……海原(うなはら)君を、悲しい笑顔で見送ることになるなんて。

 スカートの裾に、なにか電気みたいなものが走った気がして。
 なぜだかその場所だけに、熱を感じながら。
 わたしは職員室の扉の前で……立ち尽くしていた。


 ……扉を開ければ、彼がいる。


 けしかけたのは、このわたし。
 海原君だけが怒られるのはやはり、理不尽だ。


 ……ひとりだけには、させられない。


 そう思ったわたしが、扉に手をかけたその瞬間。
「残念、その逆よ」
「えっ?」
 寺上(てらうえ)つぼみ校長が、手首をつかんでいて。
「こっちにいらっしゃい」
 戸惑うわたしの手を引くと、そのまま校長室へと連れていった。


「自分でもわかっているでしょう。聡明な都木(とき)美也(みや)、血迷わないの」
 どことなく、そのいいかたが。

 ……佳織(かおり)先生に似ていて、ホッとする。

「それも逆よ、『わたしが』あの子の顧問だったのですよ」
 校長はそういうと、ニコリと笑って。
「『あの子』が、わたしの真似をしているだけよ」
 元祖・佳織というか、自分が先だと今度はニヤリとする。


「しばらくここにいたら、連行されてくるわよ」
 寺上先生の読みどおり。
 海原君が佳織先生と響子(きょうこ)先生に連れられ、校長室にやってくる。

「都木……先輩?」
「もう、いまにも泣き出しそうな顔で。扉の前に立ってたのよ〜」
「えっ? て、寺上先生!」
 油断も隙もないのも……さすが先生たちの顧問だけあって。

「冗談よ冗談。海原君、一瞬想像したでしょう?」
 校長が楽しそうに、そう聞くと。
「……少し、だけです」
 そ、そんなに素直に……答えないでくれないかな?


 佳織先生が、恥ずかしがるわたしをチラリと見ると。
「ほら座んなよ、海原君」
 確信犯的にわたしの隣に座れと彼にいうものの。
「……向こうの席も、あいているわよ?」
 響子先生が、さりげなくブロックをかけてくる。

「出たよ、月子(つきこ)推し〜!」
「もう、佳織。その辺にしてあげなさいよ〜」
 佳織先生も寺上校長も、もう……絶好調で。

 でも響子先生だけは。
「困った教師たちだね、美也」
 そういって、やさしくわたしを見てくれたのだけれど。
 そこから間髪入れず、今度は海原君に。
「それで、『どちらに』座る気になった?」

 ……容赦無く、『選択』を迫っていた。



 車輪のついた、会議用チェアを移動させてきた海原君が。
 わたしとは『遠くない』場所に座ると。
 先生たちが互いに顔を見合わせる。

「しかたないねぇ〜」
 佳織先生が、そういって。
 それから、ひととおり話しを終えると。
「はい、じゃぁ放送室のみんなに発表してきてね!」
 響子先生が、海原君にそう告げる。

「向こうでも、心配しているでしょうしね」
 確かに、校長のいうとおり。
 海原君を気にかけているのは……わたしだけではないのだから。

「そうだね、早く伝えてきてね!」
 わたしも負けじと、彼の背中を押す。
「えっ? 都木先輩は……いかないんですか?」
「だってさっきまで、下校しろってずっといってなかった?」
「いえ、それは……」

 なんだか、子供じみたことをしているのはわかっている。
 もちろん帰りたくないよ、わたしだって。
 でもね、いまなら。


 ……わたしだけを、見ていてくれるでしょ?


「先生がた、一年間お世話になりました」
 わたしはペコリと三人に頭を下げると。
「まだ来年もありますので、よろしくお願いします」
 そういって、笑顔になる。

 先生たちの、あたたかい視線を感じながら。
「海原君、扉を開けて」 
 わたしは彼にお願いすると。

 意図をはかりかねている彼に。
「『一緒に』あいさつしてね……」
 小声で、おねだりをする。


「よいお年をお迎えください」
「よ、よいお年を……お迎えください」
 慌ててついてきたから、タイミングはズレたけれど。

 それでも上出来だよ、海原(うなはら)(すばる)

 年内最後のあいさつを、『ふたりだけ』で終えられたなんて。
 わたしにとって、それは。


 ……最高の『花道』だ。





 ……校長室の扉を静かに閉め終えると、また膝のあたりに熱を感じた。

「なんだかちょっと、楽しいね」
 都木先輩は、無邪気な感じで。
 もう一度スカートの裾を僕に当てると。

「じゃ、また来年ね!」
 笑顔で僕に告げて、スタスタと歩いていった。


 ……次にいつ会えるのか、都木先輩は言葉にしなかった。


 年末年始、先輩に部活動の予定はない。
 受験生だから当たり前だけれど、『予定』の入った僕としては……。
 なんだか……寂しかった。







 ……十二月二八日に起きたことは、おおむねそのようなことだ。


 海原くんがあの日受けた『処分』は。
 年末年始の『社会奉仕活動』で。

 要するに放送部員は。
 響子先生のご実家の神社で、ボランティア活動をおこなっている。
 

「月子、そうじゃなくて。年末年始のタダ働き要員に訂正しない?」
 現実は玲香(れいか)のいうとおりだし。
「アイツ『ひとり』の処分のはずが、なんで『わたしたち』になったんですかねー」
 由衣(ゆい)にまで……見透かされてしまった。

「でも、みんなで徹夜だよ。しかも先・生・公・認!」
 姫妃(きき)は大晦日を、なんだと思っているのかしら……?

「月子、さっきからブツブツいっているけれどなに?」
「夏休みも合宿しながら手伝ったから、慣れたもんですよね?」
「そうそう、なにか問題で・も?」

 ……問題なんて、山積みじゃないの。


 そもそも、冬休みなのにずっと拘束されるブラック度合い。

 宿坊の寝泊まりにまで付き合わされているけれど。
 わたしの家は、歩いてすぐなのよ?
 海原くんみたいに、かよわせてもらえないかしら……。

「一応あれでも男子だからしかたないねぇ〜」
 佳織先生、ポイントはそこではないのです。
「月子……もしかして?」
 響子先生、知っていて聞かないでください。

 ……いくら『制服好き』なわたしでも、嫌なことだってあるんです。


「そっか! その巫女姿かぁ〜」
「海原くん、ジッと見てたよねぇ〜」

 ……だから……恥ずかしいんですけれど!



 新年は、明けたばかりだ。

 わたしたちの、この新しい一年は。
 果たして……無事に過ごすことなどできるのだろうか?


 駐車場警備に駆り出されている海原くんと。
 この時間も受験勉強をしていると『思われる』、美也ちゃんを思いながら。
 わたしは背筋を伸ばし、授与所から本殿に向かって一礼する。

 それから、(はら)い清めたお守りを並べ直そうとしたわたしの手が。
 思わず、『ある文字』の前でとまったものの。


 ……きっと誰も、気づかなかったはずだ。