増長させるなど側近として言語道断、決して許されざる行動だ。国王王妃両陛下ともに王子の側近にただ機嫌を取るだけの無能は必要ないとご判断を下された。これはお前だけではなく、エリオット公爵家ルイ殿、フラン侯爵家ジルベール殿、ミラー伯爵家クレイグ殿も同様の処分だ。四名は本日を以てラシェル王子の側近を解任された」
側近を解任されたことと、何よりも父の口から出た、『無能』と判断されたという衝撃で真っ青になったサイラスは言葉を発することが出来なかった。
「学園の成績だけを恃みに己を有能だとうぬぼれてでもいたか? ご意向に沿うとは我が儘を何でも聞き入れる事ではない。主が嫌っていると言う理由だけでその相手を知ろうともせずに一方的に敵意を向け、あろう事か身の程知らずにも一緒になって貶めては悦に入るなど、人としての品位を著しく欠く行為だ。そのような者が近くにいては殿下にとっても、何より国にとって害にしかならん」
畳みかけられ力なく項垂れるサイラスの様子に軽くため息を漏らしたヘイデン伯爵は、ミーガンに向き直った。
「ミーガン、お前の学園での振る舞いは既に社交界にも広く伝わっている。ラシェル王太子殿下に取り入り、婚約者のグラーシュ公女に毎日のように嫌がらせと危害を加える身の程知らずな伯爵家の性悪な小娘だとな。最近では『あばずれ』とも呼ばれているぞ」
驚愕に目を瞠り、ミーガンは涙を浮かべて叫んだ
「私は性悪でも、ましてや『あばずれ』などではありません! 一体誰がそんなことを言ったのですか! 不敬だわ! ラシェ様にお伝えしてその者を罰してもらいます!」
父から発せられた貴族令嬢にとっては致命的な言葉に、サイラスも声を上げた。
「ヘイデン伯爵家の令嬢に対して『あばずれ』などとはとても看過できる言葉ではありません! すぐに言ったものを特定して抗議文を送るべきです!」
捲し立てるサイラスとミーガンを威圧のある視線で制して再び告げた。
「もう一度だけ言う。騒ぐなら猿轡を使う」
その言葉に涙を流しながら縋るような視線を父に送るミーガンだったが、ヘイデン伯爵は容赦なく言葉を続ける。
「公の場所である学園のランチルームで、婚約者のグラーシュ公女を差し置いてラシェル殿下を殊更に愛称で呼ぶことだけでも周囲は嫌がらせと捉える。加えて毎日のようにわざとらしく躓いたふりをして故意にトレーをひっくり返してはグラーシュ公女の制服を汚して席を立たせ、謝罪すらせずに婚約者の場所であるその席に恥ずかしげもなく座る。知らない様だから教えておく。社交界ではこういう行為をする娘を『性悪』と呼ぶのだ。そして婚約者を追い出し、実兄を含むとはいえ王子と令息四人を侍らせて談笑するなどと言う貴族令嬢として恥ずべき姿を公の場で晒しているのだ。『あばずれ』と呼ばれたことを抗議したところで、この状況を持ち出されたらどう反論するのだ」
この一年、自分たちの行動に対して何も言わなかった父の苦言に、兄妹は納得の行かない様子で首を横に振っている。
「ラシェル殿下の威光を笠に着て勘違いをしているのはお前もだ、ミーガン。婚約者でもない一介の伯爵令嬢が陰口を叩かれたからと言ってラシェル王子に一体何の関係がある? 一体何の理由があって自分の言いなりにラシェル王子が動くと思っている? しかもその陰口はお前自身の行動がもたらした自業自得の結果だというのに一体何の罪で誰を罰するというのだ。何よりも、『不敬』を口にするなど、お前はまさか王族になったつもりでいるのか? そもそも自身よりも身分が上の相手にそのような言葉を向ける貴族はいないのだ。騒ぎ立てて逆に『不敬』を問われる事になるのは言い掛かりをつけたお前の方だ」
ヘイデン伯爵は、今度はサイラスに目を向けて蔑んだように続けた。
「これはサイラス、お前の行動が原因でもあるのだぞ。ミーガンの目に余る行動を兄であるにも拘らず窘めることもせず助長さえしているお前は、妹にラシェル王子を骨抜きにさせて自身の地位を上げるつもりだと噂されている。まるで女衒のようだとな。同時にグラーシュ公爵家を敵に回す考えの浅い愚か者と嘲笑われてもいるぞ」
馬車の中に漂う重苦しい空気を打ち払うように、外から物を壊すような大きな音が響いた。一瞬憐れむような視線を二人に向けたヘイデン伯爵は、その音がする方向の窓のカーテンを開けた。馬車が止められていた場所は、二人が先ほどまでラシェル殿下たちと共に過ごしていたアンジェリカ嬢の控室のテラスの前だった。
テラス窓が全開にされ、馬車の窓からは室内が全て見通せる。
馬車から降りてテラスに立った父のヘイデン伯爵が、室内に向かって膝をつき深々と頭を下げた。それを見た馬車の中の二人も慌てて頭を下げた。
先ほどの音はテラスの対面にある部屋の入り口の扉が打ち壊された音だったようだ。扉のなくなったその入り口に姿を現したグラーシュ公爵はヘイデン伯爵の礼を受け軽く頷くと、傍らの侍従に指示を出してヘイデン伯爵を立たせた。
ヘイデン伯爵が馬車に戻ると部屋の撤去が始まり、父は窓から無言でその様子を見つめている。それを見てサイラスが恐る恐る父に問いかけた。
「王族専用エリアの部屋を勝手に撤去するなど、たとえグラーシュ公爵でも許されることでは…… 」
その問いに被せるようにヘイデン伯爵は窓から目を逸らさずに答えた。
「あの部屋はグラーシュ公爵家が学園に賃料を払って使用権を得ている。グラーシュ公女の安全の確保のために取り換えた扉や床や壁、内装、家具、調度から服を止めるためのピン一本に至るまで全てがグラーシュ公爵家の財産だ。当然その警備や管理のための人員もグラーシュ公爵家から派遣されている、いわばグラーシュ公爵家の自治エリアだ。特に家具は愛娘の為にグラーシュ公爵自ら職人を選び、厳選した材料でこだわり抜いて作らせた最高級の逸品揃いだ。まさか知らなかったなどとは思いもしなかった…… いや、知らなかったからこそできた事なのか……」
そう呟くとヘイデン伯爵は視線を窓からサイラスに移し、ひたと見つめて改めて問うた。
「お前は『ラシェル殿下が嫌う婚約者』という事以外に、グラーシュ公女の事をどれだけ知っている? 王太子の婚約者になった理由は? 御母堂の出自は? 側近の令嬢たちの家との繋がりは?」
父からの問いに目を泳がせ、はくはくと口を開け閉めするだけで何も答えられない姿に大きなため息を漏らし、ひらひらと手を振って『もうよい』と呟くと視線を窓に戻した。それ以降は誰も言葉を発することなく親子は窓から部屋が撤去されるのをただ見ていた。
この部屋がグラーシュ公爵家の占有であり、そこにあった全てが娘のアンジェリカ嬢の為にグラーシュ公爵自ら誂えた特別な逸品だと知った今、闖入者である自分たちの傍若無人な振る舞いは、余すところなく公爵家の使用人たちから報告されていると思い至り、拘束されている状況が漸く腑に落ちた。
部屋の解体が終り、家具が持ち出され、床板や壁紙、美しく施されていた天井の装飾までもが全て剥がされてただの空間となった場所に、鏡台とライティンビューローだけが残された。この二つの家具はミーガンが特に気に入り、部屋にいる間中ずっと使っていたもので、ラシェル王子からそんなに気に入ったなら今後はこの部屋で鏡台を好きに使って良いと言われ、ライティングビューローに至ってはヘイデン伯爵家に運ばせると言われていたものだ。
部屋の中央に置かれた家具の前へグラーシュ公爵がゆったりとした足取りでやって来た。
家具の前で立ち止まると侍従から渡された大きな斧をゆっくりと振り上げた次の瞬間、憤怒の表情を浮かべて家具に向かって力いっぱい振り下ろした。
それは何度も何度も、二つの家具が木端になるまで繰り返された。
漸く動きを止めて斧を侍従に渡すと、馬車の窓からその光景を目にして真っ青になったサイラスとミーガンをぞっとするほど冷たい視線で一瞥して、部屋だった場所から去って行った。
グラーシュ公爵の怒りを目の当たりにし、サイラスとミーガンの心臓は今まで聞いたことのない音を立てている。
震えあがる二人に、ヘイデン伯爵がさらに告げる。
「ミーガン、お前の着ている制服はグラーシュ公爵家の紋章が入った特別製だ。そして髪に着けているヘアピンはグラーシュ公爵領特産の希少な宝石が使われているオーダーメイドの逸品だ。そしてそれらは、グラーシュ公爵家から盗難被害の届が出されている。我々はこれから国王陛下による裁定のために王城に向かわねばならん」
ヘイデン伯爵家の兄妹は、血の気も生気も消え失せた顔で言葉もなく呆然と互いを見つめていた。
ヘイデン伯爵はゆっくりと近づき、ミーガンの身に着けている制服とヘアピンを確認すると、今まで見たこともない程の険しい顔で二人を見据えた。
そんな父の態度を訝しみながらもミーガンが笑顔で話しかけようとするのを遮って、ヘイデン伯爵は後ろに控える護衛騎士たちに命じた。
「この二人を言った通りに拘束せよ」
自家の護衛たちに後ろ手に拘束された二人は驚愕し、声を上げようとするも猿轡をかまされて頭からすっぽりと袋に入れられ、護衛騎士たちに担がれてとある場所にひっそりと止めてあった家紋の無い馬車に押し込められた。
馬車のカーテンを全て閉めると袋から出されて猿轡を外されたが拘束は解かれなかった。
「どういうことですか父上! なぜ僕たちが拘束などされるのですか!これではまるで罪人のような扱いではないですか!」
猿轡を外されるや否やサイラスが大声で父に詰め寄った。
それを見て嫡男へ失望を含んだ視線を向けたヘイデン伯爵が、噛んで含めるようにゆっくりと話し始めた。
「これからお前たちの処遇と社交界での評価を説明する。最期になるだろうからしっかりと聞きなさい」
最期という言葉にびくりと身を竦ませたミーガンが涙を浮かべて震える声を上げた。
「最期だなんて、一体どういうことですかお父様。私たちは何も悪い事はしていないのに、どうしてこんな仕打ちを受けなければいけないのですか」
顔を見合わせて口々に自分たちは悪くないと言い募る兄妹の姿に、ヘイデン伯爵はこめかみを押さえて首を振りながら全てを諦めたように話を再開した。
「教育は無駄だったようだ。多少なりとも自覚があればまだ救いようもあったものを、自覚が無いなら仕方がない。これから私の話に口を挟むことは許さない。問われた場合だけ簡潔に答えるように。騒ぐようなら猿轡を使う」
射貫くような視線を向けられた二人は父の威圧に言葉を出せず、無言で頷いた。
「先ずサイラス、お前は学園入学以来この一年、ラシェル殿下が婚約者のグラーシュ公女を無視し続けている事を知りながらその状況を放置したばかりか、他の側近と共に公の場で貶めるなど、準王族たるグラーシュ公女に対して立場を弁えない不敬な態度を取りつづけた。本来なら主の間違った行為はお諫めし、お互いに誤解やすれ違いがあるならその仲立ちをするべき立場でありながらその務めを放棄して、あろうことか主の威光を笠に着て不遜な態度を増長させるなど側近として言語道断、決して許されざる行動だ。国王王妃両陛下ともに王子の側近にただ機嫌を取るだけの無能は必要ないとご判断を下された。これはお前だけではなく、エリオット公爵家ルイ殿、フラン侯爵家ジルベール殿、ミラー伯爵家クレイグ殿も同様の処分だ。四名は本日を以てラシェル王子の側近を解任された」
側近を解任されたことと、何よりも父の口から出た、『無能』と判断されたという衝撃で真っ青になったサイラスは言葉を発することが出来なかった。
「学園の成績だけを恃みに己を有能だとうぬぼれてでもいたか? ご意向に沿うとは我が儘を何でも聞き入れる事ではない。主が嫌っていると言う理由だけでその相手を知ろうともせずに一方的に敵意を向け、あろう事か身の程知らずにも一緒になって貶めては悦に入るなど、人としての品位を著しく欠く行為だ。そのような者が近くにいては殿下にとっても、何より国にとって害にしかならん」
畳みかけられ力なく項垂れるサイラスの様子に軽くため息を漏らしたヘイデン伯爵は、ミーガンに向き直った。
「ミーガン、お前の学園での振る舞いは既に社交界にも広く伝わっている。ラシェル王太子殿下に取り入り、婚約者のグラーシュ公女に毎日のように嫌がらせと危害を加える身の程知らずな伯爵家の性悪な小娘だとな。最近では『あばずれ』とも呼ばれているぞ」
驚愕に目を瞠り、ミーガンは涙を浮かべて叫んだ
「私は性悪でも、ましてや『あばずれ』などではありません! 一体誰がそんなことを言ったのですか! 不敬だわ! ラシェ様にお伝えしてその者を罰してもらいます!」
父から発せられた貴族令嬢にとっては致命的な言葉に、サイラスも声を上げた。
「ヘイデン伯爵家の令嬢に対して『あばずれ』などとはとても看過できる言葉ではありません! すぐに言ったものを特定して抗議文を送るべきです!」
捲し立てるサイラスとミーガンを威圧のある視線で制して再び告げた。
「もう一度だけ言う。騒ぐなら猿轡を使う」
その言葉に涙を流しながら縋るような視線を父に送るミーガンだったが、ヘイデン伯爵は容赦なく言葉を続ける。
「公の場所である学園のランチルームで、婚約者のグラーシュ公女を差し置いてラシェル殿下を殊更に愛称で呼ぶことだけでも周囲は嫌がらせと捉える。加えて毎日のようにわざとらしく躓いたふりをして故意にトレーをひっくり返してはグラーシュ公女の制服を汚して席を立たせ、謝罪すらせずに婚約者の場所であるその席に恥ずかしげもなく座る。知らない様だから教えておく。社交界ではこういう行為をする娘を『性悪』と呼ぶのだ。そして婚約者を追い出し、実兄を含むとはいえ王子と令息四人を侍らせて談笑するなどと言う貴族令嬢として恥ずべき姿を公の場で晒しているのだ。『あばずれ』と呼ばれたことを抗議したところで、この状況を持ち出されたらどう反論するのだ」
この一年、自分たちの行動に対して何も言わなかった父の苦言に、兄妹は納得の行かない様子で首を横に振っている。
「ラシェル殿下の威光を笠に着て勘違いをしているのはお前もだ、ミーガン。婚約者でもない一介の伯爵令嬢が陰口を叩かれたからと言ってラシェル王子に一体何の関係がある? 一体何の理由があって自分の言いなりにラシェル王子が動くと思っている? しかもその陰口はお前自身の行動がもたらした自業自得の結果だというのに一体何の罪で誰を罰するというのだ。何よりも、『不敬』を口にするなど、お前はまさか王族になったつもりでいるのか? そもそも自身よりも身分が上の相手にそのような言葉を向ける貴族はいないのだ。騒ぎ立てて逆に『不敬』を問われる事になるのは言い掛かりをつけたお前の方だ」
ヘイデン伯爵は、今度はサイラスに目を向けて蔑んだように続けた。
「これはサイラス、お前の行動が原因でもあるのだぞ。ミーガンの目に余る行動を兄であるにも拘らず窘めることもせず助長さえしているお前は、妹にラシェル王子を骨抜きにさせて自身の地位を上げるつもりだと噂されている。まるで女衒のようだとな。同時にグラーシュ公爵家を敵に回す考えの浅い愚か者と嘲笑われてもいるぞ」
馬車の中に漂う重苦しい空気を打ち払うように、外から物を壊すような大きな音が響いた。一瞬憐れむような視線を二人に向けたヘイデン伯爵は、その音がする方向の窓のカーテンを開けた。馬車が止められていた場所は、二人が先ほどまでラシェル殿下たちと共に過ごしていたアンジェリカ嬢の控室のテラスの前だった。
テラス窓が全開にされ、馬車の窓からは室内が全て見通せる。
馬車から降りてテラスに立った父のヘイデン伯爵が、室内に向かって膝をつき深々と頭を下げた。それを見た馬車の中の二人も慌てて頭を下げた。
先ほどの音はテラスの対面にある部屋の入り口の扉が打ち壊された音だったようだ。扉のなくなったその入り口に姿を現したグラーシュ公爵はヘイデン伯爵の礼を受け軽く頷くと、傍らの侍従に指示を出してヘイデン伯爵を立たせた。
ヘイデン伯爵が馬車に戻ると部屋の撤去が始まり、父は窓から無言でその様子を見つめている。それを見てサイラスが恐る恐る父に問いかけた。
「王族専用エリアの部屋を勝手に撤去するなど、たとえグラーシュ公爵でも許されることでは…… 」
その問いに被せるようにヘイデン伯爵は窓から目を逸らさずに答えた。
「あの部屋はグラーシュ公爵家が学園に賃料を払って使用権を得ている。グラーシュ公女の安全の確保のために取り換えた扉や床や壁、内装、家具、調度から服を止めるためのピン一本に至るまで全てがグラーシュ公爵家の財産だ。当然その警備や管理のための人員もグラーシュ公爵家から派遣されている、いわばグラーシュ公爵家の自治エリアだ。特に家具は愛娘の為にグラーシュ公爵自ら職人を選び、厳選した材料でこだわり抜いて作らせた最高級の逸品揃いだ。まさか知らなかったなどとは思いもしなかった…… いや、知らなかったからこそできた事なのか……」
そう呟くとヘイデン伯爵は視線を窓からサイラスに移し、ひたと見つめて改めて問うた。
「お前は『ラシェル殿下が嫌う婚約者』という事以外に、グラーシュ公女の事をどれだけ知っている? 王太子の婚約者になった理由は? 御母堂の出自は? 側近の令嬢たちの家との繋がりは?」
父からの問いに目を泳がせ、はくはくと口を開け閉めするだけで何も答えられない姿に大きなため息を漏らし、ひらひらと手を振って『もうよい』と呟くと視線を窓に戻した。それ以降は誰も言葉を発することなく親子は窓から部屋が撤去されるのをただ見ていた。
この部屋がグラーシュ公爵家の占有であり、そこにあった全てが娘のアンジェリカ嬢の為にグラーシュ公爵自ら誂えた特別な逸品だと知った今、闖入者である自分たちの傍若無人な振る舞いは、余すところなく公爵家の使用人たちから報告されていると思い至り、拘束されている状況が漸く腑に落ちた。
部屋の解体が終り、家具が持ち出され、床板や壁紙、美しく施されていた天井の装飾までもが全て剥がされてただの空間となった場所に、鏡台とライティンビューローだけが残された。この二つの家具はミーガンが特に気に入り、部屋にいる間中ずっと使っていたもので、ラシェル王子からそんなに気に入ったなら今後はこの部屋で鏡台を好きに使って良いと言われ、ライティングビューローに至ってはヘイデン伯爵家に運ばせると言われていたものだ。
部屋の中央に置かれた家具の前へグラーシュ公爵がゆったりとした足取りでやって来た。
家具の前で立ち止まると侍従から渡された大きな斧をゆっくりと振り上げた次の瞬間、憤怒の表情を浮かべて家具に向かって力いっぱい振り下ろした。
それは何度も何度も、二つの家具が木端になるまで繰り返された。
漸く動きを止めて斧を侍従に渡すと、馬車の窓からその光景を目にして真っ青になったサイラスとミーガンをぞっとするほど冷たい視線で一瞥して、部屋だった場所から去って行った。
グラーシュ公爵の怒りを目の当たりにし、サイラスとミーガンの心臓は今まで聞いたことのない音を立てている。
震えあがる二人に、ヘイデン伯爵がさらに告げる。
「ミーガン、お前の着ている制服はグラーシュ公爵家の紋章が入った特別製だ。そして髪に着けているヘアピンはグラーシュ公爵領特産の希少な宝石が使われているオーダーメイドの逸品だ。そしてそれらは、グラーシュ公爵家から盗難被害の届が出されている。我々はこれから国王陛下による裁定のために王城に向かわねばならん」
ヘイデン伯爵家の兄妹は、血の気も生気も消え失せた顔で言葉もなく呆然と互いを見つめていた。



