1ヶ月だけ、君の隣で。

 文化祭まで、あと十日。
 A組の教室は、放課後になると毎日が戦場みたいだった。

 背景布、装飾、小道具。
 机の上には色とりどりの材料が積み上がっている。


 「清水さん、そこ違うんだけど」

 「……もうちょっと手早くできない?」


 最近、そんな声が増えた気がする。

 (……気のせい、だよね)

 奏はそう言い聞かせながら、ハサミを動かした。
 でも分かっている。
 理由はひとつしかない。

 ——柏見蓮。

 蓮が奏のそばにいるから。
 それだけで、空気が変わる。


 「奏、これ終わった?」


 蓮が自然に声をかける。
 それだけで、数人の女子がちらりとこちらを見る。
 奏は思わず一歩、距離を取った。


 「……うん。もうすぐ」


 蓮は一瞬、目を細めた。


 「なに。避けてる?」

 「ち、違うよ。たまたま」


 でも、それが“たまたま”じゃないことくらい、奏自身がいちばん分かっていた。

 ——あと何日?

 頭の中で、期限が数字になる。

 残り、十日。
 そして、仮恋人を初めて十日目。

 (……終わるんだよね。これ)

 この距離も、この時間も。
 “恋人のふり”は、終わりが決まっている。

 だからこそ——


 「柏見くん、こっち手伝って!」


 女子の声がかかった瞬間、奏はほっとしてしまった。


 「……蓮、行ってあげたら?」


 蓮はぴたりと動きを止める。


 「は?」

 「ほら……私、ひとりでも大丈夫だから」


 それは、奏なりの“優しさ”だった。
 でも蓮には、違って聞こえた。
 

 「……奏」


 低い声。
 呼ばれただけで、心臓が跳ねる。


 「なんで最近、急に離れようとすんの」

 「……だって」


 言えない。
 “期限があるから”なんて。
 蓮は一歩近づき、声を落とした。


 「周りの目? それとも——俺?」


 その問いに、奏は答えられなかった。
 沈黙が、肯定みたいで。
 蓮の表情が、少しだけ曇る。


 「……そっか」


 短くそう言って、蓮は女子の方へ向かった。
 教室に戻った賑やかな声が、やけに遠く感じた。



「最近さ、清水さん調子乗ってない?」

「柏見くんが優しいのいいことに……」


 背後から、ひそひそ声が聞こえる。
 胸の奥が、ぎゅっと縮む。

(……怒らせないように。目立たないように)

 そうやって、奏はまた自分を小さくした。
 その様子を、蓮は見ていなかった——

 ……わけがない。

 片付けの途中、蓮は突然言った。


「このあと、少し時間ある?」

「え……?」

「話したい」


 有無を言わせない声だった。


 校舎裏。
 夕焼けが校舎の壁を赤く染めている。


「……奏」


 蓮は奏をまっすぐ見た。


「俺さ、期限とか、正直どうでもいいんだけど」


 心臓が、止まりそうになる。


「でも、奏は違うでしょ」


 奏は唇を噛んだ。


「……一か月だけ、って決めたでしょ」

「だから?」

「だから……終わる前提で、期待しちゃだめなの」


 声が震える。


「蓮が優しくするたび、勘違いしそうになる」


 沈黙。
 蓮はしばらく何も言わなかった。
 やがて、低く静かな声が落ちる。


「……勘違いさせてるつもり、ないよ」


 でも次の言葉は、はっきりしていた。


「本気だから」


 奏は顔を上げられなかった。

(そんなこと言わないで)

 言われたら、戻れなくなる。
 蓮は一歩近づく。


「期限があるから、離れる?
 じゃあさ……期限がなかったら、どうするの」


 答えられない。
 答えたら、この関係が壊れてしまいそうで。


「……今日は、ここまでにしよ」


 奏はそれだけ言って、背を向けた。
 蓮は追いかけなかった。
 ただ、小さく息を吐いた。


「……ほんと、ずるいな」


 誰に向けた言葉なのか、奏には分からなかった。