「今日は、ここまでにしておきましょう」
淡々とした声が、病室に響く。
「今すぐどうこうという段階ではありませんが、選択肢は残しておきましょう……。
今後のことは、また少しずつ決めていきましょうね」
主治医はそう言ってカルテを閉じた。
白衣の裾が揺れ、足音が遠ざかっていく。
扉が閉まった瞬間、病室の空気が重く沈んだ。息を吸うのが、少しだけ苦しい。
ベッドサイドの椅子に腰掛けた母さんは、医師が残していった検査結果から、しばらく目を離さなかった。
その手に、ギュッと力がこもっていた。
眉間に寄った皺が、言葉以上のことを語っている。
それでも、ふっと顔を上げると、見慣れた優しい笑顔を浮かべた。
「ねぇ、遥人。何か必要なものはある?
母さん、買ってくるから言ってね」
「うん……」
「あ、そうそう。これ、担任の先生からよ。
分からないところがあったら、遠慮なく聞いてくれって。付箋まで用意してくださったの」
少し声を弾ませながら、分厚い封筒を差し出される。
こうして一ヶ月に一度、学校からプリントやワークが届く。
それを課題として提出している。
中学に入ってすぐに入院して、ほとんど通えていない。
それでも二年生に進級できているのは、こういう配慮のおかげだった。
「ありがとう。
ちょっと疲れたから、今日はもう休むね」
「そうね。無理しないで」
母さんはそう言って、病室を出て行った。
ふぅ、と息を吐く。
さっきの不安げな横顔も、それを隠すような笑顔も、もう何度も見てきた。
また、心配をかけてしまったな、と思う。
『五月分』と大きく書かれた封筒を手にし、中身を机に広げる。
プリントが擦れる音が、小さく響いた。
ありがたいことだとは、分かっている。
けれど、「未来のために」と言われるたび、その言葉は胸の奥に引っかかった。
勉強が嫌いなわけじゃない。
ただ、この先どうなるのかも分からないのに、その先のことを考えろと言われても、上手く想像できなかった。
そもそも、その『先』がどこにあるのかも、よく分からなかった。
それでも、何もしないという選択は取れなかった。
別にこれといってすることもないし、わざわざ届けてくれる担任に申し訳ない。
それに何より、母が望んでいる。
しばらくプリントを見つめたまま、シャーペンを取る気になれず、また封筒に戻す。
ベッドにもたれ、天井を見上げる。
同じ考えが、頭の中でぐるぐると巡っていた。

