あれから、晃哉とのやり取りは一度も途切れることなく続いていた。
短い言葉でも、ふざけたスタンプでも、その向こうに彼の存在が確かにあって――
それだけで一日の終わりが少し柔らかくなる。
仕事を終え、澄香と合流して、金曜日のsugarへ向かう前にふたりで軽く食事をしていた。
「この前来てくれてありがとうねぇ! 大輔ともいい感じでさ、本当に感謝だよぉ」
澄香の弾む声に、唯の表情も自然と緩む。
「いい感じなんだ。よかったじゃん。後ろから見てても、なんか…ふたり、空気が合ってる感じしたよ?」
「でしょ? ってかさ、唯だって! いつの間に晃哉さんと? なんか先に帰ってるし〜笑」
「え?」
箸を止め、唯は思わずぽかんとした顔を向ける。
「ああ、こうちゃんは保護者みたいな? 私アホだから心配なんだと思うよ」
本気でそう言う唯に、澄香は大げさなくらい目を見開いた。
「はぁ?! いい感じでしょどう見ても! 晃哉さん、唯のこと絶対好きだよ?
誰が見ても、あれは……好きの顔だよ?」
唯は驚きで瞬きを繰り返す。
「えー?! ないない。だってこうちゃん大人だし、お父さんみたいだし。仲はいいと思うけど…全然わかんないよ」
「ほんと…唯らしいわ。鈍感にもほどがあるの。晃哉さんかわいそ〜」
「うーん……でも、仲良しなのは嬉しいな」
その無自覚な笑顔は、澄香を呆れさせると同時に、少しだけ笑わせた。
唯が気づかない優しさや、無邪気さが時々とんでもなく罪深い――澄香はそんなことを思った。
気づけば時計は21時を回っている。
「そろそろsugar行こ? 大輔、もう来てると思う」
ふたりは店を出て、夜の街へ歩き出した。
⸻
◆
sugarの扉を開くと、いつもの仲間たちが手を挙げて迎えてくれた。
薄暗い照明がグラスを鈍く照らし、低く流れる音が胸の奥を揺らす。
カウンターに腰を下ろすと、大輔が自然に澄香の腰を引き寄せ、耳元で軽く囁く。
その距離感は隠そうともしていなくて、見ているだけでわかる“恋をしている人の温度”だった。
人の恋の空気はこんなにもわかりやすいのに。
自分のことになると、急にぼんやりする。
唯はそんなことを思いながら、グラスの中で揺れる氷越しに、まだ掴めない自分の気持ちを眺めていた。
ふいに、横からグラスが差し出される。
「飲んでる?」
差し出されたグラスを受け取り、香りを確かめる。
「ありがと! これ美味しい。初めて飲んだ!」
「カシスと白ワイン。ねぇ、大輔の友達? 連絡先教えてよ」
軽いノリの声に、唯は戸惑いながらも携帯を取り出そうとした――その瞬間。
「唯。」
低く、抑えた声が頭上から降ってきた。
振り向くと、晃哉が無言のまま唯の腕を掴み、その目はまるで
『その必要ないでしょ』
と言いたげなほど、まっすぐだった。
「あ! こうちゃん。今日、仕事早く終わったの?」
来れないかも、と言っていたはずの彼がそこにいて、その意外さよりも嬉しさが先に込み上げる。
「仕事早く終わったんだ。……唯、煙草吸いたい」
それだけ言い、自然にデッキへ導かれる。
人混みを抜け、夜風がふわりと肩を撫でる。
火をつけた晃哉は、ふっと一息ついたあと、視線を上げて唯を捉える。
「……肩、出てる。風邪引くよ」
その声音は、叱るでも呆れるでもなく、ただ心配そのものだった。
「可愛い?! これ新しい服なんだよ。一目惚れして買っちゃった!」
唯がくるりと一周して見せると、晃哉はほんの一拍、言葉を飲み込んだように見えた。
そして、少しだけ目を細め、口元で笑う。
「……はいはい。可愛い、可愛い。」
「ひどっ!」
むくれる唯の手元にあるグラスを晃哉がすっと奪い、そのまま飲み干す。
「これ、強い酒。唯にはまだ早い。」
「またそうやって子供扱いする〜」
拗ねる声にも、晃哉は優しく目を細めるだけ。
その目には、言葉よりも強い感情が沈んでいた。
「仕方ないでしょ。八つ年下なんだから。
……今日はDJやらない。一緒に音、楽しも。……大人しくここにいて。」
言いながら、ふわりと唯の頭に手を乗せる。
ただ撫でるだけじゃなく、触れたあとも離したがらないような、そんな温度を持った手。
唯はまだ知らない。
その仕草一つひとつが、どれだけ彼を苦しめているかを。
静かな夜、音に溶けるようにふたりの距離はまた少し近づいていった。
⸻
ねぇ、こうちゃん。
あなたといるとき、私は本当に子供みたいに喜んでたね。
子供扱いされたくないと思いながら、
でも――そうされると、なんでか嬉しくて、安心して。
矛盾してる自分に気づくたび、
私はまだあなたの隣に立つには早いのかな、なんて思ってた。
ただ、こうして会える日々が当たり前だと信じてた。
ねぇ、こうちゃん。
もし、私がもう少しだけ大人だったら……
あなたが抱えた苦しさも、迷いも、
気づいてあげられたのかな。
あなたを傷つけるような無自覚さで、
あなたの優しさに寄りかかってたのは、私の方だったね。

