「私を救けなさい。」
 そのひと言で、なぜ私がこの世界に生まれ落ちたのかが分かった気がした。


 かすかな頭の痛みと共に脳が覚醒する。アラームが鳴った覚えはなかった。
 ゆっくりと目を開けると、そこにはクラシカルなメイド服を着た女性。視界がぼんやりとしていてよくわからないけれど、恐らく20代半ばといったところか。
「...は?」
 少なくとも、私の知り合いにコスプレが趣味の人はいない。
 脳の理解が追いつかず、間抜けな声を上げてしまった。そこで新たな異変に気付いた。声が高いのだ。私の声は平均より低いと有名で、よく友人にからかわれたものだ。それが、高くなっている。
 何事か、全くもって理解できない。まだ起きたばかりなせいなのか、それとも一生理解することはできない奇々怪々な謎のひとつなのか。
「お嬢様! お目覚めになられたのですね!」
 目の前の女性が感極まった声を上げたことで我に帰った。それにしても、お嬢様、とは誰のことなのだろうか。
「お嬢様、起き上がれますか? 今、医者を呼んで参ります」
 女性の手を借りて、恐る恐る体を起こした。女性が出て行った隙に自分の姿を見ようと鏡を探す。
 が、見当たらない。それならば、ととりあえず髪に触れてみた。明らかに自分のものとは違う淡い金の髪は緩く波うっていた。
 そして髪に触れる手も。私は18歳なので、ある程度手は大きいはずだ。しかし視界に映るわたしの手は子供のそれのように小さく、もちもちと柔らかかった。
 わたしの頭は混乱をきわめていた。目を覚ましたら知らない天井に知らない女性。喚き散らさないだけいいのかもしれない。
 うんうんと唸っていると、コンコンと扉を叩く音がした。
「入るわよ。」
 甲高く、しかし芯の通った声。女の子だろうか。
 ガチャリと扉が開き現れたのは、ブロンドの長い髪がよく映える、まさに美少女だった。
「目が覚めたのね。それなら私の質問に答えてもらうわ。」
「あの…」
 少女は迷いなく私が横たわっていたベッドに歩み寄ると、側にあった椅子に腰掛けた。
「あなたは、誰なの。」
 その問いかけは、わたしの正体を暴くためのものだ。
 正直に答えるべきなのか分からない。
 口ごもっていると、少女は微笑を浮かべ、
「嘘をついたら首を刎ねるわ。」
 そうのたまった。
 ごくりと唾を飲み込む。恐らくわたしが嘘をついたら、本当に死ぬんだろう。
「悠里、といいます。あなたは?」
 ここにきて初めてのまともな発声。それは目の前の少女とほぼ同じの声だった。
「私はマリア・ロズニア。光栄あるロズニア公爵家の長女よ。そしてあなたは、私の双子の妹、ということになっているわ。」
 鏡をご覧なさい、と少女…マリアが渡してくれた手鏡を覗いた。
 そこに映っていたのは、マリアそっくりの少女だった。ぱっちりとした大きなエメラルドの瞳に、ちゅんと上向いたピンク色の唇。まるでフランス人形のように整った完璧な顔。
 マリアの双子の妹というのは嘘ではなさそうだ。
 だが、マリアの妹なら何故わたしは何者かを問われたのだろう。
「私の人生において、双子の妹は存在しなかった。それなのに、3日前急にあなたが現れたのよ。私と瓜二つの容姿で。熱に浮かされていたそうね。侍女に聞いたわ。」
 "マリアの双子の妹"は元々はこの世界にいなかったらしい。つまり、異世界転生は異世界転生でも、誰か元からいた人物に乗り移る憑依型ではなく、本来の意味で使われる転生だということだ。
「どういうことなんですか。」
「あなたは元々この世界に存在していないの。けれど、ある瞬間からあなたは現れ、元からいた存在になった。私に妹がいないという事実は一瞬で書き代わり、この世界の全員に浸透した。私だけが、あなたを本当の意味で知ることになるのよ。」
 子供とは到底思えない語彙。こんな子供がどうして?
 説明されればされるほど、わたしは混乱していった。
「あの、なんでマリアさんは気づけたんですか?」
 常識が改変されたという事実に。マリアの話を聞く限り、全員が意識を改変されているはずだ。それなのに、なぜ。
「私は、逆行を繰り返しているの。18歳のあの日、婚約者に婚約破棄され、いわれのない罪で投獄され無様に死に絶えてから、ずっと。」
 マリアの顔は美しい顔が台無しなほど歪んでしまっていた。その目には涙を浮かべながらマリアは続ける。
「8回よ、8回。どうにか破滅を避けようと色んなことをしてきた。それでも無理なの。何をしても私は破滅する。そして9回目の今回、異変が起きたのよ。あなたが現れた。過去8回の人生であなたは一度も現れなかったのに。神の祝福かしらね。」
 少女の口から紡がれたのは、あまりに信じ難い言葉だった。彼女の話が本当なら、8回、8回彼女は死んだのだ。
 救けたいと思った。ここがどこかは知らないし、何故わたしがここにいるかなんて知らないけれど。この可哀想な少女を救けたいと思った。
「私を救けなさい、ユーリ。私を破滅させず、19歳の誕生日を迎える手助けをしなさい。」
 こぼれ落ちそうな涙を拭ってマリアは言った。決して折れることがないであろう芯の通った声。決して逸らされることはない、まっすぐで気丈な瞳。
 わたしの運命を変えるのはマリアなのだと、そう直感した瞬間だった。
「わたしが、マリアさんを救けます。19歳も、その先も、マリアさんが生きていて良かったと思えるように、わたし、頑張ります。」
 わたしはマリアの煌めくふたつのエメラルドを見つめかえした。