玄関の方から鍵を開ける音がした。
 作業をしている手を止めて、急いで玄関の方へ行くと靴を脱いでいる(あきら)がいた。
 
「ただいま」
「おかえりなさい! 今日もお疲れ様〜」
「ありがと。これ、お土産」
「え、嬉しい! ありがとう」

 晃から受け取ったのはなんとも可愛らしい箱で、おそらく洋菓子が入っている。
 中身を聞けばドーナツが入っているとのこと。それなら涼しいところに置いておけばいいかとキッチンに持っていくことにした。その間に晃は手洗いとうがいを済ませ、ソファの方へ向かった。

「疲れた……」

 ぐったりとしながら背もたれに背中を預け、天井を見上げている。
 今日は番組の収録と雑誌のインタビューに撮影、レッスンがあった日らしく、いくら鍛えていても疲れてしまうだろう。
 カフェインが入っていないアイスティーを持っていけば「さんきゅ」と言いながら一気に飲み干した。

「相当お疲れだね」
「まあね……でも、もう少しすればオフもらえるらしいから頑張るよ」
「そうなんだ、よかった」

 オフがあるのはよかった。その日は朝からゆっくりと寝かせて、のんびりとした一日を過ごさせよう。
 一緒に映画を観るのだっていいし、お昼寝をしたっていい。毎日頑張っている晃のために好きなものをたくさん作りたい。

「どっか行きたいとこある?」
「やだ。その日は絶対に家から出さない」
「え、それって」
「違うよ。晃には一日ゆっくりしてもらいます」

 何を期待したのか、一瞬嬉しそうに起き上がったが私の否定を聞いてしょんぼりとしながらまたソファに沈んでいった。
 そんなことをするのだって体力を使うというのに、何を考えているのだろうか。自分の職業を思い出してみてほしい。アイドルなんだから体が資本であることを自覚してほしい。

「その代わり好きなもの作ってあげるから。何がいい?」
「お前」
「却下」

 キメ顔で言ったら許されるとでも思っているのだろうか。
 高校生の時から変わらないお調子者っぷりは成人しても変わることはない。そこが晃の魅力でもあるのだろうけど。

「ほら、休んでないで早くお風呂入ってきなよ。その間にご飯の用意しておくから」
「わかった。今日のご飯何?」
「疲れてるかなと思ってお肉にしたよ」
「やった。急いで入ってくる」

 夕飯のメニューを聞いて嬉しそうにしながらお風呂へと向かった晃を見届けてからキッチンへと向かう。
 下ごしらえは終わっているので、晃がお風呂から上がる頃には出来上がる予定だ。口には出していなかったけど、今日もハードスケジュールで疲れているだろうし、お腹も空いているはず。
 会食や打ち上げ、仕事の付き合いがあるから外で食べることも多い中で私のご飯がいいと言ってくれるから嬉しくなってしまう。私が作る料理なんて比べたら敵わないだろうに、毎回美味しいと言いながらたくさん食べてくれる。そういうところが昔からずっと好き。
 付き合ってもう長いけれど、いまだに好きという気持ちが続いているのだからすごいと思う。彼が芸能事務所のオーディションに受かった時、一緒に喜んだのはもう何年前になるのだろうか。
 合格するなんてすごいと思ったし、応援したい気持ちもあった。でも、彼が少しづつ人気になって街中でも声をかけられるほどになった時に別れを告げたことがあった。私では晃に相応しくない。一般人が相手だなんて不釣り合いだし、何よりも恋人という存在がいることで晃の活動の邪魔になりたくなかった。

『もう、俺のことは嫌い?』
『……』
『俺は、好きだよ。ここまで頑張って来られたのも詩織のおかげだし、これからもずっと隣で応援してほしい』
『でも、迷惑になっちゃうし』
『迷惑どころか、俺は詩織に助けられてるよ。ここで言うつもりはなかったけど、俺はこれからもずっと詩織と一緒にいたいし、いずれは結婚をしたいとも考えてる。この仕事を辞めないと結婚ができないって言われても、アイドルをやめることはできないと思う……これからも芸能界にはいるだろうし、詩織に迷惑をかけるのはむしろ俺の方。すごいわがままだってわかっているけど、俺は絶対に別れたくない。嫌いになったのなら仕方ないけど、そうでないならこれからもずっと俺の隣にいてください』

 告白された時と同じ目だった。こんなにも真っ直ぐと愛を伝えてくれる人なんて、いるのだろうか。
 差し出された手を握るのに少しだけ時間がかかってしまったけど、そこまで言われて断ることもできなかった。
 手を握った瞬間の晃の表情は今でも思い出すことができる。安堵し、幸せそうに笑ったあの時の顔はこの先も忘れることはないだろう。
 そんなことを思い出しているうちにお風呂から上がってきたのか、気づけば晃が私のそばに立っていた。

「めっちゃ美味しそう」
「びっくりした……もうすぐできるよ」

 そう伝えると、食器を出したりお膳立てをしてくれた。優しいな、と思いながら「ありがとう」と伝える。
 料理が出来上がり、お皿に盛り付けていく。

「俺が運ぶね」
「ありがとう。ご飯の量はどうする?」
「今日は多めにする。詩織の料理の前で我慢できるわけない」

 キリッとした顔で言うものだから、思わずクスッと笑ってしまった。
 お茶碗に気持ち多めに盛り、自分の分も持ってテーブルに行く。飲み物も用意されていて、手伝ってくれたことに感謝する。

「お待たせしました」
「全然。めっちゃいい匂い、いただきます!」
「いただきます」

 両手を合わせてから食べ始める。
 晃の食べっぷりは良くて、幸せそうな顔で食べ進めている。その様子を眺めていると、不思議そうな顔をされてしまった。

「どうした?」
「美味しそうに食べてくれるなあと思って」
「だってめっちゃ美味しいもん。本当に、いつもありがとう」
「こちらこそ。いつもたくさん食べてくれてありがとう」

 お互いに笑い合って、また食べ進める。
 晃は撮影で家を何日も留守にする時もあれば、遅い時間に帰ってきて早い時間に出ていってしまう時も多い。そのせいで家に帰ってきていても会えない。
 なので、一緒に暮らしていても会える時間は少ない。だから、こうして一緒の時間を過ごせる時は言葉にして言い合うのは二人の中での決まり事になっていた。

「めっちゃ美味しかった! ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした〜。ドーナツどうする?」
「もう少ししたら食べる」
「はーい」

 食器を下げ、面倒くさくなる前に洗い物を済ませる。
 そろそろ洗剤が無くなりそうだな、って考えていると晃がやってきた。

「どうしたの?」

 何か必要なものでもあるのかな、と手をすすいでタオルで拭いていると後ろから抱きしめられてしまった。
 突然なことに驚いていると、肩あたりが重くなった。ぐりぐりと擦り、髪の毛が首を掠めてくすぐったい。
 好きにさせておこう、と思って洗い物を再開しようとするとその手を取られてしまった。

「少しゆっくりできるんだからさ〜……ちょっとは俺にかまってよ」

 上目遣いで寂しそうな声色と顔で言われてしまえば断れるわけもなく。
 甘えてくれる姿が可愛くて、少し意地悪をしたくもなったがそれでは可哀想だろう。洗い物はあとでやればいいか、と諦めて体重を少しだけ晃に預けた。
 すると、掴まれた手をぎゅっと握られ、お腹あたりに回っていた手に力が入った。

「俺、まじで頑張ってる」
「いつも本当にすごいよ」
「あー、幸せ……」

 力強く抱きしめられ、晃の体温に安心する。
 私だって寂しい。下手したら晃の元気な姿はSNSの投稿を通してでしか見られないこともある。だからこそ、こういう時間を過ごせるのはすごく嬉しい。
 いつもファンのために頑張ってる晃は頑張りすぎているところもあると思う。でも、そんな彼を応援して支えていきたい。

「晃」
「ん?」
「私も、すごく幸せ。大好きだよ」

 体を回転させて、背伸びをして晃に軽くキスをすれば「ずるくない!?」なんて言われてしまった。