私は、教室のざわめきのど真ん中でため息をついた。

 ——今日も、だ。


「ねぇ柏見くんってさ、ああいう笑い方するんだね!」

「分かる、なんか癖になるよね〜!」

「席近い奏ちゃん羨まし〜!」


 そんな女子達の声が、わざとらしく聞こえる距離で飛んでくる。


 (いや、羨ましくないから……全然。)


 むしろ――困る。

 だって蓮(れん)は、人気者のくせに、昔から距離が近すぎる。
 私の気持ちを知らないで、なんでグイグイくるんだろう。

 そして今日も例外じゃなかった。

「奏〜、弁当一緒に食べよ?おれのここ置いとくね」

 当然みたいに奏の机へ腕を伸ばしてくる蓮。
 その腕が、昔と変わらず温かくて。
 だけど、周りの女子の視線が刺さりまくる。

「ねえ柏見くん、私も一緒にいい?」

 スクールカースト上位の女子が声をかける。

 私に向けられた視線は、完全に“蓮から離れろ”だ。

「じゃあ、私は今日屋上で…」
 
 けれど蓮は、私の言葉を遮り、にこっと笑ったまま、さらっと断った。

「んー、今日は奏と食べるな。また今度食べよ」

 その瞬間、女子達の心の声が聞こえそうだった。

 (なにそれ、あの子ばっかり)

 奏は慌てて蓮の腕を押し戻す。

「べ、別に1人でも食べれるし……! 
 蓮は他の子のとこ行ってよ!」

 強めに言ったつもりなのに、声は震えていた。
 蓮は少しだけ目を細める。
 昔から奏の変化には敏感だった。

 「……なんか嫌なこと言われた?」

 その声音が、低い。
 優しいけど、底に熱がある。


「言ってくれたらさ、全部俺がなんとかするよ」

「や、やめてよ……そういうの……」


 奏は咄嗟に視線をそらした。
 蓮は知らない。

 “守られる”ことが、奏にはいちばん怖いってこと。

 ——中学のとき。

 奏がクラスで孤立した原因も、“守られたせい”だったから。

 奏の沈黙に気づいたのか、蓮は少し困ったような表情をした。


 「奏、俺さ……ずっと思ってたんだけど」


 教室のざわめきが遠くなる。
 蓮の声だけが近くて、苦しい。


 「なんで俺から離れようとするの?」


 言葉が喉につかえる。

(だって……また、誰かを怒らせたら……)

 幼い日の記憶——

 “奏のせいで”と怒鳴られた昼休みの空気は、いまでも胸の奥に残っていた。
 蓮は、奏の目の奥を読んだように、そっと声を落とした。


「……俺が、そんな簡単に手放すわけないだろ」


 ほんの一瞬だけ、誰にも見せない色がのぞいた。


「昔みたいに、ちゃんと俺のそばにいてよ」


 胸が跳ねて、息が詰まった。

 なのにその直後、ホームルームのチャイムが鳴り、
 蓮はいつもの飄々とした笑顔で席へ戻っていった。

 残された奏は、顔が熱くてどうしたらいいか分からなかった。


(蓮……なんでそんな顔するの。)


 でも、分かってる。

 蓮は昔から、誰かの特別になりたいんだ。

 ——その優しさが、少し過保護で、時々重くて。 

 だけど、胸の奥があったかくなるのも事実で。
 奏は、揺れていた。

(私は、また守られるだけでいいの?)

 答えの出ないまま、チャイムの音だけが教室に溶けていった。