「ただ…きっと私、居場所が欲しかっただけなんだ。」

あの頃の私は、なにかをずっと求めていた。
優しく抱きしめてくれるものがあれば、それだけで救われる気がしていた。
けれど手を伸ばしても、本当に触れたいものほど遠ざかっていく。

愛してほしい、気づいてほしいと子供みたいに嘆き、知らないうちに誰かを傷付けて。
居場所が欲しいと、そんな願いを抱えたまま、矛盾だらけの自分に嫌気がさしていた。

そんなときだった。
こうちゃんが、唯の世界に現れたのは。

あの頃の私は、自分を保つのに精一杯だった。

ねぇ、こうちゃん。
あの時の約束を覚えてる?
雨の日の、あの小さな約束を。

運命という歯車が狂うか回り続けるか…
ただ、それだけのこと。
恋は、ほんとうに突然で。
まるで窓から吹き込む風みたいに、勝手に心の中へ入り込んでくる。

小さな橋の向こう側。
川沿いの細い道をまっすぐ進むと、暗闇の中に浮かぶ青い屋根。
重い木の扉を開くと、CHANDANの香りが充満した薄暗い空間が広がっている。
大音量で流れるHIPHOP。
男と女は肩を寄せ合い、今だけの恋人を演じる。
揺れる光が欲望をゆっくりと掻き立てる。。

ここは、全てを忘れさせてくれる魔法の箱。
Club Sugar

フロアから少し離れた場所で唯はカクテルを飲み干す。
DJブースの向こう側は、澄んだ川が流れていて外に出れるようにデッキになっている。
煙草に火をつけ、空を見上げた。
煙が夜空に溶けていく。
風が唯の長い髪を優しく撫でた。
この街は、夏でも夜は少し肌寒い。

Sugar に初めて訪れたのは半年前。
高校を卒業したばかりの春休みだった。
きっかけは、澄香からの1本の着信。
どこへ行くのか何も聞かされていなかった唯は、sugarに着いて言葉を失った。
外まで聞こえる音楽。
独特の異世界めいた雰囲気…
澄香の後ろを小さくなりながら歩いて、扉の向こうの世界に足を踏み入れた。
きらきら輝く音の粒、体そのものが音にかわってしまったみたいで、不思議と嫌なことも吹き飛んだ。

ねぇ、こうちゃん。
私達、どうして出逢ってしまったんだろう。
でもね、あなたと出逢えたこと、後悔はしてないんだ…
私は今も…
静かな雨の夜ほど、あなたの事を思い出す。

ねぇ、こうちゃん。
あの時の約束をあなたはまだ覚えてる?