私が小、中学生の時は『陰キャ』を体現した、万人が想像するような陰キャだった。

太いフレームの眼鏡をかけ、あまり見た目にこだわらず、寝癖すら直さずそのまま家を出ていたから。

小学生時代、どうせだれも私のことなんか見てないでしょ、と卑屈になって誰とも仲良くしないでいると、「あの子、自分が勉強できるからって調子乗ってるんだよ」とか「絆って名前、似合ってないね」とかひどい言葉を投げつけられるようになった。

今考えれば、私は実にかわいげのないませた小学生だった。将来の夢も、周りは『宇宙飛行士』とか『アイドル』とかだったのに私だけ『安定して稼げる仕事』だった。なんでそんな夢のないがきんちょだったのかは、今でもよくわからない。

卒業するまで誰とも話さず、スマホで最後の思い出を残す同級生たちを横目に私は一人で真っ先に帰って、家で胡散臭いことこの上ない通販番組をずっと見ていた。

さすがに反省した私は、中学で友達を作ろうといくらか人に歩み寄る姿勢を見せるように心掛けた。

しかし私が進学したのは、9割以上の同級生が進学した地元の中学校だった。

他校から来た子にまで、私の小学生時代のことがばっちり伝わっていたせいで、私は誰に話しかけても「中学デビュー乙」とか「学級委員の真面目屋きっしょ」とか、またひどい言葉を投げつけられるようになった。

何とか変わろうと決意したのは、中学2年生の冬。

同級生が誰もいない高校に進学して、見た目にもそれなりに気を遣い、人間関係のリセットボタンを押すことを決意した。

県外で、夏休みのオープンキャンパス地獄で自分がいいなと思った高校は、今私が通っている私立の桜花(おうか)高校だけだった。

だいぶ偏差値は下の方だったけど、同級生がうじゃうじゃいる、偏差値にきちんと見合った公立高校には死んでも行きたくなかったので桜花高校を受験した。

高校に入学するまでの短い春休みの間で、メイク道具を買って、スクールメイクを研究した。そしてくせ毛で爆発していた髪には縮毛矯正をかけて、最低限のヘアセットも練習した。

私の垢抜け祭りのラスト、約10年間お世話になったメガネを手放してコンタクトに切り替え、私は晴れて高校デビューを果たした。