校庭の雪が溶けきらない朝。
淡い光が、どこか甘い予感をまとって美羽の肩を照らしていた。

けれど――この日、黒薔薇学園に集まる“甘さ”はチョコレートのものだけではなかった。



美羽は下駄箱の前でスマホを耳に当てていた。

「椿くん?私、今下駄箱のところにいるよ。上靴ないと入れないじゃん?
……てか、今日って学校あるよね?誰もいないんだけど……?」

電話の向こうで、椿の声が一気に荒れる。

『は!?美羽、おい!上靴のままでいいから、そこから離れろ!!いいか、今すぐ裏ルートに――』

「え?ちょっと、椿くん慌てすぎじゃ……みんなはどこ――」

その瞬間。
背中に、ヒタ……ヒタ……と複数の足音。

美羽は恐る恐る振り返る。

「あ、雨宮さんっ!!僕のチョコ、受け取ってください!!」

「美羽さん、ずっと、好きでした!!」

「雨宮さん!!俺の本命チョコを!!」

「美羽さま……!どうか僕たちを!虐げてください!!」

なぜか最終的にひとりだけ願望が危険な方向に行っていた。

美羽は、血の気が引いていく。

(……え?なにこれ?どゆこと?何かの勧誘?いや、てかみんなチョコ持ってるんだけど!?)

スマホからは椿の怒声が響く。

『美羽!?返事しろ、美羽!!』

「し、してるけど!!てか、皆怖いんだけどぉぉぉお!!」

美羽は紙袋を抱え、全力で走り出した。

「ご、ごめんなさぁい!!私急いでるんですぅぅ!!」

追いかける男子生徒たちの足音。
鳴り響く「美羽さまぁぁ!!!」の叫び。

雪解けの地面に、靴音と悲鳴が交錯する。



同時刻、生徒会室前。

「ちっ、美羽のやつ!」
といってスマホの電話を切り、急いで動きだす椿を
「ちょっと!椿!!そっちはだめだって!!」と悠真は必死に止めるが、「うるせぇ!」と椿は扉の前に行く。

そして、椿が生徒会室の扉を開け放った刹那――

「「「きゃぁぁぁああ!!!椿様~~~!!!」」」

凄まじい勢いで女子生徒の波が押し寄せた。

椿「……は?」

一拍の静寂。

次の瞬間、津波のようにチョコと悲鳴に襲われた。

「椿様ぁぁ!!受け取ってください!!」

「私の本命チョコですぅぅ!!」

椿は顔をしかめ「ちっ……やられた!」と焦っていた。

後方では悠真が悲鳴。

「だから開けちゃダメって言ったじゃん椿ぃぃ!!」

遼は押し寄せる女子に揉まれながら叫ぶ。

「ミッションの意味ねぇじゃん!!誰だよ接着剤塗ったやつ!!」

玲央は冷静に流されつつ眼鏡がズレていた。

「学園の女子人口は把握していたが……これは誤算だな……っ」

「学園の女子、恐るべしです…」

碧はテーブル下に隠れたが、すぐに見つかった。

「みーつけた♡碧さまぁぁぁ!」

「ひ、ひええええ!!近寄らないでくださいぃぃ!!」

もはや軽いホラーである。

悠真は壁に押しつけられながら叫んだ。

「椿っ!!ここは僕達が押さえるから!!行ってぇぇ!!」

椿は低く笑った。

「悠真、すまねぇ!後で焼き肉奢る!!」

「ほんとに!?絶対だかんね!!うわぁ押されるぅ!!」

椿は女子の波をすり抜け、廊下に飛び出した。

「あ!!椿くんが逃げたわよーー!!」

「追えーーー!!」

女子生徒の熱狂が地響きのように続く。

椿は廊下を全速力で駆けながら叫んだ。

「俺は美羽からしか貰わねぇよ!!!」

「「「きゃー!!椿様ぁぁ!!その一途さが最高っ!!!」」」

「いや、なんで好感度が上がってんだよっ……!」

もはや逃走劇である。



その頃、校舎裏の階段。

美羽は男子を数名ほど軽く気絶させ、息を切らして走り続けていた。

「ちょっと……なんなのこれ!?こんなバレンタイン……聞いてないんだけど!!」

心臓はバクバク、手は汗ばんでいる。

「もー!!椿くーーん!!助けてぇええ!!」

雪解けの光を反射して、彼女の影だけが必死に伸びていく。

その声は、廊下の向こうで走る“黒薔薇の王”にも確かに届いていた。

椿は息を切らしながら呟いた。

「……待ってろよ、美羽。」

こうして――
黒薔薇学園史上、最も混沌としたバレンタインは
まだ始まったばかりだった。